医療機関に入院して手術が必要な場合、現況としてはほとんどの場合、手術同意書が必要とされる。この手術の同意書とはどのような意味があるんだろう。

もちろん不必要な手術は行わなくて済むように、事前に手術の必要性を患者に説明し、手術しなくて良い方法とともに情報提供することで、患者に選択権を与えるという意味もあるだろう。

しかし場合によっては「手術の結果責任を問われない」という意味で同意書が求められている感がある。だが、それは間違いだろう。つまり同意書には医療機関の医療過誤などの責任を免れさせる効力はない、というのが現時点での法的解釈であり、結果責任と同意書は別問題であるとされている。

また何らかの原因で本人が同意できない場合に、家族が替わって同意するケースがある。家族に同意権があるか否か、という部分も不透明さが残っている部分であろう。

しかこのことについて、施設入所者の場合であって、身寄りがない方について、医療機関から施設側に同意を求められた場合はどう考えたらよいのだろうか。

当然のことながら、介護施設という「機関」にも、施設長という「責任者」にも、他人の手術や医療行為等の医療侵襲行為に対する同意権はない。つまりいくら医療機関が施設側に医療侵襲行為の同意を求めたとしても、施設側はそれに対する同意はできないのが本来である。

その場合、例えば緊急対応が必要なケースは、施設側としては医療機関に対し医学的見地からもっとも必要な対応をお願いする、という方法しかとれないのが本当のところである。

しかしその場合でもあくまで医療機関が「同意のない手術等はできない」という姿勢を崩さない場合どうしたらよいのか。(そういう姿勢が許されるのか否かという問題は別途論じられなければならないし、本来、許されないこととは思うが)

これは施設側としては緊急避難的対応として手術同意を替わって行なう場合があるケースが多数報告されている。

だが、施設側が緊急避難的に同意書にサインしたとしても、それは法的には無意味で効力がないとされている。医療機関のリスク回避にはならないし、その行為自体は施設側に責任は問われない可能性が高い緊急避難行為であり、医療機関側に責任が生ずる可能性がある。

身寄りのない方で成年後見人が選任されている場合も同様で、成年後見人にも医療侵襲行為に対する同意権までは与えられていないというのが現況の解釈であり、同様の問題が生ずるのである。

もちろん成年後見人に医療侵襲同意を与えた方がよいという議論もあって、それは今後国民的議論として論じられていくべき問題であるが、現時点ではそこまでの同意権はないものである、というのが一般的な解釈である。

ここで一番の問題は、現行法においても、社会的なコンセンサスにおいても、本人に判断能力や意識がない場合に、医師は誰に対し説明し、誰から同意を得るべきかについては必ずしも明確にされていないという問題があることに気付くのである。当然、家族はこの同意権を付与されるべきであると思えるが、それさえも明確ではない。

しかしこの問題は、何も認知症の高齢者に限った問題ではなく、ほとんどの人が自分の問題として考えなければならない問題である。なぜなら交通事故などの急変で意識がない状態のほか、手術が必要な状態になる場面では、多くの人がその時点では意思表示ができない状態になっていると考えられるからである。

そうすると、この問題は誰が同意するか、誰が同意できるか、という問題にとどまらない。

つまり医療を受ける権利は他者による同意を伴なわなくとも、人の生きる権利とともに基本的人権として備わっているという解釈から、緊急性のある手術等の医療侵襲行為については、医学上の必要性から考えた最善の措置を行なう、という国民の共通理解が必要だし、医療機関がそうした見地から最善の方法を選択できる、という国民合意が必要になるのではないだろうか。

このことはもっと国民レベルで議論される必要があるのではないだろうか。

介護・福祉情報掲示板(表板)