fea8c64e.png土曜はプライベートの話題を思いつくままに書こうと、10回にわたってmasaのラーメン道と題して、登別近郊のうまい(と個人的に思う)ラーメン店を紹介してきた。この続編もいずれ書こうと思うが、実物の写真画像を仕入れるためには、通っている店でも、あらたに食べに行かねばならないので、画像ファイルがストックできるまでお休みしている。

しかし少しだけ時間のあるときにふと書きたいこともある。これは誰に読んでもらいたいわけでもなく、自分のストレス解消だ。今日から時々時間のある土曜には、僕の作ったオリジナルフォークの詞を、そのときの背景とともに紹介したい。昔の詞だから背中が痒くなるようなクサイものも多いが、まあ中学高校時代のことだし、恥ずかしいという年も過ぎた。

僕の青春の1ページの回顧録として『masaのフォーク道』よろしくお願いします。

中学1年のとき、はじめてフォークギターを買ってもらった。ギターの先生は友達である。毎日のように友達の家に集まって、拓郎や陽水、NSPなどのコピーを練習していた。特にNSPはボーカルの天野さんの歌唱力が素人レベルで自分達に近い存在だったし、楽曲もやさしいコードしか使っていないものが多く、初期の教本としては最適だった。『さようなら』は今でもコードも歌詞も覚えている。
ただその中でも僕は、友達と比べてひどく上達が遅く、かなり下手だった。

先生となってくれた友達は、ヒナ、キり、ヒデ、タカユキあたりだったと記憶している。

そのうち何とか一人前?にギターが弾けるようになると、誰でも同じだが、シンガーソングライター気取りで、オリジナルソングが作れなければ格好がつかなくなる、・・と当時は思って、随分作ったものだ。

演奏技術が未熟なので、コードパターンが単純で、似たようなメロディーの曲しか作れなかった時期が長くあるが、それでも数だけは数え切れないほど作った。その8割くらいは自分でももう忘れてしまった。

そんな曲のいくつかを書いていた大学ノートがひょっこり出てきた。どこにこんなものがあったんだろう。見ると懐かしい。14〜17際くらいの頃の曲が、詞とコードだけの楽譜とはいえない形で残っている。しかし詞とコードだけでメロディがすぐよみがえってくるから不思議である。

この唄はいつ書いたのだろう。きっと冬に書いたんだろう。CmとかBm7とかハイコードを随分使っているので初期のものではないと思う。高校生の時の作品だろう。珍しい曲調だ。

七色の雪

冷たい風の中で 僕は一人たたずむ
風の中に何を祈ればいいのか
若さという罪に 二人はまだ気づかず
風の中に君は去っていった。
七色の雪が 僕と君の あの日々さえも
かき消すように降り積もり
地面へと還る 七色の雪

各駅停車に乗って 遠い町へと向かう
いつの間にか僕はひとりぼっち
置いてきたものは 僕と君のこころ
それもいつか時に流れてゆくさ
七色の雪は 僕と君の 見つめる場所に
いつまでもずっと降りやまず
思い出という 色に染めるさ

ただ当時を思い出しても意味がわからないのは、なぜ雪を七色にしているかである。う〜ん。若い頃の感性としか言いようがない・・・。それにしても16とか17の頃に「若さという罪に」はないだろう。老成していたのか、蒼すぎたのか・・。決して変わった高校生ではなかったのだが・・。

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