要介護認定の見直しの流れ等については「要介護認定の見直しの背後にある影」にも書いたが、今、特養や老健で新しい介護の基準時間を設定する為のデータ収集として「1分間タイムスタディ」が行なわれている。
このことについて全老施協主催の「女性フォーラム」のなかで中村会長が語っている内容が興味深い。
1分間タイムスタディは新しい介護認定の基礎データとなるだけではなく次の報酬設定の基礎データにもなるというのである。その内容を読んで、なるほどと思ったので、その発言要旨をまとめてみる。
(老施協会長発言要旨)
厚生労働省が「1分間タイムスタディ」を特養、老健で実施しているが、そのデータとして
1.多床室とユニットケア型の介護量の差
2.日中と夜間のケアに基づく介護量の差
3.要介護度別の介護量の差
以上にも注目して調査しているが、これに顕著な差が出れば、次期介護報酬単価にも大きく影響する。「私たちにとって死活問題のデータだ」とし、例えば、多床室がユニットケア型に比べ介護量が少ないとされた場合、両者には大きな報酬単価差が生じ、多床室は「生活支援型」ではないとされ、報酬が大幅に減額される可能性に言及している。
また障害者自立支援法と同様に「日中介護」と「夜間介護等」の分離の為のデータともなり得る恐れがあると指摘している。加えて、介護度別で介護量が大きく差がでれば介護量が少ない軽介護者は介護保険から外すという根拠データになりかねないと指摘している。
(要旨以上)
つまり次期介護報酬では一律報酬を下げるんではなく、有資格者の配置等の加算など、サービスの品質保持に関する評価を設け、メリハリをつけ報酬増となる場合もあり得る、という考えを社会援護局長が表明していることは「次期介護報酬改訂に関する社会援護局長の考え方から見えるもの」で書いている通りであるが、その前提に、既存施設の多床室単価の引下げがまずありき、という考え方があるという意味である。
なるほどと思った。しかも1分間タイムスタディ自体の積算介護時間というものには胡散臭さ、実態との乖離があり、データの読み方でどうにでも取れる部分が排除できない。まず多床室報酬減ありきでデータを読む、ロジックを作り上げる。そういう可能性だってあるわけである。
しかし多床室の介護の手間は、個室における手間よりかかる場合がある。例えば、個室で着替えや排泄の援助を行う場合は、入り口から室内が見えない状態にすればプライバシーを守って、羞恥心に配慮したケアが出来るが、多床室であれば、それに加えて、ベッドの周りを囲むプライベートカーテンを引いたり、衝立を立てたり、更には物音や臭いにも配慮が必要となり、声かけにも、同室者の方に迷惑をかけたり、遠慮をさせないよう、様々な手間と労力がより必要になる、ということについては以前にも指摘している。
つまり個室のほうが多床室よりアメニティは高いが、介護の手間が多床室に比べて大きくなるわけではない。
導線上の問題、それが広がるというのであれば、それは施設全体の問題で居室の中の介助の問題ではないだろう。ここをきちんとみることが可能なのか?なんとも怪しい限りである。
これ以上、多床室の報酬が引き下げられたら、だれも多床室の施設を経営したくなくなるぞ。でもそのとき困るのは経済的負担に耐えられない層の高齢者自身ではないか。社会福祉のサービスは守られるのかという問題が一つある。
生活支援型というケアの品質は1分間タイムスタディで測れる問題ではないだろう。報酬にメリハリをつけて質を評価する、という次期報酬改定の自体とは、全体のパイを下げ、ユニット型施設に報酬を厚くした分を、既存の施設、特に多床室をターゲットに下げるというなら、非常に危うい改革といわねばなるまい。
経済的弱者には霞を食わせて生きろ、というのだろうか。
しかもである、会長の話によると老健局の考え方は「特養に入っていること自体が尊厳を支えるケアではない。生活支援機能施設はユニットケア型であり、ユニット型以外は施設でないと言っている」と発言している。
これでは既存施設でサービスの向上に努めている現場職員は浮かばれない。
せめて準ユニット加算でもとらなければ「駄目な施設」という烙印を押されているということなのか?ユニットケアが形だけで、ソフトが伴わないところだって数ある。既存施設でも加算算定はできていなくても個別ケアに取り組んで成果を上げている施設がある。そういうのは全部無視なのか?
