(続き)かつては4月になれば、新年度の最初に、年間分の誕生プレゼントをまとめて購入していた。

もちろん新規入所もあるだろうから定員数より多い数である。当然無駄も出るが、問題の本質はそんなところではなく、誕生プレゼントも単なるセレモニーに必要な物品としか考えられておらず、利用者個人々が何を望んで、何を贈られると喜んでいただけるか、という本来の「お祝い」の視点が無かったということである。

しかも誕生祝いは、月の誕生者をある特定の日にまとめて行い、内容もボランティアの「慰問」と称する演芸会を見るというワンパーンで何年も行なわれていた。

こういう状況では、心が通ったお祝い、というふうにはならない。マンネリ化した行事、として機械的に行なわれていた。まさに集団処遇である。

今、我々の施設で行われている誕生日のお祝いは「施設の行事を考える」でも書いているが、それぞれのお誕生日に、担当のケアワーカーが知恵を絞って、いろいろな方法でお祝いがされている。もちろんかかる費用も人により違う(費用上限はもちろんあるが)。ご家族を招いて食事会とか、お茶会というパターンが多いが、なんらかの事情で、お祝いの訪問者がいない方は、職員と街に出かけ買い物とか、食事とかをすることもある。居酒屋で夕食時に1杯、というのもありだ。

少しだけ、街の暮らしに近づいたといえるかもしれない。しかしそんなことより何より、そうした利用者と職員のコミュニケーションやふれ合いから生まれる関係のほうが大切である。

誕生日をどういう方法でお祝いすることが、その方々にとってもっともふさわしいのかを、現場のケアワーカーが知恵を絞って考える過程で、対象の方々の、いろいろな「思い」に気付くことができると思う。できれば、それを、その思いの実現を、誕生日のセレモニーとしてだけでなく、すべての生活支援の場面で考えて生かしてもらいたい。

正直、我が施設も、そこまでには至っていないのが本当のところで、外から見ると、まだまだ改善しなければならないことが多いと思う。

しかし20数年前に、何か新しい取り組みを行なおうとしたときに「変えるエネルギー」を使った頃にくらべると、現場の職員の熱い思いが、サービスの品質の向上に繋がる方向にあるのであれば変革のハードルは低いと思う。

少なくとも僕自身ができることより、できないことから思考するようなバリアになってはならないと思っている。権限のある立場のものが、介護サービスの品質向上のバリアになることほど現場のモチベーションを下げる要因になってしまうからだ。

利用者の生活が良くなる為の、変化に対し、上司が障害そのものになり、その説得に地ならしから始まって、著しい時間がかかるというのでは良いケアへの提案など出せなくなってしまう。

状況を変えるためだけに、エネルギーを使い切って燃え尽きてしまう職員も多いのでは困るのだ。志の高い職員ほど、質の低いサービスを変えようと努力すればするほど燃え尽きに繋がってしまうという状況があったとしたら、これは多大な損失である。

今ある状況が常にベストではない、という意識が施設のトップや管理職に求められるし、ベターな方法に変えようとする職員の思いや提案をしっかり受け止めることが必要だ。それが現場職員のモチベーションに繋がる。やる気のある職員が、やる気のない職員に足を引っ張られて何もできずに燃え尽きてしまう職場は最悪だろう。

やる気のある職員の思いやアイディアが生かされる職場でなければならない。

しかし、同時に、それを「生かす」とは、何もかもが受け入れられる自由とは異なることも一面の真実である。我々のケアサービスは、人の生活に関わるものなんだから「やりすぎ」で失敗は許されないし、単にパフォーマンスに終わってしまってもいけない。

ここのバランスや調整が僕の役割かもしれない。

どちらにしても今、この時点も、数年後にはすぐ「昔」になってしまう。そして我々は決して高いハードルを越えたわけでも、ゴールにたどり着いているわけでもないことだけは間違いない。

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