(続き:昨日のブログに続いて読んでください)
東京都老人総合研究所の推奨する筋力向上トレーニングの方法、特にマシントレーニングの意味について質疑応答の際、会場から大渕氏に対し、「既存の事業所でかつてマシントレーニングを行ってきた事業所もマシンが無用の長物と化して倉庫に眠って使われていない事業所がたくさんある。その二の舞になるのではないか」という疑問が出された。

それに対し大渕氏は「それはハードの問題ではなくハードを使いこなすソフトがなかったからだ。東京都老人総合研究所がおこなっている筋力向上トレーニングはソフトがしっかりあるからそのようなことにはならない」というものであった。

しかし、そのソフトについては誰がその知識を持ち、全国津々浦々の予防通所サービス等の担当者に伝えてくれるものなのか?

東京都老人総合研究所で指導を受けた専門家しかそのノウハウを持っていないではないか。これが全国的な介護予防通所サービスにどのように浸透させるのかということに関して言えば、その「ソフト」はないわけであり、大渕氏の言っていることはある意味で「このソフトによる方法ではない予防メニューの効果は期待できない」ということで、しかも有効なソフトを導入して使いこなす方法については「我関せず」という意味にしかとれない。

本当にそんなサービスが出来るのか、ソフトを使いこなす専門家の配置など出来ない報酬単価ではないか、できないなら我々の事業所の通所サービスはどうなってしまうのか、非常に暗澹たる気持ちになったと記憶している。

ある特定の専門家集団により研究され確立された方法論について、これをわが国の「介護予防」のエビデンスとするには、それが「誰でも、どこでも、いつでも」実施できる伝達実行システムを作らなければ意味がないし、結果として、この国全体の介護予防にはならないではないか。

ソフトはここにあるけれど、それを使いこなせるかは、それぞれの地域や事業所の能力や裁量で、やる気があるなら勝手にもって行きなさい、という意味しかない方法論など、国全体の制度サービスにおいて、どれだけの意味があるというのだろう。ソフトとはそうした伝達システムがあって始めて有効なツールになるもので、ここの部分に具体的方法論やきめ細かい配慮がないこのサービスの前途は暗いと当時も感じたものだ。

実際の結果はどうであったか。

通所サービスの運動器向上トレーニングに求められた「何らかの形での専門家の介入」とは介護予防やマシントレーニングの専門家ではなく、配置職員の中で介護予防能訓練指導員を発令し1時間程度の専従を求めたり(通所介護)、療法士の配置(通所リハビリ)であったり、新たな人の配置をしなくても良い形となった。

というより介護報酬を下げたんだから、あらたな専門家配置を義務付けられなかった、ということである。

事業所としては新たな専門職を雇用したり、契約して派遣してもらったりする必要はないのだから、報酬が下げられても、何とか通所サービス事業を継続運営する為に、予防と介護をパックでサービス提供することで活路を求められるわけで、運動器向上メニューも「予防効果」を中心にメニュー作りするよりも「今いる職員でできる内容」で組み立てられる視点に傾くのは当然といえば当然の結果なのであり、ましてやエビデンスのないサービスだから、現時点で、それが悪いとか、あっちが適切だとか、誰も評価が出来ないわけである。

その結果、メニューもマシントレーニングに限らないどころか、全国的な標準的ソフトがないまま、内容は事業所に丸投げされて各事業所で行われているんだから、運動器向上メニューは、マシン、非マシン、さらにその内容も様々で「何をしよう」というところから始まっているので、その効果など正直「予測できない」というのが実態である。

しかしそんなことはモデル事業の検証過程や、予防サービスメニューの導入の経緯から容易に予測できたことで、つまりは国は、このサービスに対しての介護予防効果など当初から期待していないという裏の顔が見えてくるのである。

いうなればソフトや内容を充実させる手立てや配慮にはコストがかかる。だからそこは放棄したという意味であり、新たな介護予防サービスの「予防効果」 なんか、はじめから期待しておらず、給付費抑制の一つの形としてポーズをとるために、しかも介護予防という国民のニーズを満たす新たなサービスが出来たような幻想を、市民や関係者に抱かせる形で、国民が受け入れやすいルール変更としての効果も含めて、このサービスを導入した、という意味しか見出せない。

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