当施設でも昼食は園内に飾られていた鏡餅を割って食べる日である。
餅をどのように調理するかは、それぞれの好みで違うのだろうが、当園では人気の高い「お汁粉」にしていただく。
ところで毎年、餅をのどに詰まらせて亡くなる高齢者が必ずいる。正月3が日だけで毎年、30名近い高齢者が餅を詰まらせて亡くなっている。今年も既に関東地方だけで9名が同じ事故で亡くなっている。
つまり、餅を食事に出すことは、施設側の立場からのみでみれば実は非常に怖いことなのだ。
幸い、当施設では開園以来20数年、餅をのどに詰まらせた事故は起こっていないが、今まで起こらないから今後も起こらないという保障は何もない。
かくして、年数回、お餅が食事に出る際は、それぞれの嚥下状態に合わせた形状や大きさから、提供方法まで、事前に主任ケアワーカーや栄養士が中心になって十分なアセスメントを行なうことになり、提供当日は、事務職員も含めて、全職員が見守りや食事介助に入ることとなる。
しかし、ここで問題なのは、そういう体制を仰々しくとることが食事の雰囲気を壊してしまわないか、という点だ。
餅を食べるために監視されなければならないとしたら、そこまでして食べる意味もないし、おいしくもないであろう。
自然に職員が介助や見守りに入って、皆で楽しく食べられる雰囲気を作ることも重要なのだ。
また普段から食事は部屋で一人、ゆっくり食べたいという人がいる。これは通常であれば、全く問題ないが、やはり「餅」の場合は不安がある。
だからといって、そのときだけ職員が部屋に張り付くのも不自然である。やはりこの場合は「鏡開きは日本の伝統的な行事で1年の健康を寿ぐものですから、食堂で皆で一緒に祝いながら食べましょう」などと誘い出ていただく。
そういう方々にも雰囲気を充分楽しんでいただかないと2度と同じ誘いには乗ってくれない。
それやこれや、やはり餅を食事に提供する際には、普段以上のエネルギーをそれぞれの職種、職員が使っていることは間違いない。
今年も、今、無事に(?)昼食時間が過ぎた。しかし無事であることと「今日は良い昼食だったは」という評価は別だ。
我が施設職員にはこのことをきちんと意識して評価できる介護者であって欲しいと願うのである。
ところで僕自身は、若い頃から、餅を進んで食べるタイプではなかったし、正月だからといって雑煮を食べたいと思ったこともなかったが、今ではすっかり「餅嫌い」になってしまって、餅を食べることは全くない。
潜在意識の中で「餅」を食べることにトラウマを感じているかいるかどうかは知らない。
落語の「饅頭怖い」の「怖い」は「大好き」の意味であるが、僕が「餅は怖い」といえば「本当に嫌い」という意味になるので間違えないでいただきたい。
皆さんの施設や事業所にお邪魔する際は、決してお餅を「ひとつつまんでください」と出されても本当に怖がちゃいますから!!
介護・福祉情報掲示板(表板)


感動の完結編。
