masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

2010年12月

今年出逢った素敵な人々。

登別は一昨日から昨日昼にかけ大雪で、午後から降りやんだが道路は凍ってツルツル状態だ。

昨晩も今朝も、通勤・退勤時の運転は大変だった。ハンドルをしっかり握っていないと振られちゃう場所があるし、なにしろブレーキを踏んでも滑って車が止まらない。デイサービスの送迎には最新の注意を払うように朝一番で注意を促した。

しかし道路は非常にすいている。もう年末年始の休みに入った人が多いのだろう。我々はそれらの人々が休んでいる間も働かねばならないが、そのことをあまりネガティブに考えないでほしい。特に現在の世の事情は、働きたくても働けない人がたくさんいるのだし、ましてや我々には、我々を頼ってくださる利用者の素晴らしい笑顔があるのだから、せめて現役時代は元気に働くことができることに感謝しよう。ポジティブに物事を考える人には、きっと幸運もめぐってくるはずだ。

明日の大みそかはブログ記事を更新している暇がないと思うので、今日が今年最後の記事更新になる。そこで今年、全国各地で新たに出会いの機会を持つことができた人々に改めてこの場から感謝を申し上げたい。この広い世界の中で、この時期に出会えたことは何より素敵なことです。あなたがいてくれるおかげで、今年も私は幸せでした。

1月に埼玉で行われた2つの主催研修に呼んでくださったケアセンター八潮のMさんと職員の皆さん。

花火で有名な秋田県大仙市大曲に大仙市地域密着型介護事業者連絡会研修の講師として呼んでくださったファインのKさんと同会の皆さん。

ターミナルケア研修に呼んでくださった、札幌の医療法人社団・豊生会グループの施設長さんはじめ職員の皆さん。

東京都北区ケアマネジャーの会総会に講師としてお招きくださったmizubenさん、I会長さんはじめ同会の皆さん。

narisawaさん繋がりで、帯広の研修講師に呼んでくださった帯広市介護支援専門員連絡協議会・施設系ケアマネ班のWさんはじめ事務局の皆さん。そういえばnarisawaさんもお逢いしたのは今年が初めてでしたが、そんな感じがしませんね。

帯広の研修に合わせて翌日に研修を設定していただいた新得町厚生協会やすらぎ荘のSさんはじめ新得の皆さん。

真夏の大阪の暑さを体験できた大阪市老人福祉連盟デイサービス連絡会職員研修に呼んでくださった、ビハーラこのみ園のSさん、はじめ事務局の皆さん。

その大阪研修を受講くださった富山県高岡南福祉会のS理事長さんには、来年2月の富山研修にお招きいただきました。認知症ケアとターミナルケアの2つの講演を行いますのでよろしくお願いします。

法人内ターミナル研修にお招きくださった、うらら伏古のMさんはじめ札幌市の北海道ハピニス、特別養護老人ホーム和幸園の皆さん。

栗山福祉会主催の職員合同研修にお招きくださった栗山町の特養くりの里のOさんはじめ事務局の皆さん。

もう何年も前からの知り合いであるにも関わらず一度もお逢いする機会がないままであった浜松市の如庵さんには、静岡県介護支援専門員連絡協議会・全体研修に講師としてお招きいただきました。事務局の皆さんもお元気ですか。

いつもお世話になっている栄和荘のS施設長さん繋がりで、厚別区地域ケア連絡会のターミナルケア研修にお招きくださった老健あつべつのGさんはじめ事務局の皆さん。

千葉幕張の全国老施協・通所介護サービス力向上研修会でお世話になった全国老施協事務局と在宅委員会の皆さん。

narisawaさんの帯広研修の後で、薄野で行ったOFF会に駆けつけてくれた北見市フルーツのAさん。列車が遅れて初対面の人達ばかりで宴会をはじめてくれてありがとうございます。お土産までいただき恐縮です。

