訪問介護の身体介護について、現行の保険給付のルールの中では要介護者の方を「散歩」とう名目で外に連れ出して、家の周辺をぶらぶら散策してくる行為は原則的に保険給付の対象と認められないと判断されている。

保険者の判断によっては、散歩がリハビリの効果と目的があって、それ相応の(ここもグレーであるが)方法で計画に基づき行われておれば身体介護として認められる場合があるが、認めている保険者は少ない。散歩はまったく保険サービスとは認めていない地域の方が多いのが実情である。

しかし例え歩行困難な人であっても、車椅子を自走できない人であっても、いや、そういう状態の人だからこそ、車椅子で散歩に出るのは大切な行為で、寝たきりや認知症を防ぐ第1歩にもなる行為なのである。

これを保険給付として認めていない実態は、引きこもりを奨励し、要介護高齢者を家の中に閉じ込めて寝たきりと認知症の進行をも奨励することに他ならない、と言ったら言い過ぎだろうか。

当然、保険料と税金という国民負担で賄われている財源であるから、適切なサービス提供に対して保険料が使わなければ国民の理解を得られないし、そのために適切なマネジメントが必要だということに異を唱えるつもりはないが、散歩が大事な自立支援だというケアマネジメントをなぜ一律否定してしまうルールになっているのかは理解に苦しむ。

天井を睨んで一日の大半を過ごす生活、自分のベッドの周辺でほとんど1日を過ごして完結する生活でQOLとか、その人らしい暮らし、ということが言えるのであろうか。

もちろんおかしいからといって、ルールを破ってよいことにはならないので、現状としては認められていないサービスを保険給付内の計画とすることは許されない。そこはきちんと守った上で、でもこれは認めても良いことではないだろうかという現場からの声は挙げていくべきである。変えるためのアクションを起こすべきである。

コンプライアンスとは、単に法令を守るだけではなく、法も守ったうえで、それによって人の生活に不便があるという部分を提言することができる視点もあわせて持って、個人の暮らしを守る提言をする前提であると考えても良いのではないだろうか。

リハビリ、機能訓練が大事だというが、長年、外の空気に触れたことがない、という在宅高齢者は数多く存在するのが実情だ。そういう人たちにヘルパーの介助で、週に1回でも2回でも外に出かける機会が提供できるとするなら、こんな素晴らしい生活支援の方法はないはずである。

何よりも布団の中にずっと寝たままでいる人が、車椅子に座って外に出たときの表情の変化を見ればよい。全然違っているはず。

外に出るんだから、当然寝巻きのままではかわいそうだ。できれば着飾って、寝たままで逆立っていた髪の毛を直して、ついでに化粧もしましょうか。化粧療法が認知症に効果があるなんていうのは嘘っぱちである。化粧が療法になるんではなく、化粧をして出かけられる場所、会える人がいるという生活が認知症に効果があるんだ。

要介護5の人に、訪問リハビリで関節可動域訓練や筋力維持訓練を行うのと、訪問介護で車椅子を押してもらって明るい日差しが降り注ぐ外を散歩してくる、という行為のどちらがその方に求められているんだろう。どちらが効果があるんだろう。少なくとも豊な暮らしとは、後者の支援が行われている暮らしではないだろうか。

どちらの行為のときの、その人の、その人らしい表情がしっかり現われているのか、それも大事なことなのではないだろうか。

一方的に車椅子を押してもらったって意味がないなんていうことは間違いである。どんなに障害が重くても、家の外に出かけられる生活が大事だし、そこから広がる「暮らし」というものが考えられなければ嘘である。人の暮らしとは、生命とは決して機能に特化して考えるような、そういうものではないだろう。

本来なら、散歩が心身活性化に必要だと認められ、訪問介護計画として認められることが必要だと思うのであるが、それも保険料の無駄遣いだとする論理がまかり通っているのが現行制度である。

散歩と趣味活動をごっちゃにした論理に他ならないと思う。保険者の担当者は、そういう意味でもケアマネジメントをしっかり読み取れる能力を持って、算定可否に専門的な判断ができ、裁量権を機能させられる手腕が必要だ。

けっして介護保険法における制度が、成熟した制度でないことは肝に銘じておくことである。

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