雨は唄になる。

僕の10代はフォークソング全盛時であったから、僕もいっぱしのフォークシンガー気取りで、吉田拓郎や井上陽水のコピーから始まりいつしか詞や曲をオリジナルで作るようになった。
(ちなみに陽水の本名は「陽水あきみ」であり医者の息子ということを知っている人は多いと思うが、彼がアンドレカンドレという名でデビューしたことを知る人は少ない。そんなことはどうでも良いが・・。)

僕の作る唄はなぜか雨をテーマにしたものが多かった。詞が書きやすかったのだろう。しかしどうしても雨がテーマだと明るい曲にはなりにくい。名曲「雨に唄えばSing in the rain」というわけにはいかないのだ。

暗い詞になりやすいので心が弾むような曲はつきにくい。やっぱり流行らないな。シンガーソングライターを目指さなくて良かった。

そういえば大学生の頃、当時札幌で超有名なディスコ「釈迦曼荼羅」で妙に生意気な口を利く長髪でカマキリのような男とテーブルが一緒だったことがある。髪のある時代の松山 千春である。別に知り合いではない、何かの関係でそれぞれの連れ同士が知り合いだっただけである。

話がそれた。雨の話に戻そう。

冬に雨は似合わない。

しかし3月のこの時期の雨は明るい春を連れてくる雨であり、一雨ごとに雪解けが進む。春の雨をテーマにすれば明るい雨の曲が出来るかもしれないな、と考えて雨を見ながらこのblogを書いている。

北海道には梅雨がないというが、実際には道南の太平洋側、函館から私の住む登別にかけての地域は6月から7月にかけては雨の多いじめじめした天候が続く。

この時期を「蝦夷梅雨」と呼び、その気候は毎年のように繰り返される。

だから短い夏の晴れ間は貴重だ。

私の施設でも、夏から秋にかけての季節は、利用者の皆さんにできるだけ外出機会を作っていろいろな場所に出かけるが、施設で行うイベントなども夏の間は外で行いたいと思い、開設5年目にログハウスの屋外ステージを建造した。

舞台裏には楽屋もついている立派なステージだ。このステージは今は施設の裏側の敷地に移設し毎年お祭りや盆踊りなど、地域の皆さんと触れ合う会場にもなっているが、以前は正面玄関前にあり、駐車場全体を会場にして様々なイベントやアトラクションに利用していた。

しかし屋外ステージがあっても雨では使えない。

せっかく祭りなどを企画していても、利用者を雨の中、傘をさして見物させるわけにもいかない。だから時として雨は「やっかい視」されることも多い。

そこで施設開設10年目で屋外ステージ建築から5年後のことであるが、雨でも暖かければ外でイベントが出来ないかと考え、駐車場全体をテントで覆う方法を考えた。

もちろん素人作業では出来ないから、テントの専門業者に依頼して、専用のポールを設置して施設の駐車場全体を覆って約200人が入れる屋根替わりの特注テントを作ったことがある。

これが雨以外に効果があり、外に出たいが日差しがきつすぎる場合にも重宝され2年ほど使っていた。そして3年目の「緑風園まつり」では待望?の雨が降り、この屋根テントの本来の目的に使用する機会となった。

ところが、である。雨は防げるのだが、雨の音は防げなかった。雨のはじく音でステージからの音がしばしば聞こえなくなる。これには参った。

しかもおまけつきで、テントを支えるワイヤーも3年間の風雨でさびてしまい巻取りが出来なくなった。それやこれやの様々な理由が重なり、今、このテントは使われていない。

人の知恵は自然の前ではしばしば苦渋をなめる。考えれば高い買い物であったかもしれないが、それだけ北海道の人々は長い冬の日々、夏の暖かな太陽や外気に飢えているということを紹介するエピソードとして記憶していただきたい。

だけど、いざ夏の暑さにふれてみれば、その圧倒的な力に少し腰が引け、その気持ちを察するように時折日差しを影してくれる雨にロマンチズムを感じて詞が出来るのかもしれない。

だから雨は唄になる。

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