今日から週末にかけて、僕が福祉の仕事に就くきっかけとなった体験や思いを書いてみたい。
〜そう、無性にそのことを書いてみたくなった。少し付き合ってください。

僕のことを老人福祉や介護保険の専門家と考えている人がいるらしい。

この仕事に携わって20年以上経っているんだから、そう思われても自然なのかもしれないが、少なくとも僕のベースは老人福祉ではなかった。

僕の学生当時の専攻過程が分野別選考として区分されていたわけではないが、僕の専らの研究対象は児童心理学や少年非行論を中心にした「児童福祉」であった。

ちなみに「老人福祉論」は、可、という成績で何とか単位をとった。

実習や自己研修は、児童相談所や、ある地域の少年非行センターといった場所で行なっていた。

とはいっても最初から、福祉の仕事に就きたいとか、児童福祉の勉強をしたいとか、そんな明確な思いを持って大学を選んだわけではない。もう少しいい加減で、軽い気持ちであったと思う。しかし進んだ道が社会福祉学科であり、漠然と福祉の仕事を目指そうかなという思いはあった。
いや、あったんだろう。

そんな、浮ついた気持ちが影響していたのか、1年時は経済学部の経済学の教授の主催するゼミで活動していた。(当時、1.2年時は一般教養過程でこういう履修方法が可能だった)もしかして、大学での勉強が福祉に偏ることにある種の不安を持っていたのかもしれない。少なくともどっぷり福祉に浸かることに恐れに似た気持ちを抱いていたことは事実だ。

そんな時、恩師でもある松井 二郎教授が、授業教材として使われたのが、遠軽の北海道家庭学校・藤田俊二氏著「もうひとつの少年期」という本であった。

幼いときから小説を読むことが好きだった僕は、それまでもたくさんの書物との出会いがあったし、時々に感銘や感動をうけた書物も多かった。

しかし、このとき、この本との出会いの印象は強烈であった。感動とか感銘とかとは違う衝撃であった。

北海道家庭学校は、現在で言う「児童自立支援施設」である。当時は「教護院」と呼ばれていた。

様々な事情で、家庭を離れて教護施設で生活しなければならなかった「子供たち」の幼少期から、やがて家庭学校を巣立って、社会人になって生活していく姿の実話である。

様々な人生がある。

そして様々な巣立ちがあり、すべてがハッピーエンドの人生ではない。

しかし、それらの人生の原型は、本人たちが作り上げたものではなく、彼らの周りの大人たちが深く影響して作り上げられていることが共通していた。彼らは幼い頃に影響を受けた様々な運命を背負って、あるいは逃れようとしても、いつのまにか引き戻されてしまう宿命と戦いながら懸命に生きていた。

自己責任などという生易しい言葉が通用しないほどの烙印を、ほんの幼い命が経験して育っていかざるを得ない人生という強い印象が僕に何かを語りかけたのだろう。

本の内容自体は、忘れてしまっていることの方が多いが、今でもその印象が残っている。

そしてその印象が、僕の「行く道」に影響を与えたことは間違いない。

でも、その後の僕の体験の中で、同じような宿命を背負った子供たちと実際に関わることになろうとは、そのときは少しも気づかなかった。
Think about my Daughter 2 〜 僕は天使ぢゃないよ。に続く

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