私の施設の職名の中に「相談員」という職名はない。

基準配置上、相談員に該当する職員はソーシャルワーカーと呼んでいる。

その理由は、高齢者生活施設の相談援助業務が(相談員という職名になる以前の)老人福祉上の「生活指導員」という呼称に違和感があったからで、総合的な援助を行なう専門職として利用者には解りづらいかもしれないが(どうせ職名で呼ばれることは少ないだろうし)ソーシャルワーカーという職名に統一したものである。

ところで、ソーシャルケースワーク(社会福祉援助技術)とは何だろうか?このことを少し考えてみたい。

ウイットマーはソーシャルケースワークについて「社会福祉の活動は制度的組織の改善に向けられるが、ソーシャルケースワークは、この制度的組織を個人がより良く利用することに向けられる」とし、フィンクは「社会福祉を各部分によって組み上げられた組織体系とし、その内部においてソーシャルケースワークが人々を援助すべく活動する」としている。

このように社会福祉とソーシャルケースワークは、それぞれ制度と対個人援助活動として捉えられており、前者は一般的・固定的と考えられ、後者は個別的・力動的と考えられる。

すなわち社会福祉とは「人々の社会生活をめぐる福祉の達成と維持向上を国家・社会が援助する理念であり、それを具現化した政策・制度のシステム」といえるのである。

そして問題は、その内実が、援助を目標にした具体的制度から成り立っているとはいえ、制度自体がもともと多数な人々の共通のニーズに対応し、一括的処理を目指す画一的側面を否定できないところにある。

例えば、高齢者福祉事業は高齢者一般として一括処理されており、確かにそれによって、ある特定個人は生活が守られ福祉実現に近づくが、制度が真に個人に役立てられ、個人の福祉を確保するためには、その個人を焦点とした、きめ細かな援助活動が不可欠になる。

それを担うのがソーシャルケースワークなのである。

例えば、Aさんという高齢者がいたとして、Aさんは高齢者一般の福祉対策上に捉えられるが、彼は、高齢者であるという以前に、他の高齢者とは事情を異にするAという一人の個人である。

そして、一人ひとりの個人の福祉の実現を完全にするためには、Aさんという一人の人間としての個人に着目する必要があり、そこに個別化というソーシャルケースワークの不可欠要素が生まれるのである。

しかしここで言う「個別化」は、教育場面などでいわれる特定生活場面での「個別化」ではなく、個人そのもの、あるいは全体としての個人の福祉(発展成長)を目的とし、それゆえに生活のあらゆる場面に配慮を及ぼす「個別化」といえる。

個人の能力と環境の諸力を全体として取り上げ、個人の問題解決と福祉の実現を目指す個人的焦点アプローチとしての「個別化」はソーシャルケースワーク固有のものであり、ゆえにソーシャルケースワークは個人との何らかの距離を有する固定的な制度や施策を、個人を焦点にし、個人を中心にダイナミックに援助活動を展開させることで、それら制度・施策が個人に光を当てるものにする可能性を持つのである。

つまり社会福祉が究極的に一人ひとりの個人の福祉の確保、実現だとすれば、ソーシャルケースワークなくして、その具現化は不可能である。

個人が社会に接続される時々において、社会における生活単位としての個人が把握され、その問題が明らかにされ、必要なときに適切な援助が与えられるのがソーシャルケースワークの役割である。

なんのことはない、これはケアマネジメントの理念と同様ではないか、というよりソーシャルケースワークの1援助技術にケアマネジメントが含まれているのだ。

介護保険制度は、たしかに不合理な部分を内包している、制度としても未成熟な部分が多い、しかし我々ソーシャルワーカーやケアマネジャーが、一人ひとりの個人への援助の実現を目指すことで、制度は真に人を救う手立てとなるし、逆を言えばソーシャルケースワークの視点のない制度は真に個人を救済しないのだ。

ケアマネジメントはこうして利用者個人に制度の光を当てるためにあるんだ。事業所の利益誘導のためにそれを利用しているのは、どこのどいつだ!!

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