施設のケアプランがケアサービスの質や内容そのものに焦点が当てられることは既に述べた。

そして居宅のケアマネジメントの視点も、本来その部分が重視されるべきであるが、他事業所の立案するケアプランの具体的方法までは、実際には手出し、口出しできる範囲は限られており、ケアマネジメントの主要な視点が、適切に複数のサービスを提供するスケジュール管理が基本となることも述べた。

さて、ここで施設のケアマネジメントを展開するにあたって最も重要となるポイントを考えてみたい。

施設サービス計画が、利用者の生活全般、まさに365日24時間の生活部分に提供すべきサービスや、その関わり方に焦点を当てるものであるとしたら、それはどんなサービスを提供するか、という視点に留まらず、そのサービス提供のあり方まで常に改良や方法の転換まで及んでくる。サービスのスタンダードを変えなくとも個別の方法を組み込む必要も出てくる。

つまりケアプランは、あなたは何をする、ということでなく、施設のサービス内容がこれで良いのか、という部分まで関わらざるを得ないのである。

そうなると当然ケアカンファレンスで議論される内容も、こういう課題に対し、こういう対応を行なうことにより、こういう目標を達成することができる、という視点をベースに、ケアの展開過程を精査する。このときケアマネジャーや他の職種のケアへの「気づき」が重要で、その「気づき」がケアサービスの品質向上に繋がる業務の見直しにまで及ぶことが当然あり得るのである。

つまり逆に言えば「これこれしかできない」という前提でのケアカンファレンスは、ケアプランを施設の都合に合わせて文言化する形骸化のケアプランにつながりかねないのだ。

ところが実際は、こういう例は無数にある。ケアプランがサービスに生かされず、制度内のルールのためにしか作られないとしたら、これは大きな無駄である。

しかし、その原因は施設のシステムそのものに起因することが多いのだ。

つまりケアマネがアセスメントし、ケアプランを作成する上でのリーダーシップをとらねばならないのに、いざその計画を実践しようとする入り口で、ケアの現場のリーダーシップや権限がケアマネに持たされていないことにより、その内容が受け入れられない、という問題が出現する。現場で展開すべきケアの内容の計画であるのに、作成作業の責任だけ負わされ、できることより、できないことの制限で、ケアプランが機能しないのだ。

これでは何のための計画かわからない。そしてそのことは施設におけるケアマネの業務というのがケアプラン作成業務に偏って考えられてしまうから出現する問題なのだ。

ケアプランというのはケアサービスの展開過程に必要なツールであり、それを作成する施設のケアマネがケアプラン作成とそのチェック(モニタリングを含めた)の専任者という位置づけだけで終われるはずがないのである。特に施設サービスの場合はその傾向が強い。

それは実際に介護業務や看護業務に関われ、という意味ではなく、ケアマネ業務が、ケアプラン作成作業を指すものではなく、トータルに利用者を援助する過程で、ケアマネジメントという社会福祉技術を使いこなす専門職として位置づけられる必要があるということで、専任のケアマネをおく場合は、特に相談員等のソーシャルワーカーとの業務分掌を明確にしておかないと、施設内でも不完全燃焼や燃えつきが起こる原因となるのである。

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