介護保険制度の改正で2号被保険者が介護保険の認定対象になる特定疾病に「末期がん」が加えられたことで、ターミナルケアの現場に介護支援専門員がより深く関わる場面が増えている。その中で末期がんであることの告知について、昨年「末期癌が特定疾病に追加されたことで生じる問題。」で現状と問題を指摘している。

また特養における看取り介護(ターミナルケア)においても「看取り介護計画」の同意を得る段階で、誰に計画を説明して同意を得るかについて、僕は、死期が近いという告知に繋がる「看取り介護計画の同意」を利用者本人から得ることのメリットは見出せず、家族に同意をいただいている現状を「看取り介護考〜死の告知。」の中で説明している。

これらの中で僕は、末期がんであることや看取り介護であること、つまり死期が近いという事実を本人に告げることは絶対に必要なことではなく、本人が知らずにいたほうが良いケースも多いことを主張した。

しかし僕は、末期がんであることの告知や、死期が近づいている事実としてターミナルケアを行うことを、何が何でも本人に告げるべきではない、という立場を取っているわけではない。むしろ自分自身に置き換えて考えれば、事実を伝えて欲しいと思う気持ちのほうが強いかもしれない。

しかし現実として、居宅サービスの現場で、介護保険サービスを導入したい40代の末期がんの方がいる状況で、家族が「介護保険のサービスを導入すれば本人が末期がんであることに気づいてしまう」という理由で、その導入をあきらめるケースが実際にあるし、そのお気持ちや、デメリットも十分理解できる。特養の看取り介護においては、その事実を本人に告げたケースはなかったし、それが正しい選択であったと思っている。

ところで、このことについて末期がんや看取り介護に関わらず、死期が近い、近い将来確実に死が訪れることを本人に告げるべきであるか、隠したほうがよいかという議論がされることは必要であると思う。しかしその議論の中身が問題である。

本当に「死」というもの、そこに向かっている人がその限られた時間を知ることの意味やショックを真剣に考えているのかと疑いたくなるような議論がある。現場の介護支援専門員でも「私が関わったケースから考えると、どちらかというと知らせないより知らせたほうが良かったケースが多いように思う。だから告知は必要」という意見がある。

あいまいな感想を根拠に、統計的な数値もなく、深刻な問題をあまりに主観に偏って議論を展開する見識を疑ってしまうことがある。

その介護支援専門員は何をもって「告知したほうが良かった」という事実があるのか。きちんと説明できるのだろうか。また告知しなかったケースは、告知したケースと比べて、どのようなデメリットがあったか明確に説明が可能な事実があるのか?主観や想像で論ずることが出来るような軽い問題ではない。

さらに9割の方が告知したほうが良いという事実があったとしても、では告知しなかったほうが良かったケースが1割しかないのだから、原則は告知が良い、ということにはならない。我々の軽率な言動の影響で、死の恐怖におびえながら終末期を過ごさねばならないようなことが、一人にでも生じさせてはならないのであり、告知すべきかは、確立や多数議論ではなく、常に個々のケースで様々な条件や環境を考慮に入れて考えるべきで、そうした現場に立ち会う医師や看護師や介護サービスの担当者が常に持つべき態度は「どちらが良いとは言えない」という態度を基本に「個々に考える」 とすべきだと思う。

実際の終末期医療や看取り介護に関わった経験がある方はわかる方も多いだろうが、告知を希望する人に対し、その希望通り告知したからといって、それがすべてよい結果に結びつくとは限らず、告知された数日後に自ら命を絶ってしまうケースもある。

また告知して、それを受け入れることができる方でも、家族しかいない場面で「死の恐怖」に懊悩する姿を見せる人もいる。世間一般、他者からは告知され、死期が近いことを従容と受け入れているように見えても、それ以外の顔を妻だけには見せ続けて亡くなられる方もいる。

こうした方々に本当に告知は必要であったのだろうか。

少なくとも告知することについては、そのことによってメリットもデメリットもあるし、告知しない場合も同じである、という理解が必要であろう。

以前、僕の施設の所属医師で、数多くの末期がんの方に関わっていた先生がいて、僕が告知は良いことか悪いことか質問したことがある。その時の答えは「告知しなかったことで起こる問題もあるし、したことで起こる問題もある。どっちが良かったかなんて自分が死ぬときでもわからんよ」 と言われたことがある。僕はこの言葉を常に噛み締めながらターミナルケアの場面に関わっていこうと思っている。

もちろん死期を知って、それに備えた様々な準備を行うことが必要な方もいる。それは理解できるし、告知が必要であれば、しかるべき方法で行ったほうがよいケースもあるだろう。

また告知してほしいという意思を明確にもって、それを表明している人に対し、そのことを否定して、その希望に反することはできないであろうと思ってはいるが、そのときでも告知による精神的ショックやそのことで生ずる障害は「あって当然」という認識を持つべきだし、それに対する支援準備を欠かせないと思う。

告知することと、しないことの「どっちがよいのか」という考え方を固定的に一つの答えとして持つ必要はないし、逆に、どちらかが良いと頑固に固執することは良くないと思う。

少なくとも、どちらが良いか判断がつかない場合は、あえて告げないほうがよいという立場を僕は取るだろう。

なぜならほとんどの人間は自分の限りある時間がいつ終わるか、あらかじめわからないところで、その瞬間を迎えるからであり、それが、神が与え賜うた人の「限りある命」というものの本質ではないかと考えるからである。

何が何でも全てを知っていないと幸福な人生とは言えない、ということではないのではないだろうか。

介護・福祉情報掲示板(表板)