埼玉研修で朝早くから会場まで「アッシー」をお願いする羽目になってしまった冥府魔道さんと奥さま。

その研修を受講された在宅介護支援センターのOさんからは地酒を北海道に送っていただき恐縮です。

それから、それらの研修でお逢いした、全国各地の様々な方々。(全員を挙げきれないので申し訳ありません)、表の掲示板の常連の方々ともたくさんお逢いすることができました。鋭いレスポンスを書かれる方々も皆さん気のよい優しさにあふれる方ばかりでした。本当にありがとうございます。

これからのこの国の介護リーダーとなるであろう、埼玉の独立法務事務所のTさんや東京都根津のヅカちゃんにも逢うことができました。「もんじゅ」も応援します。「もんじゃ焼き」と間違えないでください。そういえばgitanistさんもヅカちゃんといっしょに「もんじゅミーティング」のビデオ撮影だけのためにわざわざ都内から静岡研修の宿泊先に駆けつけてくれました。ありがとうございます。

忘れてはならないのは、今回僕のブログ書籍化本出版に向けて、編集者という立場から協力くださったヒューマン・ヘルスケア・システムのKさん。同書の奥付の「協力」というところに素敵な一文を入れてくださいました。どのような一文かは、本を手にとってのお楽しみということで・・・。是非ここを見逃さないでください。

こういう出会いが僕にとっては何よりの財産です。また来年、どんな人々に出会えるのか、そのことに胸を弾ませながら全国各地の研修会に足を運びます。来年もどうぞよろしくお願いします。

新年の記事更新は元旦から行うかもしれませんが、未定です。

それでは皆さん、よいお年をお迎えください。また新しい出会いに向けて、元気に新年を迎えましょう。

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お泊りデイサービスの保険給付化見送りについて

当施設の3代目施設長である小紫元施設長が25日ご逝去され、本日告別式が行われた。僕は先ほどまでそこに参列して今施設に戻ったところである。

思えば同元施設長が就任されていた3年間、僕はソーシャルワーカーとして30歳~33歳の時期に一緒に仕事をしたわけである。上司のいうことを聞かず、はねっ返りの扱いにくい部下であったろうと思う。管理者としての心労の一端になっていたのではないかと心苦しさを感じている。心よりご冥福をお祈りしたい。

さて暮れも押し詰まってきたが、今日はT市のIさんから教えていただいた資料と情報を基に記事を書く。

次期介護保険制度改正において、新たに保険給付化が検討されていた通所介護(デイサービス)における宿泊サービス、いわゆる「お泊りデイサービス」の保険給付化がどうやら白紙になり、次期改正では見送られることが確実になったようである。

僕はこのことについて「お泊りデイサービス保険給付化の問題点」として意見を述べるなど、終始保険給付化に反対の立場を取ってきたので、このことは良い方向だと考えている。

ところで保険給付化見送りの情報根拠については12/24付の「平成23年度厚生労働省所管予算案」から「お泊りデイサービス」の予算が削除されていることがまず第1に挙げられる。そして「平成23年度概算要求(一般会計)における予算の組み替えについて」においては、この予算が「元気が出る日本特別枠」として計上されている。

このことについてI氏から「元気が出る日本特別枠に計上されたということは、本予算から特別枠へ格下げになっているという意味で、このことが、お泊りデイが次期改正に盛り込まれない根拠となるようである。」という情報をいただいている。

これにより、ひとまず「お泊りデイの保険給付化」という長妻前大臣と山井前政務官が、突然思いつきで次期改正に盛り込もうとしたあまり必要性の薄い改定は見送られることになり、関係者としては落ち着くところに落ち着いたという感想が多いだろうか?むしろなぜこんな問題が最前線でクローズアップされなければならなかったのか、あらためて首を傾げたくなる心境だろうか。(勿論、給付化見送りについて残念に思っている人もいるだろうことを否定しない。)

それにしても、現場を知らない大臣と政務官の「思いつき」によって、ずいぶん関係者は振り回されたものだ。お二人して手をつないでお泊りデイの現場を見学して、彼らは一体何を感じ、今、この状況から何を思うのだろう。

