今日は福祉や介護とは関係ないが僕自信のことを少し書いてみることをお許し願いたい。

僕には故郷がない。

精神的とか観念的な意味ではなく、故郷という土地自体がこの国の地図の中から消えてしまっているのだ。

僕の生まれ育った地は、北海道で唯一、銅を生産する鉱山として、三菱という大企業が「町」全体を作ったという特徴があった。商業に従事する人以外は、すべて同じ企業に勤める人間と、その家族で構成される町であった。公衆浴場などは職員厚生施設としてすべて無料で運営されていた。無料だから番台のある公衆浴場を知らなかった。住まう住宅もすべて社宅で、ほとんど無料に近い家賃だったと思う。物資はあふれていた。当時の状況を考えるとかなり裕福な町であり、何不自由なく生活していた。

そんな町が今はない。銅の国内価格の暴落等により、僕が高校を卒業する年だったと思うが、閉山された。炭鉱が閉山されても、町や人は残る。しかし僕の町は残らなかった。閉山と同時に、一つの企業しかない町からは人が消えた。会社がなくなるという事は、会社組織で作られていた町がなくなることを意味していた。

忘れられた町
これが今の故郷の無残な姿である。

同級生は皆、幼稚園から中学卒業まで2クラス、全員顔見知りというより、幼馴染で友達である。同性であればお互い一度も一緒に遊んだことがないということはない。

しかし街が消えたと同時に、多くの友人達が全国各地に散り、消息不明であった。特に高校を転校している僕などは、仲間の間でもっとも消息がわからない人間であったようである。

ところが昨年、かつての同級生から突然メールが来た。何と「下川鉱山」とかつての町の名で検索したところ、管理者masa のページに行きあたったという事である。たしかにそのページには私の出身地の名を記している。しかし数あるキーワードの中で、過去の僕の故郷がこのサイトに繋がっているとは思わなかった。

それが縁で、今日、札幌で30年ぶりにみなが集う同窓会に参加することになった。故郷がなくなっても、かつての友と逢うことは、僕の心の中の故郷がなくなっていないことを教えてくれるかもしれない。

ということで、これから札幌に向います。約2児間後には着くでしょう。今日は夜通しの会になるかもしれない。

それにしても、あの頃の少年少女達が、どんな、おじさん・おばさんになっているんだろう。

楽しみでもあり、少し怖くもある・・・・。

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