今日掲げたタイトルは、このブログのタイトルではない。
実は日総研の「介護リーダー2006」に6回にわたり、このタイトルで連載記事を書くことになっている。
1回目の発行は本年5月下旬であり、その後2月ごと、来年3月下旬発行号までの連載となる。
ところが1回目の原稿の〆切が先週金曜であったのだが、冊子の発行日と現行の締切日とを勘違いしていた。つまり5月に書けば良いと思っていて、まったく手をつけていなかったのだ。そこに電話が・・・。こりゃあ大変だ、僕の一方的な確認ミスである。編集者に迷惑をかけるわけにはいかない。
ということで〆切を3日延ばしてもらって、土・日に一気に書き上げようと決心して臨んだ昨週末であった。
しかし書こうと思えば思うほど、良い論点や文章は浮かんでこない。かくして週末はPCの前に張り付いて、頭をかきむしりながら文章を搾り出していた。掲示板に書き込みながら、途中でブログを書きながら、気分転換をしながら、なんとか論文を書き上げた。
テーマは居住費自己負担の検証にした。これなら何の資料を見ずに、自分の頭の中の現時点での知識で書き上げることができるからだ。
しかしやはりこの時期、やらねばならないことが多すぎる中での執筆作業はきつい。出来栄えもいまいちだろう。
作家の司馬 遼太郎さんは、かつて「坂の上の雲」という作品のあとがきで「小説とは当人や読み手が気に入らないというものがあっても、できそこない、というものはあり得ない」と書いて小説というものの非定型性を示していたが、論文はそうもいかない。もしかして、この忙しい時期の合間を縫って書き上げる僕の連載記事は論文としては「できそこない」になるのではないかと恐れている。
それと制度改正の現場から見た課題となると、どうしてもその目は今回の改正への批判的見地に立ってしまいがちである。
自分の感情を抑えながら、いかに客観的に書けるかがポイントになるのか、はたまた威勢よく制度改正を切って、キッテ、切りまくるのが良いのか、それは僕にもわからない。何しろ4月改正のルールには、まだ謎が多すぎて解釈まで至らないものがたくさんあるのだ。
何はともあれ、今回の原稿に修正依頼が来ないことを祈るのみである。
介護・福祉情報掲示板(表板)
実は日総研の「介護リーダー2006」に6回にわたり、このタイトルで連載記事を書くことになっている。
1回目の発行は本年5月下旬であり、その後2月ごと、来年3月下旬発行号までの連載となる。
ところが1回目の原稿の〆切が先週金曜であったのだが、冊子の発行日と現行の締切日とを勘違いしていた。つまり5月に書けば良いと思っていて、まったく手をつけていなかったのだ。そこに電話が・・・。こりゃあ大変だ、僕の一方的な確認ミスである。編集者に迷惑をかけるわけにはいかない。
ということで〆切を3日延ばしてもらって、土・日に一気に書き上げようと決心して臨んだ昨週末であった。
しかし書こうと思えば思うほど、良い論点や文章は浮かんでこない。かくして週末はPCの前に張り付いて、頭をかきむしりながら文章を搾り出していた。掲示板に書き込みながら、途中でブログを書きながら、気分転換をしながら、なんとか論文を書き上げた。
テーマは居住費自己負担の検証にした。これなら何の資料を見ずに、自分の頭の中の現時点での知識で書き上げることができるからだ。
しかしやはりこの時期、やらねばならないことが多すぎる中での執筆作業はきつい。出来栄えもいまいちだろう。
作家の司馬 遼太郎さんは、かつて「坂の上の雲」という作品のあとがきで「小説とは当人や読み手が気に入らないというものがあっても、できそこない、というものはあり得ない」と書いて小説というものの非定型性を示していたが、論文はそうもいかない。もしかして、この忙しい時期の合間を縫って書き上げる僕の連載記事は論文としては「できそこない」になるのではないかと恐れている。
それと制度改正の現場から見た課題となると、どうしてもその目は今回の改正への批判的見地に立ってしまいがちである。
自分の感情を抑えながら、いかに客観的に書けるかがポイントになるのか、はたまた威勢よく制度改正を切って、キッテ、切りまくるのが良いのか、それは僕にもわからない。何しろ4月改正のルールには、まだ謎が多すぎて解釈まで至らないものがたくさんあるのだ。
何はともあれ、今回の原稿に修正依頼が来ないことを祈るのみである。
介護・福祉情報掲示板(表板)


感動の完結編。
