昨日のブログに対して、看護師の方からコメントを頂いた。有難うございます。

さてそのコメントの中で紹介していただいた「痰の吸引行為拡大」に対しての議論について興味深く読ませていただいた。そこで感じたことを昨日の続きとして書かせていただく。

我々が主張している介護職員ができる行為の拡大とは、何も看護師と介護職員ができる行為を「同じくせよ」というものではない。

あくまで今考えられている医行為を見直して、介護職員のできる行為の範囲を拡大してほしいというものであり、具体的には現在「業(なりわい)」ではないから認められるとされている「家族が行っている行為」については介護職員も同様に「可能」とすべきである、という主張である。

いくら「業」 ではないから家族に認めているとはいっても、特別な技術を習得した専門職が行わねば生命の危険がある行為まで家族に渡しているとは考えられない。

ある程度、技術指導して、訓練すれば「家族にもできる行為」であると判断しているから「可能」としているはずであるし、事実そうである。

インシュリンの注射にしても、まったく技術がいらないとはいわないが、そんなに時間を要さずに技術指導して、注意事項を理解していただければ可能になる行為だから、家族に渡している。

痰の吸引は、それに比べて技術的には難しいことは理解しているが、それとて過去においても「家族は可」 とされ、実際に家族に対する痰の吸引の技術指導を行って患者を自宅復帰させていた医療機関も多いはずだ。

ところが、いざこの問題を議論する段階になると日本看護協会はじめ現場の看護師もこぞって技術取得は専門職以外には困難で危険性があり安全性が確保できないから認められない、と主張する。

昨日のコメントで紹介いただいた議論の中でも、看護師の有資格者が次のように発言している。

「看護師の資格を持っていても下手な人はいるのですから、資格が無くても上手な人もいるわけですよ。だから、一概に言えませんけれども、1時間2時間教えてもらって吸引が出来る事ではないです。」

「訓練する場所はどこですか?病院で1時間2時間やったって出来ませんよ。出来ません、それは。」

そういうならなぜ、家族は出来るようになっているのか、それらのご家族に「訓練する場所はどこですか?」と逆に問いたいものだ。

実際は、家族には技術指導と訓練が、ごく短時間で行われ、実際の居宅で行われている行為なのである。

繰り返しになるが、その「家族が行える行為」「実際に家族が行っている行為」を介護職員にも拡大しましょうと主張しているに過ぎない。

そうしないと在宅で医療機器をつけたまま生活している何十満人の患者を誰が支援できるのか?家族しかできないなら家族は外出さえできない。介護職員ができないならショート利用も、施設入所もできない。

訪問看護師はわずか3万人強しかいないではないか。責任も果たせないのに馬鹿な主張はやめろ。

人を幸福にするのが看護や介護の目的ではないか。そのためには世の中のニーズや社会情勢の変化に応じてシステムの変換が必要だ。

既得権と前例主義に固執する姿勢では、人の幸福は作り出せない。作り出したとしても、その背後に累々とした屍が横たわり、それを踏みつけて、踏みつけたことに気づいて、そのときやっと改革の必要性に気づくというのか?

日本看護協会のこの問題に対する態度は、日露戦争の旅順攻撃における二百三高地で無意味に死者を生産し続けた第3軍の乃木司令部と同じ態度に思えてならない。

昨日から今日のブログにコメントをしているMKなる人物は、再三、自己中心的な中傷のコメントを繰り返しているが(あまりに感情的なので削除しています)、これこそ第三軍の癌といわれた伊知地参謀長と同じである。

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