986fb15c.jpg介護保険制度の過去の福祉制度との大きな違いは、保健、医療、福祉の各職種が事業所の枠を超えて連携するシステムを法制度に組み込んだことにある。

施設サービスの加算要件も、施設内の各職種連携を条件にしたものが多い。

つまり介護保険制度は、一人の達人が介護サービスの質を左右するのではなく、チームケアにより一定レベルの介護の質を担保した制度であるともいえる。

今日はチームケアを行なう上での連携に重要なチームワークのことを考えてみたい。

平成2年、岩手県で行なわれた軟式野球東日本選手権(一部)に北海道代表として参加したチーム(三愛病院クラブ)の主将として全国優勝の経験がある。正確に言えば日本一ではなく、東日本一、ということになるんだろう。

トーナメント方式で1回でも負ければ終わりの世界で、地区予選から北海道大会を経て全国の頂点に立つ過程では、実力以外の要素がなければ頂上に登りつめられない。実力以外の要素は運であったり、ガッツであったりする。しかしそれを呼び込むことができるのはチームが一丸になる時だけのような気がしている。

20歳〜30歳台半ばの男たちが20人近い集団を組む野球チームが、全員が仲良しクラブみたいに和気藹々としている思ったら大間違いだ。むしろその方が気持ち悪いか。

様々な個性をもった大人の集団だから、仲の悪いものもいるし、皆、試合に出たいから監督の選手起用や采配に対立する者もいる。それがひとつのチームとしてひとつの目標に向かって一丸となるのはそう簡単ではない。

私たちのチームは病院の看護職員が多いため、地区予選ではローテーションの都合でエースや主力選手が揃わず、苦戦を強いられたときも多い。室蘭地区の初戦もエース不在で、序盤に5点先行された試合を終盤ひっくり返した。軟式野球というのは硬式と違い点数が取れない(ボールが飛ばないため)ことが多く、全国レベルでは1−0、2−1、というのが当たり前の世界なので、地区予選とはいえ、これは薄氷の勝利だ。

しかし地区を勝つのは当たり前と思っていたチームだから、ここではホッとしたに過ぎなかったし、チームとしてのまとまりもなかった。

ところが北海道大会を勝ち進み、欲がでた準々決勝で、僕らのチームは、その試合の相手より次の準決勝であたるチームを意識し油断の気持ちがあった。

神様はこういうときには見逃してくれない。

普段考えられないようなエラーがでるなど、試合は8回表まで5−0でリードされ、残りの攻撃は2回を残すのみになった。実はこのとき、大会役員の一人が、ベンチにやってきて監督にそっと「今日の宿泊キャンセルしますか」と聞いていたという笑い話がある。

さて、普段なら、ここであきらめてしまうのが全道レベルの軟式野球であるが、僕らはどうしても勝ちたかった。全国にいける実力があると思っていたので、ここで負けるのは悔しかった。

このときのベンチ全体の雰囲気は、とても僕の筆力で伝えることができるものではない。

ベンチ全体が勝ちたい、逆転するという思いでひとつになった。試合に出ている選手も、控えの選手も、交代してもう試合に出られない選手も、皆、形相を変えて声を出していた。こうなると主将としてする仕事は何もない。皆で思いをプレーにこめる、声援に込めるだけだ。

奇跡はその時に起こった。

8回裏に3点を返し、9回裏、2点差を追いつき、11回裏、逆転サヨナラで勝ちあがった。

サヨナラのランナーがホームを踏んだときの感動はどう表現すればよいのか。

皆が抱き合って喜んでいる。普段、お互い口を利かないような仲の悪い二人が、顔をくしゃくしゃにして抱き合っている。監督采配の批判を面と向かったやり試合前に険悪になっていた選手と監督が肩を抱き合っている。

この試合を経て、僕らのチームは何かが変わった。試合に出られない選手も自分でできる仕事を黙々とこなし、選手を声援する。監督や主将がチームをまとめるために苦労する必要は何もなかった。

そういう雰囲気がチームを全国1に押し上げた。

しかしこのチームの雰囲気は、実力と試合結果がついてきたときに始めて生まれるもので、「仲良し」とは少し違うのだ。

本当のチームワークが生まれるためには、明確なひとつの目標があり、チーム全員がそれを目指すモチベーションが不可欠なのだ。目標や、それを目指す動機付け、このどちらもないとモチベーションは高まらない。

介護サービスの施設や事業所も同じだ。

経営者は職員に対し、明確な目的意識を持たせて、それを目指して進む動機付けを与えないと、チームケアは絵に描いた餅に終わる。

ただ事業経営が安定する、というのはモチベーションを高める動機付けにはならない。

人を幸せにするためのサービスであるとう社会的使命が介護チームのモチベーションだ。

介護・福祉情報掲示板(表板)