事件、事故に関わるやりきれないニュースが多い中、週末にまたまた気分が重くなるニュースが飛び込んできた。

東京都の特養での言葉による性的虐待のニュースだ。

表面化した問題は言葉による性的虐待であるが、事の発端は日頃から認知症高齢者の体にアザがあったり、オムツに排泄(はいせつ)物がたまっていたりすることに不信感をもった利用者の家族が小型テープレコーダーを置いて録音したものである。

つまり、たまたま偶然あるいは気の緩みで発した言葉が虐待と取られたものではなく、言葉以外にも不適切な介護や、高齢者に対する虐待が疑われるという意味と感じた。

録音された内容も驚きである。

「女性の名前を呼んで性的な行為を求めた」「オムツ交換中のにおいを毒・サリンなどと話す」これらの言葉の暴力を二人の職員が「いやー、やばいっすよ。盗聴されていたら終わりですよ」と笑いも交えながらやりとりしていたというものだ。

まったくひどいものだ。自分の親御さんを預けている施設の介護の実態がこのようなものであると知ったご家族のショックはいかばかりなものであったろうか。察するに余りある。

こういう報道がされると、これが氷山の一角で特養や介護保険施設で状況の差はあれ、日常的に、このような言葉の虐待や身体的虐待が行われていると誤解されるのが一番怖いことだ。

多くの施設では、自分や自分の身内の立場に立ってサービスを考える視点が教育され、適切な介護サービスを行っていると思う。

しかし一部でも、こんなひどい状態があることを我々も関係者として「対岸の火事」的にみたり、発言したりしてはいけないと思う。

少し油断すれば、似たような状況が気づかないうちに自らの施設でも発生するかもしれないという恐れを抱いている。それは「慣れ」が生む油断である。

虐待をする職員、言葉の虐待を行う職員すべてが日頃から「悪いやつ」といえるかといえば、そうでもなく、ごく普通の人が慣れから不適切な言葉や態度に気づかず、それがエスカレートして、密室場面でそのような不適切な態度をとることに罪悪感を感じなくなってしまうという恐ろしさがこの問題には含まれていると思う。

さらにいえば、不適切な態度や言葉は、気の緩みなどで、どこかひとつの場面だけが不適切となってしまったが、そのほかはすべて適切な介護を行っていて100点ということはあり得ない。

そういう不適切な介護に結びつく根本原因がその施設の基本姿勢の中に根深くあるということで、必ず様々な場面で不適切さは生じているのではないだろうか。

こういう慣れを生まないような職場づくり、が必要だとあらためて感じる。

朝のミーティングでは、早速、このニュースを取り上げ、我が施設でもご家族に誤解される状況が少しでもないか振り返ってほしいことを話した。

日頃から利用者の声かけは「丁寧語」を基本として親しき仲にも礼儀ありということを忘れないように指導しているが、なかなか日常的に守ることができない職員もいる。

さすがに虐待と思うような言葉かけに遭遇することはないが、「冷たい」印象を感じたり、「命令」的な雰囲気が感じられる言葉に出会うことがある。僕がその場に居れば、その都度、注意するが、夜勤帯の介護場面、利用者と職員が1対1の場面など、すべてをチェックするわけにはいかない。

そこは「性善説」のみならず、当たり前の考えとして介護は人の幸せのための支援活動であり、人を不幸にする介護サービスや介護者があってはいけないという基本部分を理解してもらうことが重要だと思って日頃から伝えようとしている。

また例えば食堂で食事介助をしている場面で、利用者や食事とはまったく関係のない話題を職員同士で話している場面がないとはいえない。これも不適切であることは間違いないし、利用者を無視した虐待的態度ととられても言い訳ができないと思う。その点についても、あらためて話をさせていただいた。

介護サービスの評価は、良いサービスを行っているかという以前に、不適切なサービス、特に利用者が「嫌だ」と思うサービスではないか、という検証がまず必要なのだ。

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