新聞報道によると、NPO法人「特養ホームを良くする市民の会」(東京・新宿)が厚労省へ要望書を提出するという。

その内容とは、施設長の任命に関するもので、要望点は
(1)基礎的資格は社会福祉士、介護福祉士または看護師とし、三年以上の現場経験者とする。
(2)介護経営学や倫理、労働法などを研修して試験をする−という在り方を提言するものだ。

さらに都道府県に施設長の任命権を与え、不祥事が起きた場合、内容によっては懲戒処分をできるようにも求めている。

その理由として、同会の本間郁子理事長は「サービスの質を向上させるためには、専門の人材をトップに置くことが不可欠だ」と指摘している。

確かに老健の施設長は医師しかなれないが、特養の場合、施設長資格は数日の講習受講だけでも可能になるので、ほとんど福祉や介護の素人でも就任できるという実態があって、これが天下りの温床にもなっているし、ある程度資格審査を厳しくすることは反対ではない。

またこの要望書を提出するきっかけになった同会の調査で現場の職員が施設長に対し「介護も何も知らない」という不満を持って、適切な介護事業経営ができていないと指摘する点も理解できる。

僕自身は社会福祉士の資格もあるし、国家資格試験があったって動ずるところも何もない。

しかしこのNPO法人の要望の内容自体は検証も考察も雑すぎる。あまりにも片落の内容といわざるを得ない。

まず1の基礎資格であるが、当然、ここには介護支援専門員という資格も入ってくるべきだ。国家資格でないから落としているんだろうが、現場の実態を知悉して指導的役割を現場で発揮している実態に鑑みた任用を考えないと、現場のリーダーが施設のトップになる可能性を狭めて人材登用の道を狭めるものに他ならなくなる。

加えて事務職員は他の社会福祉関連資格の受験資格も持たないのだから、この提言では事務関連職員が施設のトップになる道がなくなってしまう。しかし特養の事務職員が現場のケアと完全にきり離れてしまっているということはありえないし、事務職員であっても、福祉や介護の知識を獲得して、きちんと現場の状況を理解している人材も多い。

これらの人々が施設のトップになる道を閉ざすのであれば、モチベーションも上がらないだろう。能力があって、一定の施設内業務の経験があり、その上で知識技術の確認ができれば、事務職もトップに就任できるルートを作っておくべきである。

有能な人材を登用する道まで狭めてしまってどうするんだろうと思う。

しかも(2)の関連でいえば、社会福祉士等の国家資格を持つものにまで国家試験を課すのもどうかと思うが、これが必要なら、特養だけでなく、老健その他の施設の医師も、医師だけの資格では経営できないという整合性をとらねばならないだろう。

要は福祉や介護をよく理解し、経営知識もある人材が必要なんだから、基礎資格+経験年数に登用試験、基礎資格がない事務職員等は、福祉や介護の知識を学ぶ一定期間の研修+登用試験などの複数ルートを作り施設長就任資格とすべきではないだろうか。これだと単なる天下りや、現場の実態を知らない人が、いきなりトップになるということは、かなり防げるのではないかと思う。

もちろん前述したように、それを認める前提は、このルートにおける試験選抜は、特養のみならず介護保険施設および事業経営者、全てに課されなければならない。

また任命権を都道府県に与えるなんていうのはやりすぎである。そんなことがなくとも指導監督を受け、実地指導で運営内容を確認され、更新指定を受けている施設である。トップの任命権はあくまで経営主体が持たねば、経営責任自体があいまいになる。

ここは適切運営の部分と、法人の理念の実現や全体の経営方針との関係は、きちんと分けて考えねばならない。

都道府県に任命権と首を切る権利さえ与えておけば、悪いことはしないという短絡的な思い込みで、高品質なサービス提供と従業員の生活を守る手腕を持つ経営責任というものをわかっていないとしか言いようがない。

行政が任命権を持ってしまえば、行政側にだけよい顔をして利用者本意の権利主張などソーシャルアクションにリーダーシップを発揮する立場の者が、煙たがられて排除される危険性がある。現場の個性ある有能な人材が埋もれたりはじかれたりする可能性が高くなるということだ。そのことによる利用者サービスの低下は、取り返しがつかないことに気付くべきである。

行政側に権限があっても厚労省前九州局長のように金と物をくれる者に補助などの手心を加える例もなくならないし、行政の任命権など百害あって一利なしだ。

あくまで任命権は事業主体が持たないと、理念に基づく経営と人材登用はできない。経営責任も負えなくなる。

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