この国の国民性なのか、物事への順応力は半端ではない。

制度改正前に新予防給付の効果に疑問を投げかけていた人が、制度改正から半年を経た現在では、あたかも「新予防給付の番人」であるかのように、家事援助はだめだ、通所サービスの回数は国が決めた標準回数でなければ認めない、と声高らかに呼ばわっている。

意見を変えることは、あって当然のことであるが、説明責任も果たさず、それなりの立場にある人が、舌の根も乾かないうちに、一方的に反対の立場をとって、その考えを第三者に押し付けようとするのは「権力」の押し付けそのものである。恥を知りなさい。

以前にも紹介したが、ある障害者の方の言葉に次のようなものがある。
「私は一人では着替えも出来ないし、排泄も食事も出来ない、すべて人の手を借りないと生活できないが、それでも自立している。なぜなら、10分間人の手を借りれば着替えが出来、20分人の手を借りれば食事が出来る。人の手を借りなくて良い時間は自分でパソコンを使って執筆活動が出来る。だから自立している」

できることを保障するために、できないことを支援するのが生活支援である。家事支援が一律、自立を阻害するものではなく、身の回りのことは何とか自立できるが、掃除や調理が「しんどい」人にその支援を行うことは必要な支援だ。

介護予防の訪問介護について、ヘルパーと一緒に家事を行わなければ不適切なプランだと主張する包括職員やケアマネがいるが、どこにそんなことが規定されているんだろうか?

確かに改正議論の中では給付費分科会でそのような考え方が示されていた。

しかし介護予防の訪問介護の解釈通知を見ても

1.介護予防訪問介護の提供に当たっては、介護予防とは、単に高齢者の運動機能や栄養改善といった特定の機能の改善だけを目指すものではなく、これらの心身機能の改善や環境調整等を通じて、一人ひとりの高齢者ができる限り要介護状態にならないで自立し
た日常生活を営むことができるよう支援することを目的として行われるものであることに留意しつつ行うこと

2. サービスの提供に当たっては、利用者の意欲が高まるようコミュニケーションの取り方をはじめ、様々な工夫をして、適切な働きかけを行うよう努めること

3. サービスの提供に当たって、利用者ができないことを単に補う形でのサービス提供は、かえって利用者の生活機能の低下を引き起こし、サービスへの依存を生み出している場合があるとの指摘を踏まえ、「利用者の自立の可能性を最大限引き出す支援を行う」ことを基本として、利用者のできる能力を阻害するような不適切なサービス提供をしないよう配慮すること。

4. 提供された介護予防サービスについては、介護予防訪問介護計画に定める目標達成の度合いや利用者及びその家族の満足度等について常に評価を行うなど、その改善を図らなければならないものであること。〜とされている。

特に3ではこの手の通知では珍しい「〜があるとの指摘を踏まえ」というう表現がある。

私が言っているんではなく、多くの専門家が言っているんだといういい訳か?しかしここでも一律家事援助をともに行わねば不適切などという表現はない。むしろ利用者のできる能力を阻害するような不適切なサービス提供をしないよう配慮すれば「利用者の自立の可能性を最大限引き出す支援を行う」というアセスメント結果による理由付けがされておれば家事援助も必要な場合があることを示しているともいえるし、4では「家族の満足度等について」も評価項目としている。

具体的取り扱い方針でもそれは「介護予防訪問介護計画は、利用者の日常生活全般の状況及び希望を踏まえて作成されなければならないものであり、その内容について説明を行った上で利用者の同意を得ることを義務づけることにより、サービス内容等への利用者の意向の反映の機会を保障しようとするものである」とされている。

90近い人で、それまでまったく家事を行っていなかったのにヘルパーと一緒に調理をして何か効果が出ると思っているのか。運動器の向上が生活を変えるのか?それより身体が自立しているのだから、必要な家事支援をきちんとして、筋トレを行わなくとも他者とコミュニケーション機会を持つため通所サービスに通うほうがよっぽどいい。

介護予防に携わる包括支援センターの職員や予防プランを受託するケアマネは、自立支援をマクロな視点で捉え、議論の過程ででた極端な意見を「一般論」と誤解しないでほしい。

理由がある家事援助はサービスの中に組み込んでよい。一連のサービスの一環としてだ。だから介護予防訪問介護には生活援助と身体介護という区分がないではないか。

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