昨日の北海道新聞3面記事では、札幌市内の老健施設の認知症専用棟で日中デイルームとして使用している場所に、夜間、複数の男女を寝せていたことに対し文書指導、改善命令が行われることが大きく取り上げられている。
このことは僕のサイトと関連深いJTさんの「介護保険情報BANK」でも取り上げられていたので全国的にも関係者の皆さんはご承知だろう。
(※本題に入る前に、ひとこと言いたいのは報道の姿勢である。報道では廊下に利用者を寝かせているとされているが、正確には認知症専用棟の廊下とは区切られたデイルームである。結果として不適切な状態には変わりないが、事実をありのままに伝えるという姿勢において、報道上の表現として、デイルームを廊下と書くことの違いを意識できているのか記者の姿勢を多少疑問に思う。)
このニュースを見たとき「どこかで聞いたことがあるな。」と思った。
思い当たったのは、ある研修会で講師をつとめた後、地下鉄駅まで、僕の講演を受講されていた医師の方とご一緒したことがあり、その際、その方が新しく赴任した老健で、夜間の転倒防止のためにデイルームに利用者を寝せており、そのことを職員が問題と感じていない、という話があって、そういう意識を変えていかなければ、施設がいつまでも一般社会から隔絶した特別な場所に見られてしまうという話をしたのがつい最近である。
報道された施設が、その施設か否かは定かではないが、問題は、外部からその異常さを指摘されるまで、そこの管理者なり職員が、そのことの異常さを感じていなかった、ということだろう。認知症専用棟だから一般社会の常識が通用しないというのでは困るのだ。
地下鉄駅までご一緒した医師の方の話に出た施設においても、外部から赴任した医師がすぐ気付くほどの異常さを、内部の職員が問題意識として感じていないところに、施設サービス全体の問題が問われてくるんだろうと思う。
何度か指摘しているが「施設の常識は世間の非常識」 という状況ではいつまでも施設サービスは「必要悪」という観点から議論の対象になってしまう。
問題の老健で、男女の仕切りもなく排泄ケアが行われていたのは論外である。報道されているように広義の虐待である点が今後問われてこようが、おそらく当該施設の職員の意識としては虐待を行っているという意識はなかったのだろう。そこでは人の尊厳とかプライバシーを、自分に置き換えて考えられなくなっているという「慣れ」によってすべてが処理されていたという実態があるんだろう。自分が、自分の家族が同じような生活を強いられるとしたらどうであろうという問いかけをすれば気付くことであるはずなんだが・・。
起こってしまったことは、もうとり返しようがないから、今までの状況を施設全体で大いに反省し、改善に取り組む必要があり、この場合施設のトップは、下手な言い訳は必要なく、ひたすら反省と謝罪を行って、改善にとりくんで、どこの施設にも負けない高品質のケアサービスを作り上げるために人の10倍の努力をすることだけが求められる。
しかるにこの施設のトップが謝罪の言葉の前に「個室での転倒事故を予防するためで、家族からの要望があった。」 と冠をつけるのはいただけない。
僕の経験からいえば、いかに転倒の危険があって、そのことを家族が把握していたとしても、施設に入った際に「危ないからデイルームで寝させてください。」という家族はいない。というより居室にベッドがあるのに、デイルームが布団を敷いて寝る場所だと思っている家族もいない。
おそらく、こうした状況が作り出された背景には、夜間人手が少なくて充分な見守りができないから「デイルームに布団を敷いて寝てもよいですか」という具体的な方法の投げかけが施設側から行われていたことは間違いない。これは決して「家族からの要望」 とは言えないのである。そのような言い訳は通用しないし、必要ないことだ。
我々の施設でも夜間、不安、不穏になって眠られない方が時に居る。夜間落ち着かず、ベッドから降りようとして転落や転倒の危険がある状態の方もおられる。
しかしだからといって、未然にそれを防ぐ為に、人の暮らしとして不自然な状況で、プライバシーや尊厳に配慮がない方法で「見守り」という介護の手間省き、で対応することは許していない。
時には、ステーションの仮眠室で夜勤者と添い寝する人はいたとしても、それはそのときに必要な状況と状態であって、それに対応していることだ。複数の人がそこに一緒にいることはまれだろう。それ以前に、日中の生活状況はどうなのか、傾眠している生活スタイルになっていないか、原因をWHY(なぜ)として問い続ける手間が必要で、そのWHYへの対応が具体的サービスである。
特に夜間起きて危険な行動がある人なら、なおさら、周りのほかの人が起きてしまうことによって、その人も起き、周りで自分が理解できない状況が起きていることが混乱要素になって、不安や不穏を助長することがある。
こういう方は多床室より、個室対応して、ゆっくり不安なく眠られる環境を作ることがまず一番必要であり、このことからもデイルームで複数の認知症高齢者を一緒に寝せるという対応自体、ケアに必要なWHYへの考察がない短絡的な対応といわざるを得ないと思う。
人手がない夜間だから仕方のなかった対応ではなく、サービスの発想の貧困さと、人に対するケアに従事する専門家が持つべき当然の人権意識の欠如の結果だろう。
慣れと熟練とは違うのだ。へんな職員の「慣れ」がおかしな意識を生むことを忘れてはならない。
介護・福祉情報掲示板(表板)
