有名なマズローの段階欲求説は、人間の欲求が下層欲求から5段階に積み上げられたピラミッド型になっているとして、下層欲求が満たされないと上層部分の欲求充足の動機付けが行われる可能性が低くなるとしている説である。

そのピラミッドは

最上位欲求: 自己実現欲求 = 自分が最終的に人として人生の目標としていることを実現したいという欲求

上位欲求: 自己尊厳欲求 = 他人から尊重されたい、認めてほしいという欲求。出世欲、権力欲が代表

中位欲求: 社会的欲求 = コミュニティなど他者の集団に受け入れられたいという欲求

下位欲求: 安全欲求 = 生命の危険なく安全に人生を送りたい、経済的に安定した人生を送りたいという欲求

最下位欲求: 生理的欲求 = 食欲、排泄欲、睡眠欲その他

このように考えられている。今さら説明するまでもないだろうが、この段階欲求説は、下層欲求を満たせば、必ず上層欲求を満たそうとする動機付けが生まれる、という意味ではなく、上層欲求を満たす動機付けには、下層欲求の充足が必要であり、その充足がない状態では上層の欲求を満たそうと考えることは極めて少ない、としているものである。

人の生活に関わる介護サービスの現場でも、人を支援するという動機付けは、介護者自身が劣悪な環境や生活状況に置かれている段階では生まれてこない。だから個人レベルでの肉体と精神の健全さは必要なことといえるであろう。

倫理観も似たようなことが言える。単に倫理が大事であるといっても、職場環境がその倫理観を生み、育むような環境であるかということも大事であろう。

対人関係の悪い職場では、職業上の倫理が生まれる以前に、仕事を単に機械的にこなす、という状況しか生まれないであろうし、個人のレベルに倫理観を育てようとしても、職場自体が法を犯す精神的体質を持っていたり、法律さえ犯さねば何でもあり、と考えている環境では個人の倫理観は育ちにくい。

特に対人援助サービスでは、法律に規程できないけれど、してはいけない行為とか、口に出してはいけない言葉というものが数多く存在する。

なぜなら対人援助サービスというのは形のないサービスで、利用者は試してみないとわからないサービスであるという側面を持ち、お試し利用がきかない、つまり、お試し=サービス利用そのもの、になってしまうため、ここの部分で「試してみることで傷つけられる」という状況が生まれかねないサービスである。故に良いサービスを考える前に、利用者が好まない、嫌だという感情に繋がる援助ではないかという配慮が必要とされるサービスであるといえるのだ。

このことへの配慮や理解も対人サービス援助者が持つべき視点だし、そのために自分がしてはいけない行為とか、関わり方を常日頃考えることが必要で、これは法律や運用ルールに文字として書き表せない部分である。

事業管理者は従業者がそうした倫理観を醸成できる職場環境になっているかという視点でものを考えることも必要なんだろうと思う。

できれば、全ての従業者が、その従事する業務に誇りと喜びを感じることが出来る環境になれば、自ずと倫理観などは育ってくるんだろうと思う。なぜなら我々の仕事の性質上、マズローの欲求段階で最上位欲求であるところの自己実現とは、とりもなおさず、利用者が喜んで受け入れてくれるサービスで、利用者の幸福な生活の達成そのものが、我々の自己実現に繋がる性質のものであり、介護サービス従事者のモチベーションとは、我々の支援行為により、他者がより良い生活が実現できる、という部分に深く関与している性質のものだからである。

ただしそれは、介護サービスに従事する職員や関係者が、霞を食べるような生活で、自らの身を削って奉仕しうるような状況で達せられるものではないだろうと思う。職員待遇というのはそういう意味でも重要な要素であると思っている。

しかしこの職員待遇は悪化する傾向にある。介護給付費により一定のレベルでしか給与配分が出来ない。しかもこの介護報酬は、現状の介護保険ルールでは、いくら良いサービスを利用者に提供しても、財政理論により引き下げられていく方向にあり、さらにアウトカムの評価報酬ではないため、良いサービスを行っていようと、劣悪サービスを提供していようと、同じ報酬である。

極端なことを言えば、人手や人件費をかけない劣悪サービスを提供しておいた方が収益が上がる構図になっているとも言え、健全な考えを持たない経営者が生まれる元凶もそこにある。

こうした状況で倫理観がサービスを変えるという考え方は絵空事に思える。

しかもアウトカムの評価を、いつのまにか単なる資格者配置数や個室のなどの環境空間に対する加算報酬に変容させて評価しようとするから、本当に利用者に喜ばれるために汗をかいている現場の職員の努力は、益々無視され、有能で必要なマンパワーがこの業界からどんどん離れてしまっている。

そこに現在の介護業界の闇が広がっている原因があるように思えてならない。

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