物置の片隅にギターが放置されたまま埃をかぶっている。

時折思い出したようにとりだして、弾いてみるが、弦を押さえる指はすでに柔らかくなっているので、少し弾くと痛くなるし、良い音も出ない。それでも昔作った曲を何曲か弾いていると、その時代の様々な出来事が懐かしく思い出される。

僕達の周りにいる高齢者の方々も、それぞれに懐かしい思い出の唄を持っている。施設で行う療育音楽とか音楽療法など、難しい理屈をつける必要はなく、それぞれの心の琴線に触れる思い出の曲を楽しむということでよい。

認知症の方にも、それぞれお得意な唄があるし、唄っているときは表情も生き生きとしてくる。その唄とともに、それぞれの時代のことも思い出してくれる。

戦中から戦後の時代を生きた方々にとって、若かりし頃の時代は、すべて薔薇色ではなかったはずだ。しかし苦しい思い出も、つらい思い出も、その時代の唄とともに思い出すときは、明るいフィルターを通してすべて「古きよき時代」になって浮かんでくるのかもしれない。

みんな「こころの唄」を持っているんだ。だから唄は素晴らしいパワーだ。

我々の介護サービスも、本来、支援が必要な人々の心の琴線に触れるような温かなものでなければならないはずで、そのとき、その場所で関わった支援者が、利用者の心の支えになることが理想だ。

嫌なことが多い世の中だが、介護サービスまで荒涼とした砂漠にしてしまえば、この社会の未来とは果てしなく貧しい心の上に成り立つ社会になるだろう。

青臭くても、そのことに警鐘をならしたり、訴えたりする人間がいなければならないと思う。その立場は格好悪いし、お金持ちにも決してなれないだろう。しかし未来の子供達のために、心の豊かさや人への愛の心は守らなければ、社会や国は滅びるだろう。

幸い、声なき声が届く可能性のあるネット社会である。小さな田舎町の小市民の声が、ネットを通すことによって全国各地に届く可能性もある。そのことだけは幸運であると感じる。

そういう時代と環境の中で、できれば介護者よ、利用者を真剣に見つめて、君達自身が彼らの、彼女らの「こころの唄」になってほしいことを問い続けるだろう。

<こころの唄>

唄は私の友達だから 苦しいときも私の味方
たった一人で寂しいけれど
こころの唄をみんなの唄に
みんなの唄が街いっぱいに
いつか広がる明日を信じよう

唄はあなたの友達だから 哀しいときもあなたの味方
わたしとあなたが手を取り合って 
希望の唄をみんなの唄に
みんなの唄が空いっぱいに 
いつか広がる明日を信じよう


介護という手段を通して、人の心の豊かさが、いつか広がる明日を信じたい。

介護・福祉情報掲示板(表板)