「ケアマネはいつから法の番人になったんでしょうね」という話をしている方がいた。

聴けば、あれは介護保険の目的に照らして駄目だ、これは出来ない、自立支援に繋がらないケアプランは立てられない、ということを強調するケアマネのことを言っているらしい。

「でも、うちのじいちゃん、もう85なんです。ばあちゃんが亡くなったからといって、いきなり家事を出来るようになれと言うのは酷でしょう」という話である。

確かに自立支援は重要な視点だ。だがそれは、その方がいかに、その方なりの生き生きとした人生を送ることが出来るかという視点が根底にあらねばならないし、介護保険に限らず、介護サービスの、もう1つの(というより自立支援の視点と根幹は同一だが)視点は、生活支援、である。

後期高齢者などは要介護度が低くても、身の回りはなんとか自分で出来るが家事能力が衰えることが生活障害となって独居が難しくなる方がいる。このとき家事能力の衰えを停める思想でケアサービスを提供しなければ、間違っている、という価値観だけでは解決しない問題もあるのだ。

必要な生活援助である家事援助もあり得るのだ。

いかにポジティブに考えて、出来る能力に着目してサービスを結びつけようといっても、それが、出来ないことはだめなこと、という発想になっては困るのだ。生活課題はしっかり捉え、それに対するアセスメントをすることはネガティブではない。

出来ないものは出来なくて良い。出来ることをどのように生活の質に繋げていくかというのが自立支援ではないか。

ここは頑張るけど、ここは助けてもらいましょう、というのが人の生活ではないか。

24時間頑張れますか!!のケアプランでは長生きできん。