若かりし頃の失敗談である。

Hさんは、認知症があり廊下へ出ると自分の部屋がわからない。歩行も困難で車椅子を使っているが、うまく操作はできない。

しかし、Hさんは決してオムツに排泄しようとはしない(失敗して下着を汚すことはあるが)。日中はトイレに誘導されているが、夜間、臥床時はベッドサイドのポータブルを使っているからスクリーンで囲っている。

このスクリーンは布製であるため、少々汚れが目立ってきた。というより長年使っているため色あせして、なんだかみすぼらしい。ところでその時、施設では新たに和式の家具調ついたてを購入していた。

これHさん、気にいっていただけるのではないか。そう思った僕は、早速、Hさんのお部屋を訪ねて、「どうですか、このついたて素敵でしょう。新しいし、今のと替えて、こちらを使いませんか」。日頃、僕がお気に入りのHさんは、ニコニコしながら「ありがたいことだねえ」とうなづいている。僕としても「気に入ってくれた」と得意顔で新しいついたてを立てて、担当ケアワーカーに引き継いだ。このとき僕は、担当ケアワーカーの少し心配そうな表情を見逃していたようだ。

事件は、その夜に起こった。

Hさんが興奮して寝てくれないのだ。ここは自分の部屋でないという。

何のことはない、新しいついたてがHさんの混乱要素になってしまっているのだ。幸い、夜勤のケアワーカーの機転で、ステーションでしばらく過ごしている間に、もとのスクリーンに替えることで、落ち着きを取り戻した。

幸い大事には至らなかったが、Hさんの生活環境やスタイルに介入する際の僕の配慮が足りなかったことで、Hさんに生活障害をもたらしてしまった。これが原因で生ずる問題は「問題行動」ではなく僕自身の「問題対応」なのである。

Hさんが本当に望んでいることは何か、Hさんの立場で考えることなく、自分の価値観をHさんに押し付けてしまった失敗である。

翌日からあんなに慕ってくれていたHさんの僕に向ける眼差しには厳しいものがあった。短期記憶も衰えているはずなのに、「何か自分にとって嫌なことをした奴」と認識して覚えているんだろう。

かくしてHさんと元の関係を取り戻すために、毎日、大変な努力にその後数か月を費やすことになるのであった。蒼かったなあ。

関係を作るのは難しいが、壊すのは一瞬だ。

認知症の方に対しても、何を望んでいるのか、その方の生活に即して考えていかねばならない。それが寄り添うケアの基本なんだろう。決して認知症の方に46時中、付きまとっているのが寄り添うケアではない。