1a6b3c69.jpg僕がギターを習い始めたのは中学校1年生である。当時は吉田 拓郎とか、井上 陽水がテレビに出ないスターとして一世を風靡していた頃だが、彼らとはまったく別個の存在として別なところに位置していたのが「赤い鳥」というグループであったような気がする。

その伝説的な名レコード(当時はCDもMDもない!!)が出されたのは1971年だから、僕がまだ小学生の頃である。しかしそのレコードが100万枚を超える売り上げを記録したのは1973年であるから、僕の中学1年か2年生の頃だと思う。

そのレコードのA面は「竹田の子守唄」であり、B面が「翼をください」である。どちらも名曲である。

古くから伝わるに日本民謡を二人の女性ボーカルの美しいハーモニーで歌い上げる「竹田の子守唄」は圧巻である。他のシンガーとはレベルが違って、うますぎるので僕らの教本にはならなかった。

ちなみにこの竹田の子守唄、ある時期から自主規制の「放送禁止歌」である。詞の中の「在所」という言葉が被差別部落を連想させ差別用語に当たるというのがその理由で、この歌がテレビからほとんど流れないのは、そういう理由がある。

そのB面の「翼をください」の方が後には有名になったように思う。ともかくかっこいい歌である。こういう歌を作りたいというのが、当時のシンガーソングライター気取りの若者の共通した目標で、必ず1曲や2曲は「翼」という言葉をタイトルにも歌詞にも入れた曲を皆作っているはずだ。

ということで僕もご他聞に漏れず、翼という言葉を入れて作った曲がある。中学を卒業する当時だから15の春に作った曲だ。

僕の故郷は田舎だから幼稚園も小学校も、中学校も1箇所で必然的にクラスメートはほとんど幼稚園の頃から一緒の仲間である。そもそも小学校と中学校は菱光小中学校という一つの学校である。

その仲間が、あるものは就職する為に、あるものは学区外の私立高校に入学する為に、生まれ故郷から旅立っていく。自分も下川鉱山という皆が知り合いの町から、名寄というところにある高校に通うようになって、今までの人間関係とはまったく違った環境の中で学生生活を送ることになった。そんなときの思いを詞にした。自分への応援歌である。

翼があるから。

両手を広げて 息を吸い込んで
空を見上げて この風に乗って
時の彼方に 広がる未来に
僕らは今 旅立とうとしている
苦しくなんかないはずさ
寂しくなんかないはずさ
太陽の光で まぶしいけれども
あの向こうには きっと見えるさ
僕らがこの手で つかめる何かが

嵐の夜にも 風の朝にも
強くなれよと 肩を叩いた
あの人のこと 思い出せれば
きっと勇気が 取り戻せるはずさ
哀しくなんかないはずさ
つらくなんかないはずさ
旅立つ空は 青く澄んでる
僕らの背には 見えない翼が
きっとあるはず 羽ばたくために

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