(昨日からの続き)
入浴といえば、こんなこともあった。

僕の施設は昭和58年に開設されたのであるが、当時、入浴日は火、金の午前が特浴のみ、午後からが一般浴で、まさに入浴日であり、その日は、1日中入浴支援が主サービスという状況であった(人の配置も少なかったが)。特浴介助などは相談員も事務員も「搬送介助」で半日かかりきり、という状況であった。しかし逆説的に言えば、1週間のうち、5日間は入浴支援を「しない日」であったわけである。

そんな状況の中、最初の正月を迎えるにあたって、事務職員が休暇の際の入浴介助をどうするか、ということについて元旦にも入浴支援を行なうことにして実施した。

しかしそれに対して、介護職員から数多くの不満の声が噴出した。

「昔から元旦は何にもしないで過ごす日だ」という意見もあった。こういうことをいう職員は自分は毎年元日には決して入浴しない、という習慣を持っていたのであろうか?そうであっても意味が違うだろう。支援が必要な人に、必要な支援をしないのが昔からの元旦の過ごし方であるとでも言うのだろうか?まさに利用者本位ではなく、サービスを提供する側の論理でしか何事も考えられていない証拠であったろう。

事務所が休みのときに事故があったらどうするの、という主張もあった。できることより、できない理由を探しているようなものだ。今でこそ、年末年始に関係なく、日課としての入浴支援はいつも行なわれているが、当時は事務職員等の年末年始休暇に合わせて、入浴日も変える、という状態がまかり通って、利用者に選択性はまったくない状態であった。

この状況で「生活の質」とか「収容の場から生活の場へ」というキャッチフレーズは、当時の新米職員の僕でさえも知っていた言葉であったが、理念に伴う実践は皆無だったといってよい。

これは変だと気付いても、僕自身にもそれを変える力量も権限も無かった。

それから、当時のホームには個室が無く、4人室と2人室のみであった。

しかもベッドスペースを仕切るプライベートカーテンは、カーテンレールはあるが、実際にカーテンを設置しているベッドは全部ではなく、一部の人のベッドのみであった。

カーテンを設置するのは、自分でカーテンを開け閉めできる人のみであったのだ。つまり自立度の比較的高い人に限られ、オムツを使用してベッド上でおむつ交換が必要な人にプライベートカーテンが設置されていない=他者の目から仕切る配慮が皆無の状態でおむつ交換が行なわれていた、という状況である。

理由は、介護の手間がかかりカーテンが邪魔である、という理由である。オムツ交換のたびにプライベートカーテンを開け閉めするなんて手間はかけられないという理由だ。まさに利用者不在の介護者からの論理でしかない。

さすがに居室の入り口を開けっ放しでおむつ交換をする、なんていうことは無かったが、それでもひどい考え方であった。これは「おかしいぞ」ということで、全部のベッドにプライベートカーテンを設置するよう提案すれば、介護の現場からは手間がかかって意味が無いとか不満が噴出し、事務方からは設置費用という馬鹿げた問題が指摘された。

もともと設置すべきカーテンを使っていないのだから、当然かけるべき経費をかけていないという「当たり前」のことさえも納得させるのに多大な労力を必要とする状況である。

しかし考えてみれば、排泄介助という、羞恥心と関連深い支援行為を他人から見られながら行なわれる利用者の立場に立てば、費用云々など言っている場合ではないし、人前に陰部をさらされるのは、それ自体人権蹂躙だ。そんなこと以前に、自分がその立場に立たされて我慢できるだろうか考えれば自ずと答えは出る。自尊心を喪失しないと暮らせない場所で何が「生活の場」であろうか。

幸い何とかプライベートカーテンは全部の場所に設置したが、職員の意識の低さを変えるのにも苦労した。設置したカーテンを閉めないで「排泄介助」を行う職員がまだまだたくさんいた。うっかりというより、作業的に全ての動作を考えるから、利用者への生活支援という意識が薄いから、機械的作業になっている証拠であったろう。この意識を変えるのにもかなりのエネルギーを消耗したものである。

ポータブルトイレもしかり、単にベッドサイドにポータブルトイレを置くだけで、それを遮蔽するという意識に欠けていることで、利用者の人格は深く傷つく。

排泄ケアの際、羞恥心への配慮が無い職員は「自分がトイレに入った際も決してドアを閉めてはいけない!!」と怒ったのもこの時期のことであった。(明日に続く)

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