今日の土曜は、仕事も休みである。いつもならブログの更新もお休みするのであるが、デザインを変えることにして朝から作業を行っている。知識が不足しているのでスタイルシートの更新の際、わからないことがあって完成はしていないが、大方、公開できる形にはなったので、一応新デザインに更新した。
タイトルの画像は、オフロードバイクである。
高校時代、バイク、特にオフロードバイクが好きでスズキのハスラーというバイクを乗り回していた思い出があるが、この厳しい制度の中で、道なき道を走り続けていく、という今日の福祉現場の状況を象徴する意味もある。
ところで僕の愛車ハスラーは、僕が大学4年のある日、弟が事故を起こし廃車にしてしまった。
その日は札幌のホテルで知人の結婚式に出ていたが夜、帰宅すると家には誰もおらず、夜中にけたたましく電話が鳴った。市立病院からで、弟が事故で緊急手術をしているという。酒の酔いも一気に覚め、病院に駆けつけると、頭を打った弟の手術はまだ続いていた。朝方までかかった手術は何とか成功したが、その後彼は生死の境を行き来し、家族も覚悟したことがあった。彼が17の冬である。
幸い死の淵から生還した彼は、その後、後遺症も残らず、本州のある大手企業に就職し原子力発電に関わっていたが、様々な事情で数年後に北海道に帰ってきて、別の職業についてた。
しかも10年ほど前、かれは再び交通事故を起こす。バイクの事故は彼の過失ではなく相手側の過失によるものであったが、今度の事故は、彼の運転する車の単独事故であり、しかも酒気帯び運転で言い訳の出来ない事故であった。
そして彼はあの日と同じように手術室に横たわり、僕の父母は再び医師から覚悟を促された。
幸い、その時も彼は生還した。足にはやや障害が残ったが、日常生活に支障はない。しかし酒気帯びの事故で、事故を起こした車も会社のもので、地元の新聞にも大きくそのモラルと共に取り上げられた。当然、責任は免れず、解雇もやむを得ない状況である。
しかしその時、なぜ彼が会社の車両を酒気を帯びた状態で運転したのか?警察の事情聴取の際にも、会社の上司からの聴取にも、彼は自分の責任以外、一言も語らなかった。やがて解雇の方針が決まったとき会社の同僚や後輩から、情状酌量、解雇反対の声が上がった。
彼の会社は全道チェーンの飲食業であるが、不思議なことに、それらの声が全道の支店から寄せられた。
結局彼は、給与の7割カットと東北に進出した支店への配置転換という形で会社に残った。そして全く見知らぬ町で働いた数年の間に、店の同僚と結婚し家庭を持った。
そして東北の支店の業績を上げ、昨年札幌の支店に店長として戻ってきた。両親は僕と離れた実家で暮らしていたが、父が入退院を繰り返して体調が悪いときで、彼が奥さんと共に実家に同居してくれたことは、僕も安心したし、何より両親が喜んだことだろう。
その父が昨年9月に急逝した。弟夫妻が同居するようになってから、わずか5ケ月後のことである。しかし父は体調が悪いながら、自宅で生活し、倒れて心停止したときも、弟の妻に、母と一緒にドライブに連れて行ってもらって(僕の父は若い頃から自分で運転は出来ないのにドライブ好きであった)、帰りに大型量販店に寄っている最中の事であった。
僕と弟は倒れたときには間に合わなかったが、母と弟の妻によって充実した時間を過ごした中での出来事であったと思う。父は一旦心臓が動き、その1週間後に死亡したが、最後まで意識は回復しなかったものの最期は孫も含め全ての家族に見守られて逝った。弟夫妻が短い期間でも同居してくれて本当に良かった、と思う。
弟は事故に2度も会うという不幸に見舞われ、運が悪いという見方も出来るが、あえて僕は、そんな大事故で命が救われてことを幸運と思う。目に見えないものに感謝している。
命があることで、たくさん幸せが彼にも彼の周りにも生まれてくるのだ。本当にあの時死ななくて良かった。死んだ父が一番そう思っているだろう。弟より先に逝けて喜んでいるかもしれないと前向きに考えても良いと思う。
僕のつぶれて廃車になったオフロードバイクも、僕らの人生の肥やしになってくれているはずだ。タイトル画像にはそんな思いもある。人生何事も前を向いて歩かなきゃあ。
今日は別の事を書くつもりだったが、高校生の頃、大学生の頃を思い出して妙に感傷的な気持ちになって僕自身の話で終わってしまった。認定調査の変更の話題は別の機会に書きたい。
介護・福祉情報掲示板(表板)
タイトルの画像は、オフロードバイクである。
