いつも土日はブログを更新しないことが多い。

僕のブログの内容はプライベートな生活に関する部分はほとんどなく、福祉や介護、その制度に関わる内容が多いので、ちょっと気分転換にブログを書く、という感じにはならないので、完全休養という意味であえてブログもお休みすることが多いからだ。

それともう一つの理由は、土日は外出が多いということもある。外出といっても、遊びに出かけるのではなく、本業の介護施設の施設長という立場ではない、地域ケアマネ会の代表とか、社会福祉士会の用務とか、本業以外の業務としての研修や会議も多い。

それから時期によっては、各地で研修会の講師やパネリストとして招かれることも多いが、できるだけそれは本業に支障がない土日でお願いしている。

先週も土曜は札幌で、ターミナルケアに関する基調講演を頼まれたので、移動を含め、1日それで費やした。振り返っても2007年になってから週末が連休であったのは2回ほどしかない。

先週の基調講演については、北海道医療新聞社の「介護新聞」4/19付け号に写真付で『日本死の臨床研究会北海道支部は講演会「介護施設での看取りを考える」を14日、札幌市内で開いた。基調講演した特養緑風園の菊地雅洋施設長は昨年4月の診療報酬改定に伴い、特養等入所中の末期がん患者に対する在宅療養支援診療所の訪問診療、訪問看護が医療保険で認められるようになったことを踏まえ、「画期的なことだが、末期がんだけでなく終末期への適用も必要」と指摘した。〜』と報道記事が掲載されたので、さすがに道内では影響力のある新聞で、いろいろな人に「また出ていたね」と声をかけられた。

「また〜」という意味は昨年同誌に半年間、僕が連載していたことを指していっているんだろうけど、少し意味を勘ぐったりもする思いを持った。言葉というのはなかなか難しいもんだ。

ところでこの記事を見た当法人の理事で、協力病院の院長から電話が早速入って、医療機関の中でも職員研修として、同じ話をするように依頼された。断る理由はないし、日ごろお世話になっているので当然承諾はしたが、聴衆が何百人いようとあまり緊張するようなことがない僕でも、顔見知りの職員ばかりの前で話をするのはちょっと照れくさいし、気が重たい気もする。

それと来月はある地域のケアマネ会の定期研修会に講師として招かれているが、それが2箇所ある。自分の地域のケアマネ会の総会(役員改選)もあるので結構忙しい月になる。

そんな中、今週だけはすっぽり土日が休養になった。とはいっても昨晩も地域ケアマネ会の定期研修と幹事会で遅かったし、明日も市内の選挙の関係で足を運ばねばならない場所(投票という意味でない;義理ごとです)もあるんだが、ともかく仕事からは離れて過ごすことができる予定だ。そこで少し仕事からも離れた内容のブログを書こうかなと思ってPCに向かっている。

さっきまで、ゆっくり本を読んだりして過ごしていたが、ふと思い立って昔弾いていたフォークギターを取り出してみた。しかし弦が切れていて弾けない。息子のエレキをそっと持ち出して弾いてみたが、その頃、僕が作った唄は、やはりエレキの音色では合わない。それと指が硬くなっていないので音がまともに出ない部分がある。いつも弾いていないとギターは本当の音を出してくれないのである。

しかし昔作った唄は、詞もコードも、メロディラインもすべて覚えている。中学生のときに作った唄も、ギターのコードをなぞれば自然と歌詞が思い浮かんでくる。あの頃、どんな思いで、誰のために作った唄かも思い出と共に浮かんでくる。

僕の施設では「療育音楽」と称して、利用者の方に馴染みの深い唄を歌ったり、楽器を演奏して心と体を動かすプログラムがあるが、このときは、普段表情の乏しい認知症の方も生き生きとした表情で、大きな声を出したり、楽器を奏でたりしている。唄の力は偉大だ。

だが僕が高齢者になったとき、僕の心を震わす唄は、拓郎や陽水やかぐや姫やNSPかもしれない。でも一番心に響くのは僕自身のオリジナルソングだろう。

残念ながら僕以外に知る人のない唄であることだけがネックである。

介護・福祉情報掲示板(表板)