1972年、当時の佐藤 栄作首相は、退任記者会見で「新聞はうそを書く」として会見場から記者を追い出し、テレビカメラだけを会場に残して話をした。その映像のことを覚えている方は多いだろう。

ひどいことを言う首相だなあと、子供心に思ったものである。その考えの根底には新聞は嘘は書かないという絶対条件が存在していた。

年を取るにしたがって、新聞は事実を伝えるが、必ずしもその事実は、物事の本質を表す真実ではないことがある、ということに気付くようになった。しかし基本的に事実を報道するという信頼性に懐疑的な目を向けることはなかった。

しかし一昨日から取り上げた、北海道新聞室蘭支社の特集連載記事で、その思いは変えなければならなくなった。知識と見識の低い記者によって書かれる取材記事は、時に事実とも一致しない。

その特集は今日で終了した。

最終回の内容も給付費の増大が保険料を大幅に引き上げている現状の報道で、全国的なこの種の報道との違いはほとんどなく、独自の視点もない。単にこのままの保険料の延びは「明るく活力ある超高齢化社会を築く」という厚生労働省の考えは、画餅に帰しかねない、と結論付けているだけで、ではどうしたら画餅に帰さない方法となるのかという提言に類するものは一切ない。

この記事の中にも、おかしな点があって、ある町の給付費の予想を超えた延びの原因の一つを「特別養護老人ホームやデイサービスや療養型病床群の3施設の利用者数が予想を超えて延びたため」という記載部分がある。

そもそもデイサービスはともかく、他の2施設(デイサービスセンターは施設ではないが、これも施設というひとつのくくりに入れた報道記事となっている)はあらかじめ福祉計画に沿って定員が定められているもので、予想を超えた利用増というのは本来あり得ないはずだ。この部分の疑問にはまったく触れられていない。

一番の問題は、事実と異なる報道についての訂正は一行も記されていない。ということだ。

気付いていないのか?

そんなことはない。僕は間違った内容について、同社の本社と支社の両方にメールで連絡している。担当記者の耳にも入っていることも風のうわさで聞こえている。

多くの誤解している読者がいる事実に対しては、真摯に対応して、正すべき点は訂正して正す、というのが本来のジャーナリストの姿ではないのか。

間違った情報を垂れ流したままでよいのだろうか。少なくとも一昨日の記事で指摘した福祉用具貸与の誤解は、多くの高齢者に不安感を与えていることだろう。

認定調査や審査会に原因を求める新予防給付対象者の増加は、単に記者の思い込みがそうであることで済ませて良いものだろうか。

少なくとも、この報道の見解で、調査や審査会に偏見を持った読者も多いことだろう。非常に大きな問題だ。

ジャーナリストには表現の自由はあるけど、その前提として受け手に対する責任や公正さを果たさないといけない、という条件があるはずだ。

例えば、中立性や公平性に基づかない記事を書けば、それが明らかになったときには相応のサンクション(制裁)がなければならない。そしてその最たるものは、読者の信用というジャーナリズムの一番根底にあるものが揺らいでしまうというサンクションだろう。

しかしその前に、自らの間違いを公にして訂正する、という姿勢があって良いのではないか。

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