好きな言葉や格言というのは一つではなく数多くある。

しかし「貴方にとって一番心に残っている言葉は何ですか?」と問われれば、僕は迷いなく、ジョージ・エドワード・フォアマンのある言葉を挙げるだろう。

フォアマンは知る人ぞ知る、有名なボクサーである。
1949年アメリカ・テキサス州で生まれた彼は「象をも倒す」といわれた抜群の強打を武器に、メキシコオリンピックでヘビー級の金メダルを獲得し、プロ転校後も1ラウンドKOの山を築き上げ、24歳で無敗のまま世界ヘビー級の王者に駆け上がった。王者を取った試合も、無敗のカリスマ、カシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)に始めて黒星をつけたジョー・フレイザーをわずか2RでKOするという圧巻の勝利だった。

でもこの頃のフォアマンは、僕はたいして好きでもなかったし、何も感じなかったし、実は彼の本当のボクサーとしての歴史も、まだまだ序章だった。

王者になった翌年、彼はアフリカ、コンゴ共和国で元王者モハメド・アリと対戦することになる。

アリといえば、ローマオリンピックの金メダリストでプロ転校後、王者に駆け上がり、誰にも負けたことがないまま、1967年ベトナム戦争に反対し、良心的理由から兵役を拒否して無敗のチャンピオンのままライセンスを剥奪され、1970に復帰するまでリングに立てなかった英雄だ。

しかしこの頃の彼は復帰後、フォアマンが王者を奪った相手であるフレイザーに敗れたり、ケン・ノートンにあごを砕かれ敗れるなど、全盛期を過ぎたといわれ、フォアマンの敵ではないと言われていた。

しかしアリ対フォアマンの試合は「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言われたアリの華麗な8Rノックアウト勝利の結果で終わった。ボクシング史上最も有名な「キンシャサの奇跡」である。

失意のフォアマンはその後、パッとした戦績もなく「キンシャサの奇跡」から3年後に引退。宣教師として伝道の道に入り、リングと無縁の生活に入った。

ところがここから彼の新たなストーリーが始まった。

伝道師として地味な生活を続けてきたフォアマンが1987年、38歳になって、突然リングに戻ってきた。しかもその理由は、青少年の更生施設の建設費用捻出のためのリング復帰であった。

全盛期をとっくに過ぎた40前のおっさんである。だれも期待しなかった。案の定、世界タイトルに2度挑戦するが2度とも敗戦であった。復帰後2度目のタイトルマッチに負けたフォアマンは44歳になっていた。もう彼にボクサーとしての未来はないだろうと誰もが思った。

しかしその翌年45歳で彼は マイケル・モラーのもつ、WBA・IBF世界ヘビー級タイトルに挑戦し、10ラウンドKOで勝利。最年長世界ヘビー級チャンピオンとなる。(その後47歳までベルトを守る)「キンシャサの奇跡」で挫折したボクサーが、45歳で、宗教活動のための資金集めのリングで起こしたもう一つの奇跡である。

僕の忘れられない言葉は、45歳のフォアマンがタイトルを奪った後の記者会見で語った言葉である。

そのときの、あの言葉
「子供たちに言いたい。夢を持て。そして夢をあきらめてはいけない」〜ここまでは普通の言葉で、よくある言葉だ。僕が心に強く残っているのは、この言葉に続けられた次の一言だ。

大人たちに言いたい。夢は子供達だけのものじゃないぜ。」

かっこいいのである。ともかく無性に感動するのである。45歳のおじんが、大人も夢をもてるんだと言っている。おっさんが夢を持って、それをあきらめないで、追いかけてもかっこ悪くないんだと言っている。しかも彼の夢は年をとって世界チャンプになることではなく、そのことで稼いだお金で、青少年の更生を援助することである。かっこよすぎる。

おじさんになった僕も僕なりの夢をもって良いし、高齢者のサービスだってアセスメントから生活課題を引き出して、それに対する目標達成を支援するだけでなく、高齢者自身が夢を持てて、その夢をかなえる為の支援の視点があったって良い。

課題より夢を引き出すアセスメントなんて素敵じゃないか。

「子供たちに言いたい。夢を持て。そして夢をあきらめてはいけない。大人たちに言いたい。夢は子供達だけのものじゃないぜ。」・・・!!

介護・福祉情報掲示板(表板)