昨日トラックバック先のリハビリの考え方が違うというようなことを書いたが、どうやらそれは私の誤解らしい。リハビリの本来の意味が全人格的復権を意味しており、単に身体機能の回復に特化していないという点については同じ理解と思われる。
さて、それでは我々がアプローチせねばならない高齢者の自立支援の意味とは何なのか、より具体的に考えてみたい。
当施設における利用者属性を考えてみると、本年4月の利用者の平均要介護度は3.76となっており、重度介護者が多くを占めている。
そして利用者の8割超の方が脳血管障害等の後遺症で四肢の様々な部分の麻痺や筋力低下を抱えており、それはいわゆる症状固定の状態であるとされている。
また平均在所日数は1789日となっており、このような在所期間の長期化は同時に平均年齢が85.73歳という在所者の高齢化の進行となって現れ、後期高齢者が大半を占めている現状を生み出ている。
85歳を超える方の4人に1人は生活に支障のある認知症状が出現するといわれるが、当施設においてもこのことは例外でなく、認知症の方が5割を超える状況を生み、それは「廃用症候群モデル」に該当しない層が多くなり機能訓練が重度化阻止の有効なツールにならないという状況を生んでいる。
さて高齢者が要介護状態となるリスクは、加齢と疾病が最大要因で、原因疾患は1番目が脳血管障害、2番目が高齢による衰弱、3番目が骨折である。すると当施設の現状を考えたとき、それらのリスクをすべて抱えた高齢者の方々が生活していると言えると同時に、既に要介護状態が重度のレベルにある高齢者がその大半を占めている現状がある。
ではこうした状況の中で加齢に伴う状態像の悪化を防ぐために、あるいは現在の状況をより改善するために、どのような取り組みが必要なのであろうか。
介護保険制度改正における一連の議論の中で「介護予防」という考え方が注目を浴びている。介護予防とは、できるだけ介護が必要な状態とならないための取り組みや手段を指したものである。
しかし前述したように、当施設の現状では、利用者は既に介護を要する状態で、その症状は固定的に経過しており、かつ生活全般に広範な援助を要す状態である利用者が大半で、これらの方々が介護を要しない状態になるという意味での介護予防の考え方は当てはまらないであろう。
むしろいかに様々な心身機能の悪化リスクを防止して、現状の機能を保ちながら生活状況が悪化しないかということが我々の施設における介護予防の考え方であるといえる。しかしそれは単に要介護度の変化に限定して考えるべきものではない。要介護度というのは心身の状態像を表す尺度の一つに過ぎず、それだけに捉われると「生活の質(QOL)」を含めた生活者としての個人の状態像を正確に捉えることができなくなってしまう。
そこで我々介護者が施設における介護予防を考える視点は、様々な障害を抱えていても、生活者として利用者が生き生きと自分らしく暮らせることというはどういうことなのか、そのためのケアサービスのあり方とは何かという視点が必要になる。
我々は一般的に要介護度が5から4に下がった場合、身体機能や精神機能に改善があったものと考え、生活状態の変化や改善が心身機能の改善によりもたらされたものと考える傾向にある。逆に介護度に変化がなかった場合、生活状態も含めて状況変化がないと考えがちである。
しかし果たして、そうであろうか。
例えば、排泄について考えてみると、要介護度に直接結びつく基準時間に繁栄される排尿や排便の該当調査項目は、自立・一部介助・全介助の3項目である。
しかしオムツを使用し、トイレ誘導することなくベッド上でおむつ交換等の排泄介助を全て行っている場合は全介助であるが、排泄感覚は薄れていても定時誘導や声かけで失禁なくトイレでの排泄ができている場合も、トイレへの移動、便器への移乗やズボン・パンツの上げ下ろしの介助、排泄後の後始末など一連の行為のうち2項目以上の介助行為が行われておれば、これも全介助となってしまう。
つまり両者の要介護度に反映される介護の基準時間は同じということになってしまうのである。
この場合、実際の介護の手間としては前者より後者の方がより多くの労力を要する介護であるといえるであろう。
しかし、ここで考えるべきことは、そういう介護力をかけることにより、トイレで排泄できるという事実であり、トイレで排泄できる生活が継続できることの意味である。これはオムツによって全ての排泄ケアが完結されてしまう生活と明らかに質的差があるといえる。
ただしこの違いは要介護認定調査の基準時間には反映されず、この部分の変化のみによる要介護度の変化はないということである。
食事にしても、例えば嚥下機能に問題はないのに歯の状態や咀嚼能力を個別にアセスメントすることなく、食べやすさの観点のみで厨房から刻み食という形態にして提供し、元の形がわからないものを自力摂取すれば「自立」となるが、食べ物の形がわかるようにお膳には自然の形で配膳し、食堂の食卓において、まさに食べる際に、その方の摂取能力に応じて魚の身をほぐしたり、副食を食べやすくして自力摂取してもらった場合は「一部介助」とされ基準時間も長くなる。
そして、それにより介護度がより高く判定されるということがあり得るのである。
しかし形あるものを意識して食事摂取することは重要で、精神面への影響も大きいと思えるし、何より食事の楽しさや喜びは比較にならないであろう。
私たちが施設の中で、利用者の生活援助に関る中で、こうした生活行為と密着した部分の見逃されがちな小さな改善を積み重ねることが、個人の意欲や希望に結びつく介護予防であり、廃用症候群のみならず認知症の高齢者の方の機能維持にも繋がるケアといえるのではないのであろうか。(明日に続く)
介護・福祉情報掲示板(表板)
さて、それでは我々がアプローチせねばならない高齢者の自立支援の意味とは何なのか、より具体的に考えてみたい。
当施設における利用者属性を考えてみると、本年4月の利用者の平均要介護度は3.76となっており、重度介護者が多くを占めている。
