インターネット掲示板で、制度のルールや仕組みについて答えているので、僕は地域の中では介護保険制度の専門家と見られているらしい。
しかし施設サービスと居宅サービス、居宅介護支援事業の3種の機能を持つ法人の現役の職員であり、必要に迫られて運営基準を随時確認しておれば、誰でもそこそこの専門家にはなり得るのであり、別に特別な知識や情報を持っているわけではない。
ただインターネットの普及により、制度情報等が行政以上に現場に早く届くということもあるし、すべての立場の人が均等に情報を手にする機会は増えており、それを利用すれば、より早く、確実な情報を手に入れることができる、ということはいえるかもしれない。
また様々な情報を整理して、理解する、基準省令等から全体の意味を読み取る、ということはある程度差が生ずる部分かもしれないし、様々な情報の背後に見える意味を考えて、自分なりの意見を持つ、というスタンスは大きな差が生ずる部分かもしれない。
さて、介護保険制度に詳しいと思われていることで、この話題で生意気に人前で講演を行う機会もたびたびある。講演のテーマを頂く場合もあるし、特に指定がない場合もある。
僕はあらかじめ原稿や資料を用意して講演を行うことはほとんどなく、その場の参加者の顔を見て、雰囲気を感じて内容を臨機に考えることが多い。テーマが指定される場合は、それに沿った基本的な資料を提示することはあるが、自分でも用意していない方向に話題が広がってしまう場合もあり、困った講師だと我ながら思ってしまう。
ところで最近は、介護保険制度とは何か、という話題になることが多いのだが、皆さんはそのときになんと答えているんだろう。
もちろん措置制度を中心にした公費負担で賄うのが原則であった福祉制度が、契約という形で利用者の選択性と権利を取り入れた新たな福祉制度へ変革した、という意味もあるし、GHQの占領下ですべての骨格が決められたわが国の社会福祉制度が戦後始めて抜本改革された、という意味もあるだろう。
しかし僕は、その本質は、介護保険というのは、国民の新たな負担制度である、と答える。
社会保障費の財源を、どう手当するかという考えから、国民に受け入れやすい形で強制的な社会保険という形で、あらたな負担を求めた、ということがしっかり把握されていないと、一連の制度創設や、その後の改革の方針が見えてこないだろうと思っている。
財源を消費税アップとか、新たに福祉目的税を創設する、というのでは税金に拒否反応が強い国民には受け入れられない恐れが大きく、その点、介護保険という何か新たな福祉の制度を作ったような幻想を抱かせ(確かにサービスに民間参入を促進したことにより量は増えたが)、その背後にある強制的な社会保険料負担や自己負担をうまく覆い隠しながら国民が知らぬ間に負担を増やしていく、というやり方である。
しかも走りながら考えた制度は、福祉サービスとはかけ離れたところで、自己責任論による生活維持がまずありきで、劣等処遇の原則の復活のような姿勢があちこちでみられ、制度の設計も、豊かな高齢社会を築くことより「持続可能な制度」であることがまず前提にあり、貧困なサービス内容でも続けばよいという制度改正である。
つまり「持続可能な制度」が目指した改革における、介護保険制度の未来図は、福祉サービスとしての内容は貧困なのである。
専門家に言わせると、福祉の分野では既にわが国は「小さな政府」になっているそうである。
だから今、国が模索する方向は、良いサービス、良い国づくりではなく、貧困な制度でも持続させておけば責任を果たしたことになる、という発想からの給付費抑制と自己負担増でしかないように思えてならない。
介護・福祉情報掲示板(表板)
しかし施設サービスと居宅サービス、居宅介護支援事業の3種の機能を持つ法人の現役の職員であり、必要に迫られて運営基準を随時確認しておれば、誰でもそこそこの専門家にはなり得るのであり、別に特別な知識や情報を持っているわけではない。
ただインターネットの普及により、制度情報等が行政以上に現場に早く届くということもあるし、すべての立場の人が均等に情報を手にする機会は増えており、それを利用すれば、より早く、確実な情報を手に入れることができる、ということはいえるかもしれない。
また様々な情報を整理して、理解する、基準省令等から全体の意味を読み取る、ということはある程度差が生ずる部分かもしれないし、様々な情報の背後に見える意味を考えて、自分なりの意見を持つ、というスタンスは大きな差が生ずる部分かもしれない。
さて、介護保険制度に詳しいと思われていることで、この話題で生意気に人前で講演を行う機会もたびたびある。講演のテーマを頂く場合もあるし、特に指定がない場合もある。
僕はあらかじめ原稿や資料を用意して講演を行うことはほとんどなく、その場の参加者の顔を見て、雰囲気を感じて内容を臨機に考えることが多い。テーマが指定される場合は、それに沿った基本的な資料を提示することはあるが、自分でも用意していない方向に話題が広がってしまう場合もあり、困った講師だと我ながら思ってしまう。
ところで最近は、介護保険制度とは何か、という話題になることが多いのだが、皆さんはそのときになんと答えているんだろう。
もちろん措置制度を中心にした公費負担で賄うのが原則であった福祉制度が、契約という形で利用者の選択性と権利を取り入れた新たな福祉制度へ変革した、という意味もあるし、GHQの占領下ですべての骨格が決められたわが国の社会福祉制度が戦後始めて抜本改革された、という意味もあるだろう。
しかし僕は、その本質は、介護保険というのは、国民の新たな負担制度である、と答える。
社会保障費の財源を、どう手当するかという考えから、国民に受け入れやすい形で強制的な社会保険という形で、あらたな負担を求めた、ということがしっかり把握されていないと、一連の制度創設や、その後の改革の方針が見えてこないだろうと思っている。
財源を消費税アップとか、新たに福祉目的税を創設する、というのでは税金に拒否反応が強い国民には受け入れられない恐れが大きく、その点、介護保険という何か新たな福祉の制度を作ったような幻想を抱かせ(確かにサービスに民間参入を促進したことにより量は増えたが)、その背後にある強制的な社会保険料負担や自己負担をうまく覆い隠しながら国民が知らぬ間に負担を増やしていく、というやり方である。
しかも走りながら考えた制度は、福祉サービスとはかけ離れたところで、自己責任論による生活維持がまずありきで、劣等処遇の原則の復活のような姿勢があちこちでみられ、制度の設計も、豊かな高齢社会を築くことより「持続可能な制度」であることがまず前提にあり、貧困なサービス内容でも続けばよいという制度改正である。
つまり「持続可能な制度」が目指した改革における、介護保険制度の未来図は、福祉サービスとしての内容は貧困なのである。
専門家に言わせると、福祉の分野では既にわが国は「小さな政府」になっているそうである。
だから今、国が模索する方向は、良いサービス、良い国づくりではなく、貧困な制度でも持続させておけば責任を果たしたことになる、という発想からの給付費抑制と自己負担増でしかないように思えてならない。
介護・福祉情報掲示板(表板)