人の相談にのるということは特別なことではなく、専門職にしかできないことでもない。

人としての真摯な態度が基本にあれば、誰もが良き相談者となり得る。

しかし専門的立場で援助に携わる場合は自ずと責任が生じ、必要な知識や技術をベースに持った上で、まず人として関わる、という態度が必要だ。ソーシャルケースワークの原則もそうであるが、その前に、自分の価値観を一方的に相手に押し付けることがあってはならないという前提があり、その理解に必要なのが自己覚知である。

昨今、自己覚知の必要性が叫ばれることが少なくなってきたように思え、今日はこのことに触れてみたい。

自己覚知とは、自分が今、どのような行動をとり、どのように感じているかを客観的に意識できることである。

普通、人間は他人を見るとき、自分の道徳的標準や感情によって影響されやすく、しかもそのことに気づきにくい。

もしワーカーが利用者との対人関係に自分自身の先入観を持ち込んだり、自然のままに自分の感情で相手を律するなら、その人を受容することにはならない。

そして利用者自身の問題を客観的に理解できず、良い関係にはならない。

またワーカーが内在的葛藤に苦しみ、解決していない場合は利用者の問題解決を援助する能力にまで影響を与える恐れがある。

これらのことを知ることが重要だ。これが自己覚知である。

しかし自己覚知はもっとも重要でありながら、もっとも困難なことでもある。それだけにワーカーは意識して自己覚知に努めなければならない。

例えば、ある出来事に対し、自分と他者の態度に大きな相違が見られる場合がある。

普通、誰でも自分がどんなことに耐え難い感情を持っているかを自覚しており、人によっては飲酒家を許せるが喫煙者には我慢がでないという人もおり、怠惰者に我慢ができない人もいれば、怠惰には何の感情も動かず、嘘をつくことが最大の罪だという価値観を持っている人もいる。

このようにワーカー自身が、けしからんと思うこと、許されないとみなしていることが何なのか発見できるなら、それだけ自分の感情を自律的に統御することが可能になる。

こうした偏見というような感情や意見を持つこと自体は、人間として不自然ではない。

しかし専門職としての立場で偏見が介入するのは、職業上不適当である。

要は、その感情を否定するのではなく、素直に正確に認識することである。

つまり自己覚知とは、自己をあるがままに受け入れることである。

社会福祉援助者の自己成長とは、知識と技術を習得し、それらを職業倫理や、態度、価値の枠組みの中に包合することを意味する。

しかし知るだけでなく、変化しなければならない。しかも知識、技術、洞察力なしには、この変化は不可能である。

ワーカーは自らを振り返って、自己分析を行い、洞察し、自分の心理や行動を理解するように努め専門職業態度への変化に努力してこそ利用者に対して必要な援助をなし得る、と言っても過言でない。

ワーカーは利用者の意識、あるいは前意識の領域を扱うのであり、自分自身の意識の面を整理することが重要で、自己覚知は対人援助の基本なのである。

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