形や建前より、利用者や家族の顔を見て、声を聞く、という血の通ったアウトカム評価が必要ではないか。
介護・福祉情報掲示板(表板)
このことについて全老施協主催の「女性フォーラム」のなかで中村会長が語っている内容が興味深い。
1分間タイムスタディは新しい介護認定の基礎データとなるだけではなく次の報酬設定の基礎データにもなるというのである。その内容を読んで、なるほどと思ったので、その発言要旨をまとめてみる。
(老施協会長発言要旨)
厚生労働省が「1分間タイムスタディ」を特養、老健で実施しているが、そのデータとして
1.多床室とユニットケア型の介護量の差
2.日中と夜間のケアに基づく介護量の差
3.要介護度別の介護量の差
以上にも注目して調査しているが、これに顕著な差が出れば、次期介護報酬単価にも大きく影響する。「私たちにとって死活問題のデータだ」とし、例えば、多床室がユニットケア型に比べ介護量が少ないとされた場合、両者には大きな報酬単価差が生じ、多床室は「生活支援型」ではないとされ、報酬が大幅に減額される可能性に言及している。
また障害者自立支援法と同様に「日中介護」と「夜間介護等」の分離の為のデータともなり得る恐れがあると指摘している。加えて、介護度別で介護量が大きく差がでれば介護量が少ない軽介護者は介護保険から外すという根拠データになりかねないと指摘している。
(要旨以上)
つまり次期介護報酬では一律報酬を下げるんではなく、有資格者の配置等の加算など、サービスの品質保持に関する評価を設け、メリハリをつけ報酬増となる場合もあり得る、という考えを社会援護局長が表明していることは「次期介護報酬改訂に関する社会援護局長の考え方から見えるもの」で書いている通りであるが、その前提に、既存施設の多床室単価の引下げがまずありき、という考え方があるという意味である。
なるほどと思った。しかも1分間タイムスタディ自体の積算介護時間というものには胡散臭さ、実態との乖離があり、データの読み方でどうにでも取れる部分が排除できない。まず多床室報酬減ありきでデータを読む、ロジックを作り上げる。そういう可能性だってあるわけである。
しかし多床室の介護の手間は、個室における手間よりかかる場合がある。例えば、個室で着替えや排泄の援助を行う場合は、入り口から室内が見えない状態にすればプライバシーを守って、羞恥心に配慮したケアが出来るが、多床室であれば、それに加えて、ベッドの周りを囲むプライベートカーテンを引いたり、衝立を立てたり、更には物音や臭いにも配慮が必要となり、声かけにも、同室者の方に迷惑をかけたり、遠慮をさせないよう、様々な手間と労力がより必要になる、ということについては以前にも指摘している。
つまり個室のほうが多床室よりアメニティは高いが、介護の手間が多床室に比べて大きくなるわけではない。
導線上の問題、それが広がるというのであれば、それは施設全体の問題で居室の中の介助の問題ではないだろう。ここをきちんとみることが可能なのか?なんとも怪しい限りである。
これ以上、多床室の報酬が引き下げられたら、だれも多床室の施設を経営したくなくなるぞ。でもそのとき困るのは経済的負担に耐えられない層の高齢者自身ではないか。社会福祉のサービスは守られるのかという問題が一つある。
生活支援型というケアの品質は1分間タイムスタディで測れる問題ではないだろう。報酬にメリハリをつけて質を評価する、という次期報酬改定の自体とは、全体のパイを下げ、ユニット型施設に報酬を厚くした分を、既存の施設、特に多床室をターゲットに下げるというなら、非常に危うい改革といわねばなるまい。
経済的弱者には霞を食わせて生きろ、というのだろうか。
しかもである、会長の話によると老健局の考え方は「特養に入っていること自体が尊厳を支えるケアではない。生活支援機能施設はユニットケア型であり、ユニット型以外は施設でないと言っている」と発言している。
これでは既存施設でサービスの向上に努めている現場職員は浮かばれない。
せめて準ユニット加算でもとらなければ「駄目な施設」という烙印を押されているということなのか?ユニットケアが形だけで、ソフトが伴わないところだって数ある。既存施設でも加算算定はできていなくても個別ケアに取り組んで成果を上げている施設がある。そういうのは全部無視なのか?
形や建前より、利用者や家族の顔を見て、声を聞く、という血の通ったアウトカム評価が必要ではないか。
介護・福祉情報掲示板(表板)
しかし本当に格差社会ですね。世の中銭があれば勝ちなんですかね。
この国はなし崩し的に様々な仕組みを変えていこうとしている。社会保障制度も福祉という側面がいつの間にか金がある人がより利益を受けることができものへと換えられているような気がしてなりません。
これでは浮かばれませんわ。