当施設併設の通所介護事業所は定員を30名に定めており、職員配置も施設設備基準もそれに対応しているが、実際に適正なサービス提供人員は、せいぜい25名が限度だろうと感じている。

ところで現在、利用者数は限度一杯ではない。予防通所介護の導入等の影響によって昨年度は1昨年度よりも利用者が減った。今年度は増加傾向にはあるが、曜日による利用者数のデコボコがみられ、多い日はもうこれ以上受けられない、という状態に近い日もあるが、まだまだ余裕がある曜日もある。

そこで事業者側の立場で考えることは、曜日間の利用者数が均一化すればなあ、ということである。そうなると利用者数が多い曜日の利用者さんで、利用人数の少ない曜日に利用日を変えてくれる方がいないかと、考えることがある。

しかし実際問題、このような考えで利用者さんに呼びかけたとして、それに応えて利用日を変えてくれる利用者さんは、まず「いない」というのが現実であろう。

なぜなら、我々からすれば、どの曜日でも必要なサービスは行えるし、その利用者にとって計画されたサービスで、その方の意向に沿ったサービス利用にも「問題ない」と考えてしまいがちであるが、利用者さんにとって曜日が変われば、利用している人も現在の曜日とまったく同じではないので、それはまったく別個のサービス事業所に変更するのと同じ、という感覚があるということだ。

利用日を変えるということは、いま一緒の通所サービスを利用している他の仲間の方々と「お別れ」して別サービスを利用するということと同じ事で、それは「嫌だ」ということになる。

この感情や考え方はもっともなことであると思う。

自分をサービス利用者の立場に置き換えて考えても、利用日を変えて、あらたな人間関係の中でサービス利用を受けるというのは、新規利用の際より億劫に感じるだろう。なぜなら、今まで作り上げてきた通所サービス利用中の人間関係をすべてリセットする、とういう意味になるからだ。

だから通所介護サービスにおいては、事業所の都合で安易に曜日変更を強いるべきではないという結論になる。

さて、このことを別角度から考えると、通所サービスというのは、単に個人の居宅サービス計画に沿ったサービス提供が必要だという意味にとどまらず、通所サービスというものの中で展開される「人間関係」が重要なサービス要素であるということだ。

もしかしたら通所サービスで行う個々のサービス内容など、すべて居宅の中で行うサービスに置き換えられるものかもしれない。しかし通所サービスという「通って利用するサービス」にしかない機能として、他者との交流機会とか、社会参加とか、様々な意味で個人と社会の接点を失わない、という機能がある。
(参照:新介護予防は成功するか〜要介護リスクの最大危険因子は?)

特に高齢者が過ごす時間の中で、複合喪失と総称され、職場から離れ、人間関係が縮小される時期において、地域において、もともと人間関係が豊に展開されておれば問題も少ないが、そうではない地域が多い現代社会において、通所サービスが作り出す新たな人間関係は、社会と個人の接点という意味では重要である。

通って利用するサービスというのは、この人間関係や社会参加という部分が大きな「自立支援」の要素になることを忘れてはならないし、大事にしなければならない。

ともすれば機能活用と維持が個別リハビリテーションという医学モデルに偏って考えられる傾向が強い今日ではあるが、訓練で機能だけを良くしようとする考えは成立しないことは歴史が証明している。逢いたい人がいて、そこで自分に出来ることがあって、自然に身体及び精神機能は活用維持されるんだ。

やりたくもないリハビリに嫌々通ったとしても、維持さえるものはさほど多くはないし、生活機能には結びつかない。通って使うサービスの特性とは、そうしたものに特化して考えるべきではないのだ。

個別の機能維持訓練がメインサービスということにはならないのであり、豊な人間関係が人の心身を活性化するという点に、もっと目を向けないと、通所サービスの意味が、単に外来リハビリの延長になってしまう。治療より援助、という社会福祉援助サービスの基本を忘れてはならない。

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