禁煙したのは20数年前のことである。

意志の決して強くない私であるが、禁煙を実行したその時依頼、いたずらであっても1本の煙草も吸っていない。

いまでは酒席であっても私の前に灰皿が置かれることはない。

しかし、もとは大変なチューンスモーカーであり、就職当時を知る事務員などは当時を振り返って現在が信じられないと言う。

白状すると、煙草を吸い始めたのは中学生時代であった。(自分の子供が吸っていたら烈火のごとく怒るであろうに)。

動機は、ただのカッコつけで、煙草を吸うことが大人びてカッコいい行為に思えた。おいしいとは思わなかったが、いつの間にか癖になり、止められなくなっていた。

高校生時代にはじめて「マイルドセブン」が発売されたのだが、当時はイッパシの愛煙家気取りで、マイルドセブンどころかセブンスターも軽くてまずい、などと言っていた。
私の好みはショートホープで、就職当時は1日80本は吸っていただろう(今現在では、どんな煙草が売られているか品名さえも知りません)

私のデスクには、灰皿にフィルター部分しか残っていないショプの山が渦高く積まれ、右手の人差し指と中指の一部はニコチン色に染まっていた。

そんな私が煙草をやめるきっかけになったのは、ある先輩ソーシャルワーカーの何気ない一言である。

先輩とは言っても、当時、我が施設は50床の単独施設で、ソーシャルワーカーは私一人であり、新設施設でもあり、施設内に先輩はいなかった。

その当時、私のスーパーバイザー的な立場であったのは、職場はまったく別だが、協力病院の医療相談室の課長や係長であった。

当時を振り返ると、新卒で何の知識も経験もない私が、新設施設の相談援助職を続けられたのは、協力病院のソーシャルワーカーはじめ先輩や同僚が協力して、援助してくれたからだ。幸い仕事以外でも、野球というつながりで、同病院のチームに所属していたこともあり、他機関という意識はなく、指導や助言を受けることができた。

その当時、はっきりした日時は覚えていないが、何かの「飲み会」の席でソーシャルワーカーとは、という話になったと思う。

その時ある先輩が「俺たちワーカーは患者さんに、簡単に、あれはしちゃあいけない、とか、これは駄目だとか、あれを止めろ、これを止めろ、というけど、そう簡単にできるもんじゃあないよな。」「キクチくんは、お年寄りに指導(当時はこういう言葉が当たり前に使われていた)する立場で、自分が何か我慢できることがある」とかいう内容だったと思う。

はっとした。

今のようにポジティブなケアサービスというのが当たり前に考えられなかった時代のことである。ネガティブな指導をせざるを得ない状況の多さを指摘されて、これは違うよな、と感じたものだ。

しかし当時の若い僕には、それを表現する言葉も見つからなかった。

ただ血気盛んなその頃の僕は、この気持ちを何か行動で表さなきゃアならないと思ったんだろう。「僕、今から煙草を止めます。」気付いたときには、そう口走っていた。

酒席の「たわ話」である。誰もそれを信用していないだろうし、守らなくても誰から責められるわけでもない。まして当時、一人暮らしで、誰にも内緒で吸うこともできたし、吸わないことが非常に苦痛だった時期がある。

しかし、それを守らないことは、この仕事を続けられないことに繋がるような気がしていた。自分が禁煙程度を守られないのに、人の相談にのって、時と場合によっては、人生の先輩たちに偉そうなアドバイスを行なったり、「〜は止めた方が良いのではないでしょうか」などと言えないような気がしていた。

律儀に守っているわけではないが、そうした若い頃の思いを引きずるようにしている自分自身は嫌いではない。

それやこれやで20数年が経過して、今では煙草を吸いたいとも思わないし、他人が吸っていても迷惑とは感じないが、決して美しい姿とは思わない。

はっとする美女でも煙草を吸っている姿は、美しくない。

と、言いつつ、自宅で台所を見上げると、換気扇の下で、そっと煙草をふかしている女房殿がいたりする・・・。

人生とは何とも面白きものだ。

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