今日はいつもと違って、福祉や介護とはまったく関係のない内容のブログになることをご容赦いただきたい。

深い意味があるわけではない。ただ単に今、PCに向かった気分がそうなったというだけのことである。たまにはこんな日があってもよいだろう。

1992年の今日・4月25日、東京都足立区千住河原町の、とある民間の1室から、一人の若者が「泥酔状態」で病院に担ぎ込まれた。その後、若者は病院内で大暴れし、鎮静剤を注射されるが、結局、医師の診療を拒否し、家族とともに自宅に戻った後、急逝する。

闇の告白」とは、彼の書いた歌詞のタイトルである。

若者の名は尾崎 豊。享年26歳。あまりにも早すぎた死であった。「10代の教祖」とも呼ばれた彼は、その歌で多くの若者の心を惹きつけ、中高生のカリスマ的存在であった。今日は彼の15回忌にあたる。

死の当時、彼の体にはアザや傷があり、その状況の不可解さから、他殺説が流布され、病院から自宅に連れ戻したことも、付き添っていた妻の独断ではないかなど、死をめぐる様々な噂が飛び交って憶測を呼び、その騒動は数年続き、未だに「謎の死」とされている。

しかしはっきりしているのは警察が事件性を否定し、その後の検死結果でも死因は「致死量の2.64倍以上の覚醒剤服用による急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫」とされていることである。

覚醒剤は注射によるものではなく経口摂取したものであった。尾崎が覚醒剤を常用していたという確証はなく、そのことを証言する関係者もいない。むしろ否定的な関係者が多い。

暴力を受け、無理やり飲まされた、とする説は荒唐無稽に思う。民家から病院〜自宅の間に尾崎は意識があり、家族と会話を交わしているが、それに関することは一切口にしていないし、覚醒剤をアルコールに混ぜて、だまして飲ませるのは至難の業だ。致死量の覚醒剤の量を経口摂取するのに「苦さ」は相当なものでわからないレベルではないそうである。

いや、そんなことを書くつもりではない・・。

僕より5つも若い才能のある命が、このようにはかなく消えていったことは残念だ。

代表曲「卒業」などの歌詞は、真夜中に教室の窓ガラスを割る情景が書かれており、当時、校内暴力が社会問題化していたことと相まって、深夜に中学校の窓ガラスを割って回るなどの狼藉を働く者が数多く出たりして、学校関係者は尾崎自信にその責任を問う目を向けたが、尾崎が描いた卒業は暴力の肯定ではなく『何度自分自身卒業すれば本当の自分にたどり着けるのか』ということがテーマで、そのとき自分自身を支配しているものが、大人であったり、社会の常識であったり、既成概念であったりして、そこから逃れる術を求めた姿を描いていたと思う。

だから彼の歌詞にはいつも何か訴えかけるものあって、好きだった。

若者が支配から逃れようとしたもの。世間一般の大人や社会常識に、いつか若者自信が染まっていくような時の流れが、彼には許せなくて、死に繋がっていったのではないかと勝手に思っている。

今、生きていれば、41歳の尾崎と僕らは逢えている。

彼のような感性を持った若者が、やがて大人になり、そして年を重ね、おじさんになって、その後、どんな「年寄り」になっていくのか、僕はその姿を見たかった。

若い頃には見えないもので、年をとって始めて見えるものもある。60代、70代になったときの彼の目に、この社会がどう写ったか、そのことを確かめたかった。

おじいさんになった尾崎の歌詞を読んでみたかった。本当にそう思う。あれから15年だ。

闇の告白〜尾崎豊:作詞・作曲

歌詞が読めるリンクを貼り付けておく。この詞が彼の遺書に聴こえてしまう。もう一度、今日はこの詞をじっくり読んでいる・・・。

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