この時期は卒業シーズンだ。各地でいろいろな別れがある。

若い当事者たちは、その意味をまだ深く考えることもないと思う。

でも卒業式を期に、生涯2度とめぐり合うこともなくなってしまう関係もあるんだ。僕もその時には気付かなかったが、例え仲が良い友人であっても、中学、高校、大学と卒業を繰り返すたびに、生活場所も環境も変わってしまい、言葉を交わす機会もなくなってしまう友人もいる。

年をとると、それらの友人たちがやけに懐かしくなる。しかし消息不明になっている友人も多い。

だから卒業式は、逢いたい時にいつでも逢える「サヨナラ」ではなく、もっと重い意味の「さよなら〜So Long」のことなんだ。

そして卒業式の本当の意味や、そのやるせなさは、年をとってはじめて実感するものなんだ。

今そこにいる、君たちの友を、しっかり見つめなさい。それが僕の「贈る言葉」だ。

さて4月の新年度にはフレッシュな新人職員が数多く誕生する。僕の職場でも例外ではなく、今年は大卒のソーシャルワーカー1名と、専門学校卒のケアワーカー4名を新規採用している。

それらの新人諸氏には卒業式が終わって、4月までの間、都合のつく範囲で施設実習を行なってもらっている。昨日から4名のケアワーカーは実習に入っている。

新人にまず教えるべきことは、対人サービスであるから「接遇と言葉遣い」である。これは当施設の決まりごとである。

真っ白な新人たちは、それらの指導を念頭において現場に入る。そして決められたルールを守って、自分たちの言葉や知識や技術を獲得していく。

だが、慣れが生じてくるとき、水が低きに流れるように、利用者に向ける言葉遣いも乱れてくる場合がある。その主な原因は、先輩職員の態度や言葉に影響されることである。

上司や先輩が日常、利用者にどのような言葉遣いをしているかで、新人の言葉の使い方も変わってくるのだ。

おもしろいことに、これは施設内でも差ができる。

グループケアやユニットケアが盛んに行なわれるようになって、職員の担当グループも固定化、小規模化すると、各グループで言葉の使い方に差が出てくる。良い方向に流れればよいが、特定グループだけ言葉の乱れが生じ、それが全体に影響すれば修正には多大な時間と手間がかかってしまう。

是非、先輩職員には新人の手本になる適切な態度や言葉遣いで日頃の業務に当たってほしい。

箱の中のみかんは、たった一つの腐ったみかんにより、全てが腐ってしまうのだ。せっかく積み上げたもの、新しい力、どちらも生かされる職場でなければいけない。

そしてユニットケア、グループケアは、施設内で介護の品質アップの競争をするためにも利用して欲しい。お互い良い刺激をし合って利用者の暮らしをより良いものにしなきゃあ嘘である。

だからといって他ユニットや他グループのサービスの揚げ足を取ったり、協力連携に無関心であったりするような施設内民族主義に陥ってしまってはいけない。

皆、誰しもが腐ったどろどろの姿になるより、オレンジ色に光り輝いた蜜柑の姿を保っていたほうが良いはずだ。

しかし、腐った姿は自分自身では見ることができず、他者からしか見えない、だがそれが実態という恐ろしさがあることを忘れてはいけない。