天皇誕生日という祝日だった4月29日が、平成の時代になって「みどりの日」に変わったのはつい最近の出来事に思えていた。

この時期の北海道は山々の緑も控えめで、肌寒い日が多く、新緑の季節とは言いがたいが、僕にとっては結婚記念日でもある「みどりの日」は、ある意味、特別な日でもあった。

それが「昭和の日」に変わった。特別「みどりの日」という呼び方に思い入れがあるわけでもないし、むしろ自分が生まれ育ち、今の自分を創ってくれた昭和という時代には特別な思いを持っているので、この改名には大賛成だ。

しかしそれは、我々が過ごした昭和という時代が、一歩ずつ歴史の1ページに組み込まれ『過去』になりつつあるということだろう。

思えば昭和は激動の時代であった。戦争と敗戦。そして占領下での支配を受けた暮らしから、我々の先輩たちは「焼け野原」の中で立ち上がって、高度成長期を経て、中流階級意識が国民の9割を占める時代を経て、バブル景気とその崩壊まで、めまぐるしく社会は変動した。

団塊の世代より前の世代の方々で、今、高齢者福祉サービスを受けている方々は、そういう時代を生き、今の日本の土台を支えてきた人々だ。

社会保障としての社会福祉制度も昭和の時代に大きく変わった。

戦前は保護を受ける権利も人間としての基本的人権とはみなされず、単に「法の反射的利益」、つまり、たまたま法律があるからその恩恵を受けさせてやるものだ、という考えであって、保障レベルも「劣等処遇」の原則により、救済を受ける貧民の地位は、自立している最低階層の独立労働者の地位より劣るものでなければならないとされていた。

それが変えられ、現在の福祉制度に繋がる改革が行われたのは、わが国固有の政策ではなく、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領政策としての福祉政策であり、昭和の社会福祉政策は小さな改正はあったものの、基本的にはこのGHQ占領統治下の施策が延々と続けられてきたわけである。

そしてその抜本改正が平成に入っての介護保険制度の創設であり、まさに戦後始めて社会福祉の社会福祉制度の大改革が行われたというのが、その意味である。そしてそれは障害者の福祉制度改革などにも繋がっている。

しかしこの介護保険制度は「走りながら考える」といわれているように、様々な瑕疵に気づきながら、法改正やルール改正でそれに手当てを繰り返して「走り続けながら何度も転んで考える」制度になっている。

しかも制度改正やルール改正の目的は、逼迫した国家財政によって社会保障費の削減が前面に押し出され、財政論からの改正議論が先行されている。

その結果、「良い制度にする」とか「国の責任で全ての国民に健康で文化的な暮らしを保障する」という考えが入り込む余地さえないがの如く「持続可能な制度」のための改正となって、社会福祉制度とは言いがたい状況を生んでいる。

しかし国が主張する「持続可能な制度」の中身とは、なんと貧困な内容なのだろう。

社会福祉サービスにも自己責任論を前面に押し出し、サービスの自己負担化は、社会福祉サービス自体にも貧富格差を生み出しており、自己負担できない層は低レベルの暮らしで仕方がないとされている。まさに「劣等処遇」の考え方の復活である。

しかも介護サービスは、量の確保を民間の参入で解決したものだから、当然そこには利益優先主義が生まれる。民間活力でサービスが向上するなんていうのは幻想だ。利益を求めるためには、利用者を顧客と見て、サービスを商品と見ることであり、金を使ってくれる客と、支払い能力のない客に対するサービスは当然違ってくる。サービスを高い金で買える層にはより品質の高いサービスは実現するであろうが、対価価値が低い層に対するサービスは「ないよりまし」の劣悪サービスに繋がる可能性が高いし、表面に出ない社会の隅々で合法的な弱者の切捨てが行われていくだろう。

さらに少ない労力で大きな対価を得るために、様々な「手品」を使おうとする事業者が出るのも当然の帰結である。

そしてその手品の多くが「不正」という冠がついた行為である。

本来、人の生命や人権を守るのは国家の基本的な使命であり、弱肉強食の市場原理とは相反するものである。昭和はそのことをマイナスから作り上げて、人の命や文化的な生活とは何かを問い続け、遅い歩みではあっても、その実現に取り組まれてきた時代だった。

しかし、今「美しい国」とこの国を呼ぶリーダーが見るものは、社会の片隅で制度の光が届かず苦しんでいる人々の暮らしを、すべて暗幕で覆って、都合の良い「見かけの美しさ」だけを見る視点だ。

昭和という時代に、我々は大切な「忘れ物」をしたまま新しい時代に生きているのかもしれない。忘れたものを取り戻すには何が必要なのだろうか。

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