タイトルは宮城県の浅野知事が福祉新聞連載していたコラムのパクリである。
しかし当時、このタイトルを見て「やられた」と思った。
毎日走っているのは僕だ!!走りながら考えているのも同様だ。
しかし冬のジョキングは厳しい。まず寒さ対策にトレーニングウエアの下にインナーを着け、野球の練習用の汗取りをばっちり着こんで、頭には毛糸の帽子をかぶる。
しかも一番の難敵は雪道である。とにかく滑る。特に普通のジョキングシューズでは前に進めない。冬用のスノトレを履き、夏場の2/3のスピードで、大地をしっかり踏みしめながら走っている。
冬でも、うっすら汗をかくまで走るが、息が上がるところまではいかない。
この年でも、全国の老人福祉施設の職員マラソン大会があれば上位に入るだろうなんて思いながら走っている。
野球の現役選手の頃からだから20年以上走っていることになる。
その間、制度やケアの中身や、施設のハード自体、周辺環境、様々な変化がある。
変わらないのは、自分が走っているという事実と、走りながら、明日の仕事や、仕事上の問題や悩みを考えつづけていることだけである。
しかし考えても考えても、どうしようもないことが多い。でもやらなきゃあならない。
介護保険制度のように「走りながら考えて」おかしなものにしてはいけないのだ。
しかしこの制度は、この5年間「走りながら考える」といいつつ、実際には「転びながら考え」、その行く先は、給付費をいかに減らすか、という1点に重要ポイントが絞られ、誰もが安心して暮らせる「老後」へのビジュンが全く示されなくなった、というおかしな制度になりつつある。
継続できる制度であっても、人に優しくない、人を救えない制度であれば継続する意味がないだろう。金持ちしか楽な暮らしが出来ないような制度ならいらないのだ。
そんなことを考えながら、さあ今日も走るぞ。
介護・福祉情報掲示板(表板)
まったくもって同感です。よくぞ仰ってくださいました。
本年8月に某所で制度改正関連の担当者説明会があり、出席しましたが、その中の制度改正の趣旨の説明において、第一の目的として掲げられたのが「制度の持続可能性」でしたからね..
制度は手段であって目的じゃない。
制度の持続可能性をプライマリに持ってくると公言して憚らない姿勢は、もはや介護保険制度が「手段のために目的を選ばない」ものになって(されて)しまったことを意味するものだな、と感じました。
そして、正にそのような現実が我々のすぐ目の前までやってきているように思います。