僕が老人ホームに就職したのは、昭和58年である。

その当時、個室のある特養は全国的にも極めて少なかったから、ほぼ9割以上の特養入所者の方は多床室(当時はそういう言い方さえなかったが)で暮らしていた。

その当時、今考えると非常に馬鹿馬鹿しい議論なのであるが「男女混合居室論」というものがあった。

多床室を必ずしも男女別に区分しないで、男女混合で生活する部屋を作った方が良いという議論であり、実際にそのような形で生活を「させている」施設が存在し、その効用と称されるものを堂々と公の場で発表さえしていた。

男女混合居室にするメリットは、異性を意識することで、身だしなみが良くなったり、生活習慣がだらしなくならなかったり、身の回りが小奇麗になるというのである。

当時、この論議を聞いた「何も知らなかった」僕も、大いなる違和感を持った。

その理由は当時うまく説明できなかったが、あらためて考えると、人の暮らしとは「くつろげる」場所があってはじめて公の場で身だしなみ等が整えられるもので、他人には見せたくない、ましてや異性には見られたくないプライバシーというのは守られなければならない部分だろうという「ごく当たり前」の感覚から発した違和感であったろう。

異性の目を意識して身だしなみを整えるのが、別な場所ならともかく、生活のすべて、それも寝る場所を含めての場所であるとしたら息が詰るのではないかと感じた。プライバシーのかけらもない。

我々だって休日に家の中でもネクタイをしないといけない生活など耐えられないだろう。時にはパジャマで過ごしたいときもあるのだ。

しかし実際には、こういう実験が老人ホームで行われていた。ひどいなあ、と思ったし、福祉施設ってこういうものなのだろうかと大いに疑問に感じたものである。今はそのような施設はないと思うが・・・。(※当時はベッド周りのプライベートカーテンさえない、あるいはあっても使われていない施設の数がかなりあったのである。)

同じ考えなのかよく理由はわからないが男女混浴で入浴介助を行っている施設もあった。喜んで入っている人がいたんだろうか?何も感じないように慣らされていただけではないのか、非常に憤りを感じた。

しかしつい最近も、ある施設で特浴の出入りに配慮が足りず、浴室の中でストレチャーに乗った裸の男女が混在しているところがあった。その状態について、尊厳の配慮が足りないのではないかと指摘すると「入れ替わりの際の一時的なことだし、本人たちは何も感じていませんよ」といわれた。

絶句。こうしたことを問題と感じない施設職員が、おかしな虐待を生むんではないだろうか。おそらく利用者は何も感じていないのではなく、何も感じなくさせられているということに気がつかない感覚が恐ろしい。

それからこれも当時の話であるが、認知症の高齢者の方々のケアについて、分離処遇がよいのか、混合処遇がよいのか(どちらも当時の言葉をあえて使った、今では不適切と思う)という議論があって、混合処遇論を支持する意見の中で「痴呆(当時の言い方)の人と一緒に生活する方が、あんなふうにならないと努力するので良いんだ」ということをいう輩がいた。

認知症を性格とか、本人の何かの行動の結果であるかのごとく考えるのは大間違いであることはいうまでもないが、老人ホームの生活を、自らの「暮らし」とはまったく別個のものと考えるおかしな感覚が存在していたという証拠である。

こういう先輩達の意見は参考にならないと思ったものである。

当時僕より何十年も経験を積み重ねている先輩達の中にも、こういう人たちがいたのである。彼らは経験の中から自分なりに知識は得てきたんだろうが、人の暮らしを支援するのに必要な、当たり前の感覚を失い、人の生活を豊にする支援方法の知恵は何一つ得ていなかったと思う。

若い人々は、経験だけを敬うのではなく、人をみて、その行動と結果で、敬う対象を見つけてほしい。

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