そして利用者の8割超の方が脳血管障害等の後遺症で四肢の様々な部分の麻痺や筋力低下を抱えており、それはいわゆる症状固定の状態であるとされている。
また平均在所日数は1789日となっており、このような在所期間の長期化は同時に平均年齢が85.73歳という在所者の高齢化の進行となって現れ、後期高齢者が大半を占めている現状を生み出ている。
85歳を超える方の4人に1人は生活に支障のある認知症状が出現するといわれるが、当施設においてもこのことは例外でなく、認知症の方が5割を超える状況を生み、それは「廃用症候群モデル」に該当しない層が多くなり機能訓練が重度化阻止の有効なツールにならないという状況を生んでいる。
さて高齢者が要介護状態となるリスクは、加齢と疾病が最大要因で、原因疾患は1番目が脳血管障害、2番目が高齢による衰弱、3番目が骨折である。すると当施設の現状を考えたとき、それらのリスクをすべて抱えた高齢者の方々が生活していると言えると同時に、既に要介護状態が重度のレベルにある高齢者がその大半を占めている現状がある。
ではこうした状況の中で加齢に伴う状態像の悪化を防ぐために、あるいは現在の状況をより改善するために、どのような取り組みが必要なのであろうか。
介護保険制度改正における一連の議論の中で「介護予防」という考え方が注目を浴びている。介護予防とは、できるだけ介護が必要な状態とならないための取り組みや手段を指したものである。
しかし前述したように、当施設の現状では、利用者は既に介護を要する状態で、その症状は固定的に経過しており、かつ生活全般に広範な援助を要す状態である利用者が大半で、これらの方々が介護を要しない状態になるという意味での介護予防の考え方は当てはまらないであろう。
むしろいかに様々な心身機能の悪化リスクを防止して、現状の機能を保ちながら生活状況が悪化しないかということが我々の施設における介護予防の考え方であるといえる。しかしそれは単に要介護度の変化に限定して考えるべきものではない。要介護度というのは心身の状態像を表す尺度の一つに過ぎず、それだけに捉われると「生活の質(QOL)」を含めた生活者としての個人の状態像を正確に捉えることができなくなってしまう。
そこで我々介護者が施設における介護予防を考える視点は、様々な障害を抱えていても、生活者として利用者が生き生きと自分らしく暮らせることというはどういうことなのか、そのためのケアサービスのあり方とは何かという視点が必要になる。
我々は一般的に要介護度が5から4に下がった場合、身体機能や精神機能に改善があったものと考え、生活状態の変化や改善が心身機能の改善によりもたらされたものと考える傾向にある。逆に介護度に変化がなかった場合、生活状態も含めて状況変化がないと考えがちである。
しかし果たして、そうであろうか。
例えば、排泄について考えてみると、要介護度に直接結びつく基準時間に繁栄される排尿や排便の該当調査項目は、自立・一部介助・全介助の3項目である。
しかしオムツを使用し、トイレ誘導することなくベッド上でおむつ交換等の排泄介助を全て行っている場合は全介助であるが、排泄感覚は薄れていても定時誘導や声かけで失禁なくトイレでの排泄ができている場合も、トイレへの移動、便器への移乗やズボン・パンツの上げ下ろしの介助、排泄後の後始末など一連の行為のうち2項目以上の介助行為が行われておれば、これも全介助となってしまう。
つまり両者の要介護度に反映される介護の基準時間は同じということになってしまうのである。
この場合、実際の介護の手間としては前者より後者の方がより多くの労力を要する介護であるといえるであろう。
しかし、ここで考えるべきことは、そういう介護力をかけることにより、トイレで排泄できるという事実であり、トイレで排泄できる生活が継続できることの意味である。これはオムツによって全ての排泄ケアが完結されてしまう生活と明らかに質的差があるといえる。
ただしこの違いは要介護認定調査の基準時間には反映されず、この部分の変化のみによる要介護度の変化はないということである。
食事にしても、例えば嚥下機能に問題はないのに歯の状態や咀嚼能力を個別にアセスメントすることなく、食べやすさの観点のみで厨房から刻み食という形態にして提供し、元の形がわからないものを自力摂取すれば「自立」となるが、食べ物の形がわかるようにお膳には自然の形で配膳し、食堂の食卓において、まさに食べる際に、その方の摂取能力に応じて魚の身をほぐしたり、副食を食べやすくして自力摂取してもらった場合は「一部介助」とされ基準時間も長くなる。
そして、それにより介護度がより高く判定されるということがあり得るのである。
しかし形あるものを意識して食事摂取することは重要で、精神面への影響も大きいと思えるし、何より食事の楽しさや喜びは比較にならないであろう。
私たちが施設の中で、利用者の生活援助に関る中で、こうした生活行為と密着した部分の見逃されがちな小さな改善を積み重ねることが、個人の意欲や希望に結びつく介護予防であり、廃用症候群のみならず認知症の高齢者の方の機能維持にも繋がるケアといえるのではないのであろうか。(明日に続く)
介護・福祉情報掲示板(表板)
決して無理をせず養生して下さい。年明け以降は目まぐるしい
自体になりえますし、お身体ご自愛下さい。
先月、当方の地域で『認知症予防』についての事例検討&成果発表が
あり見に行きました。総論としては地域支援事業における特定高齢者
及び一般高齢者向けの内容でした。
その時に、『認知症予防』と『認知症ケア』は別に考えなければなと
改めて思いました。もちろん、先ず予防ありきで地域において実施でき
ることは理想です。ただし、『認知症ケア』に関してはやはり個々人の
状況によって、環境も関係もケアも異なります。
その人らしさを引き出した認知症ケアをもっと突き詰めていかなければと
感じたことを、今回のブログを見て改めて感じました。