野球の勝ち負けに絡んで「次はリベンジ」という言葉が当たりまえに使われるようになったのは、西武の松坂投手が、入団2年目の巨人とのオープン戦で打ち込まれた後に語った言葉からのような気がする。

僕はリベンジという言葉は嫌いだ。復讐する、目には目を、やられたらやりかえす、心意気を現して闘志をかきたてる意味があるんだろうが、野球を愛するものとして、この言葉に違和感を持つ。

ところがマスコミも何かあれば、普通に「新聞」という「その国の英知を現すもの(司馬 遼太郎;談)」の見出しに使っている。なんだかなあ〜。

ところで明後日から夏の高校野球が始まる。

今年の春の大会では、直前に発覚した卒業生の不祥事で出場を辞退した駒大苫小牧の球児たちにとっては、この大会はその悔しさを胸にV2を目指す待ちに待った大会だ。

春の高校野球は、出場辞退した彼らの気持ちを考えたときのやるせなさ、連帯責任の理不尽さへの思い、 などで大会をテレビで見ることもほとんどなかった。

そのとき書いたブログが「連帯責任が人を造る教育になるのか?」である。

彼らとて人間だから、大変なショックを受けたであろう。

夏という目標がなかったら、このことで心に傷を負って人生を過ごすということになった可能性もあるのだ。だからこのとき、自らも校長を辞めたとはいえ、同時にチームを出場辞退させた当時の校長の責任の取り方は今でも「間違っている」と思う。

連帯責任で責任の所在を表すことなど何の意味もない。本当の若者の教育ではない。辞めた校長は本当の意味で教育者ではなかった、という証拠である。

一方、大会前に部員の不祥事が発覚した文星芸大付属高校が、チームの責任を問われず、大会出場できたことは何よりだ。出場を懇願した同校の校長はじめ指導者の態度も間違っていない。事件を起こした生徒の責任は、当事者と学校の責任者がとればよい。3年間、青春のすべてをかけてグランドで汗を流した努力がこんなことで無になるなんている教育は間違っている。

ところで、V3をかけた駒大苫小牧は地元だから(ちなみに僕の長男も高校球児だが同校と同じ地区ブロックで全道にも縁がない)当然応援するが、彼らの甲子園出場を報道する一部マスコミが「駒大苫小牧V3への挑戦〜春のリベンジだ」という見出しを掲げているのはいただけない。

決して彼らはリベンジとは思っていないはずだ。

春に悔しい思いをして、一度分裂しかけたチームにとって、夏、甲子園に「戻って」3連覇に挑戦しようという気持ちしかないはずだ。

彼らにリベンジという言葉は似合わない。高野連にも、学校にも、甲子園にも、恨みを持っているわけではないのだ。

彼らの胸の内にあるものは連覇への挑戦、であり、いつも香田監督が言うように「北のチャレンジャー」であるという初心に変わりはない。

馬鹿なマスコミが彼らを、彼らの印象を、実態からかけ離れた遠いものにすることが心配だ。持ち上げて、少しでもミスがあったら徹底的に叩くのもこの国のマスコミの特徴だ。司馬さんが言ったように「この国の新聞は国の英知を代表するものでなく、しばしば流行を代表する」と言った言葉を思い出す。

なにはともあれ、北の球児たちよ、今年も「さわやか」に甲子園で暴れまわって北海道中を沸かせてほしい。

介護・福祉情報掲示板(表板)