高校時代、バイク、特にオフロードバイクが好きでスズキのハスラーというバイクを乗り回していた思い出があるが、この厳しい制度の中で、道なき道を走り続けていく、という今日の福祉現場の状況を象徴する意味もある。
ところで僕の愛車ハスラーは、僕が大学4年のある日、弟が事故を起こし廃車にしてしまった。
その日は札幌のホテルで知人の結婚式に出ていたが夜、帰宅すると家には誰もおらず、夜中にけたたましく電話が鳴った。市立病院からで、弟が事故で緊急手術をしているという。酒の酔いも一気に覚め、病院に駆けつけると、頭を打った弟の手術はまだ続いていた。朝方までかかった手術は何とか成功したが、その後彼は生死の境を行き来し、家族も覚悟したことがあった。彼が17の冬である。
幸い死の淵から生還した彼は、その後、後遺症も残らず、本州のある大手企業に就職し原子力発電に関わっていたが、様々な事情で数年後に北海道に帰ってきて、別の職業についてた。
しかも10年ほど前、かれは再び交通事故を起こす。バイクの事故は彼の過失ではなく相手側の過失によるものであったが、今度の事故は、彼の運転する車の単独事故であり、しかも酒気帯び運転で言い訳の出来ない事故であった。
そして彼はあの日と同じように手術室に横たわり、僕の父母は再び医師から覚悟を促された。
幸い、その時も彼は生還した。足にはやや障害が残ったが、日常生活に支障はない。しかし酒気帯びの事故で、事故を起こした車も会社のもので、地元の新聞にも大きくそのモラルと共に取り上げられた。当然、責任は免れず、解雇もやむを得ない状況である。
しかしその時、なぜ彼が会社の車両を酒気を帯びた状態で運転したのか?警察の事情聴取の際にも、会社の上司からの聴取にも、彼は自分の責任以外、一言も語らなかった。やがて解雇の方針が決まったとき会社の同僚や後輩から、情状酌量、解雇反対の声が上がった。
彼の会社は全道チェーンの飲食業であるが、不思議なことに、それらの声が全道の支店から寄せられた。
結局彼は、給与の7割カットと東北に進出した支店への配置転換という形で会社に残った。そして全く見知らぬ町で働いた数年の間に、店の同僚と結婚し家庭を持った。
そして東北の支店の業績を上げ、昨年札幌の支店に店長として戻ってきた。両親は僕と離れた実家で暮らしていたが、父が入退院を繰り返して体調が悪いときで、彼が奥さんと共に実家に同居してくれたことは、僕も安心したし、何より両親が喜んだことだろう。
その父が昨年9月に急逝した。弟夫妻が同居するようになってから、わずか5ケ月後のことである。しかし父は体調が悪いながら、自宅で生活し、倒れて心停止したときも、弟の妻に、母と一緒にドライブに連れて行ってもらって(僕の父は若い頃から自分で運転は出来ないのにドライブ好きであった)、帰りに大型量販店に寄っている最中の事であった。
僕と弟は倒れたときには間に合わなかったが、母と弟の妻によって充実した時間を過ごした中での出来事であったと思う。父は一旦心臓が動き、その1週間後に死亡したが、最後まで意識は回復しなかったものの最期は孫も含め全ての家族に見守られて逝った。弟夫妻が短い期間でも同居してくれて本当に良かった、と思う。
弟は事故に2度も会うという不幸に見舞われ、運が悪いという見方も出来るが、あえて僕は、そんな大事故で命が救われてことを幸運と思う。目に見えないものに感謝している。
命があることで、たくさん幸せが彼にも彼の周りにも生まれてくるのだ。本当にあの時死ななくて良かった。死んだ父が一番そう思っているだろう。弟より先に逝けて喜んでいるかもしれないと前向きに考えても良いと思う。
僕のつぶれて廃車になったオフロードバイクも、僕らの人生の肥やしになってくれているはずだ。タイトル画像にはそんな思いもある。人生何事も前を向いて歩かなきゃあ。
今日は別の事を書くつもりだったが、高校生の頃、大学生の頃を思い出して妙に感傷的な気持ちになって僕自身の話で終わってしまった。認定調査の変更の話題は別の機会に書きたい。
介護・福祉情報掲示板(表板)
特養に勤務して五年目、おそらくmasaさんと同年代のケアワーカーです。
新しいスタイルシート、とても見やすくて助かります。(少し老眼が入ってきているので小さい文字が見えにくくて・・・泣)
いつもの専門的な内容も、フムフム〜とよく分からないながらに見せていただき、勉強させてもらっていますが、今日のような内容には思わず反応してしまいます。
ずっと以前ですが、masaさんが福祉職に就くことになったきっかけについての話や、お父様の話など、なぜだか、時折思い出すのです。(難しい話が苦手というのもある)
時々「僕自身の話」楽しみにしています。
これからもよろしくお願いします。