たくさんの小さな命が理不尽な理由で奪われてゆく。

命とは、はかないから尊いのだ。その尊さを大切に思わない社会に未来はあるのか。

奪われる命、小さな命を傷つける事件は過去の歴史でもたくさんあったというが、それにしても今ほど命が粗末に、理不尽に扱われている時代があったのだろうか。

そして過去の事件や事故から我々は何を学んできたのか。何も学んでいないのが本当のところだ。事件を引き起こす犯人の動機や心理を探って、それがあらたな事件を防ぐ手立てになったことがあるのか?

新聞やテレビは、あたかも事件を報道し、社会がその犯行動機を見つけ出すことが犯罪を防ぐ近道であるかのように報道している。

しかしそれが幻想でしかないことは歴史が証明している。

犯罪を興味本位で報道することで模倣犯罪が増えるだけではないのか。

いつから私たちの社会はこんな殺伐とした社会になったのか。日本は日本人は何を失ってしまったのか。

人を尊ぶ社会、人を愛する社会、そのために行う教育。大人の行動。そこをもう一度問い直す必要がある。

小学生が株取引で儲ける社会は正常な社会ではない。経済活動に長けた知識より大切な心を育てるべきだ。

テレビゲームではバーチャルリアリティによって、現実と仮想世界の区別がつきにくくなっている。そこでは簡単に人を殺す行為が繰り広げられている。

自由社会とはそうしたものをすべて許容する社会なのか。そんな自由から生み出される未来は貧しいものだろう。

命のはかなさと尊さは大人たちが子供たちに伝えて始めて理解されるのだ。伝えられない大人が多すぎないか。

もう遅いのかもしれないが、ダサくいと言われてもいいから、人を愛すること、命を尊ぶこと、はかないものを守り育てることを伝える義務と責任が我々にはある。