僕が施設の相談員(当時は生活指導員といった)として就職したのは昭和58年である。

思い起こせば、当時、PCなど一般に普及しておらず(パソコンではなくマイコンという言葉が、ぼちぼち出始めたのも、その数年後だ)ワープロなどまだなく、わずかにタイプライターが1台施設の備品としてあった。

タイプを打った経験がある方はわかるだろうが、日本語のタイプライターとは極めて不便なもので、該当する漢字がないと、いちいち刻印の石を変えて打たねばならないものだった。

当時の収容引き受け書(そうなのだ、まだ入所ではなく収容措置の時代でこのような言葉が使われていた)を見ると、なんと書式自体がタイトルを含め、全てボールペンの手書きだ。時代だなあ。(多分、新設のため印刷物も4/1に間に合っていなかったのだ)

それから、この施設は新設であり、職員もすべて新規採用だった。

経験者は、二人の看護職員が病院勤務の経験があるのみで、福祉や介護の経験者は0という状態から作りあげたのだから、今考えると「恐ろしい」感さえある。

さて、その当時、新卒の僕には相談援助業務なんて何も解るはずがなかった。とりあえず、実習先の施設からルールを教えてもらって、必要な書類の提出とか何とかこなしていた。

なにしろ誰も何もわからない状態の施設で、相談員も一人なのだ。わかった振りをして業務に当たらねば、何も進まないという状態であった。

しかし曲りなりにも大きな事故もなく、お年寄りの皆様には多々迷惑をかけながらも、今日までこの仕事を続けられてきたのは、地域の保健、医療、福祉の各分野で活躍されていた先輩方の存在が大きかった。

これは社交辞令でもなんでもなく、本当に実感として感じるものだ。

協力病院の医療ソーシャルワーカーはもっとも身近な先輩や同僚として協力や指導をいただいたが、そのほかにも室蘭市の(登別市の特養は本施設だけなので)先輩施設、同じ特養の職員の皆さんには、いろいろ教えていただいた。先輩方からすれば見当はずれな問いかけや質問にも嫌な顔をせず答えていただいた思い出が多い。

それから他の医療機関や施設の皆さんの勉強会や研修会にも誘っていただいて、多くの関係者の方々と知り合うことができた。

この他機関、他職種、の方々との関係は一番の財産だ。

所属や出身校、機関を超えて交流機会を持てたことが、今の自分の存在そのものに繋がっている。

昨夜、地域のソーシャルワーカー協会の交流会でも、そのことが懐かしく思い起こされた。もう僕より若い人の方が多いのだが、当時からお世話になっている先輩もおられる。

そういえばあの頃、月1回は関係者で集まって勉強会をしていた。

それが発展して「高齢者問題研究会」なるものを作って現在の福祉マップのような高齢者福祉の紹介資料を作ったりしていたことを、昨夜ふと思い出した。あの集まりの中でも自分は少しづつ何かを吸収して今に繋がっているんだろうと考えると、やはり今の自分は自分で勝手に育ったのではなく、地域で、地域の先輩や仲間たちに育てられてきたんだろうと思う。

社会福祉は究極的にはすべての人間の幸福に寄与することが求められるのであり、特定の事業所や専門職だけが立派というだけでは不十分だ。

地域で活躍する専門職の全体のスキルで地域のサービスの質が左右されるのだから、地域の福祉のネットワークは、人を育てるネットである必要もある。

幸い、地域には、社会福祉士会、ソーシャルワーカー協会、ケアマネ会、さまざまな地域団体があり、これを活用すれば、相談援助職が一人で孤軍奮闘する職場であっても、支えてくれる仲間というのは作れると思う。

またそういう地域会であり、その中の資源の一人でありたいと思う。

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