このことは僕のサイトと関連深いJTさんの「介護保険情報BANK」でも取り上げられていたので全国的にも関係者の皆さんはご承知だろう。
(※本題に入る前に、ひとこと言いたいのは報道の姿勢である。報道では廊下に利用者を寝かせているとされているが、正確には認知症専用棟の廊下とは区切られたデイルームである。結果として不適切な状態には変わりないが、事実をありのままに伝えるという姿勢において、報道上の表現として、デイルームを廊下と書くことの違いを意識できているのか記者の姿勢を多少疑問に思う。)
このニュースを見たとき「どこかで聞いたことがあるな。」と思った。
思い当たったのは、ある研修会で講師をつとめた後、地下鉄駅まで、僕の講演を受講されていた医師の方とご一緒したことがあり、その際、その方が新しく赴任した老健で、夜間の転倒防止のためにデイルームに利用者を寝せており、そのことを職員が問題と感じていない、という話があって、そういう意識を変えていかなければ、施設がいつまでも一般社会から隔絶した特別な場所に見られてしまうという話をしたのがつい最近である。
報道された施設が、その施設か否かは定かではないが、問題は、外部からその異常さを指摘されるまで、そこの管理者なり職員が、そのことの異常さを感じていなかった、ということだろう。認知症専用棟だから一般社会の常識が通用しないというのでは困るのだ。
地下鉄駅までご一緒した医師の方の話に出た施設においても、外部から赴任した医師がすぐ気付くほどの異常さを、内部の職員が問題意識として感じていないところに、施設サービス全体の問題が問われてくるんだろうと思う。
何度か指摘しているが「施設の常識は世間の非常識」 という状況ではいつまでも施設サービスは「必要悪」という観点から議論の対象になってしまう。
問題の老健で、男女の仕切りもなく排泄ケアが行われていたのは論外である。報道されているように広義の虐待である点が今後問われてこようが、おそらく当該施設の職員の意識としては虐待を行っているという意識はなかったのだろう。そこでは人の尊厳とかプライバシーを、自分に置き換えて考えられなくなっているという「慣れ」によってすべてが処理されていたという実態があるんだろう。自分が、自分の家族が同じような生活を強いられるとしたらどうであろうという問いかけをすれば気付くことであるはずなんだが・・。
起こってしまったことは、もうとり返しようがないから、今までの状況を施設全体で大いに反省し、改善に取り組む必要があり、この場合施設のトップは、下手な言い訳は必要なく、ひたすら反省と謝罪を行って、改善にとりくんで、どこの施設にも負けない高品質のケアサービスを作り上げるために人の10倍の努力をすることだけが求められる。
しかるにこの施設のトップが謝罪の言葉の前に「個室での転倒事故を予防するためで、家族からの要望があった。」 と冠をつけるのはいただけない。
僕の経験からいえば、いかに転倒の危険があって、そのことを家族が把握していたとしても、施設に入った際に「危ないからデイルームで寝させてください。」という家族はいない。というより居室にベッドがあるのに、デイルームが布団を敷いて寝る場所だと思っている家族もいない。
おそらく、こうした状況が作り出された背景には、夜間人手が少なくて充分な見守りができないから「デイルームに布団を敷いて寝てもよいですか」という具体的な方法の投げかけが施設側から行われていたことは間違いない。これは決して「家族からの要望」 とは言えないのである。そのような言い訳は通用しないし、必要ないことだ。
我々の施設でも夜間、不安、不穏になって眠られない方が時に居る。夜間落ち着かず、ベッドから降りようとして転落や転倒の危険がある状態の方もおられる。
しかしだからといって、未然にそれを防ぐ為に、人の暮らしとして不自然な状況で、プライバシーや尊厳に配慮がない方法で「見守り」という介護の手間省き、で対応することは許していない。
時には、ステーションの仮眠室で夜勤者と添い寝する人はいたとしても、それはそのときに必要な状況と状態であって、それに対応していることだ。複数の人がそこに一緒にいることはまれだろう。それ以前に、日中の生活状況はどうなのか、傾眠している生活スタイルになっていないか、原因をWHY(なぜ)として問い続ける手間が必要で、そのWHYへの対応が具体的サービスである。
特に夜間起きて危険な行動がある人なら、なおさら、周りのほかの人が起きてしまうことによって、その人も起き、周りで自分が理解できない状況が起きていることが混乱要素になって、不安や不穏を助長することがある。
こういう方は多床室より、個室対応して、ゆっくり不安なく眠られる環境を作ることがまず一番必要であり、このことからもデイルームで複数の認知症高齢者を一緒に寝せるという対応自体、ケアに必要なWHYへの考察がない短絡的な対応といわざるを得ないと思う。
人手がない夜間だから仕方のなかった対応ではなく、サービスの発想の貧困さと、人に対するケアに従事する専門家が持つべき当然の人権意識の欠如の結果だろう。
慣れと熟練とは違うのだ。へんな職員の「慣れ」がおかしな意識を生むことを忘れてはならない。
介護・福祉情報掲示板(表板)


感動の完結編。

今回は老健が対象でしたが、例えば2階建てのグループホームなど、スタッフの動線の都合によって、実際は居室ではなく違う場所で寝かされているなんていうことが普通にあるように思えます。
BPSDに対しても「臭いものに蓋をする」式のケアでは、入居者の状況は変わりません。