特に僕が残念に思うのは、社会福祉サービスに造詣が深いとされる山井前政務官のあまりにも軽はずみなはしゃぎぶりである。もっと関係者の甲乙取り混ぜた様々な声を拾って真実をつきとめようとする姿勢がないと国政など任せられないぞ。一部のお囃子に乗せられた迷走ぶりは見ていて気分が悪かった。

今回の保険給付化見送りについては、我々も前政務官に直接メールを送ったり、アンケートの結果としての反対意見を、国会議員をはじめとした関係者に届ける努力をしたことが、そのことも微力ながらも影響力になったのではないかと考えている。現場のアクションが国を動かす可能性があるということだ。現に「反対メール」が多数寄せられたことにより、退任前の山井さんはずいぶん元気がなかったようである。そうであるがゆえに結果としての保険給付見送りも納得しているだろう。

政策はパフォーマンスではないということを真摯に考えてもらいたい。

※なお、これによって完全にお泊りデイの保険給付がなくなるという考えではないそうです。まだこの議論はくすぶり続けているそうです。政治絡みですから、今後どのような展開になるかはわからず、保険給付が現実化する可能性もゼロではないそうです。(2011.1.19新情報により追記する)

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記事で振り返る今年の10大ニュース

今年も残すところあと4日である。官公庁は今日が仕事納めという所も多いだろうが、介護サービスに休みはなく、年末年始に関係なく働いてくれる職員によって利用者の暮らしや各々の職場が支えられている。

僕の通常業務は30日の午後8時くらいまでの予定である。30日の夜は、緑風園で暮らされている方々の「忘年会」を毎年行っているので、このささやかな宴が終わるまでが通常業務なのである。

先週末は休みを利用し、自宅で大掃除を手伝った。あいにくの雪の週末で、雪かきもしなければならない状態だったが、子供たちが掃除にも、雪かきにも戦力になる年になったので、年をとって動きが鈍っている僕らにとってはとてもありがたいことである。神様は時の流れの中で、色々な順番を人に与え、自然に年を重ねるという意味を教えてくれている。

さて本日は当施設内も大掃除である。通常の介護業務に携わる職員以外の事務職員等は、朝から大わらわで掃除にかかっている。僕も施設長室だけでなく、ホールの天井や電球などをせっせと拭いている。少々首が痛くなって小休憩である。(小休憩が年々長くなっているのは年のせいだろう。)

今年も様々なブログ記事を書いてきたが、今日はその中から、今年の私的10大ニュースを選んで1年を振り返ろうと思う。

今年の第1位はやはり、介護保険制度次期改正議論をめぐる問題と、その関連記事だろう。今年の3月以降、このことに関連する記事を様々な角度から書いてきた。その中でも、みなさんの拍手クリックを一番多くいただいたのが「制度改正、ケアマネは小間使いか!!」である。そのほか「制度改正の視点はまたも給付抑制」「国に声を届けるために」という記事も自分なりに重要な記事と思っている。同時に表の掲示板では「制度改悪阻止のため国に提出するデータ作成のためのアンケートにご協力ください」という形で、現場の皆さんの生の声を集めるためのお願いをしたが、たくさんの皆さんに協力いただき、実際に寄せられたデータや意見を国会議員はじめ関係者に広く手渡すことができた。改正議論の中では過去にない画期的なことで、様々な評価をいただき、世論形成の一部には少なからず影響を与えていると言える。

人を語らずして介護を語るな第2位:このブログが書籍化されることが決定。
発刊は来年1/20であるが、皆さんの応援の声により、本という形で世に出ることになった。「ブログ書籍化のお知らせとお願い。」「ブログ書籍化本デザイン決定」は比較的に新しい記事で皆さんの記憶にも残っているだろうが、改めて発刊本の購入のお願いをしておきたい。是非本が売れて、来年の10代ニュースの1位にしたいものである。




第3位:人との出会い。今年も僕の人生にとっての最大の財産である「仲間」が増えた。かねてより知り合いで、いつもメールや電話でやり取りしている師匠という言うべきnarisawaさんに実際にお逢いしたのは今年が初めてである。帯広市の研修に彼が来た時に、図々しくもお邪魔させていただき、薄野でOFF会までしてしまった「masaの帯広紀行」。この後narisawaさんの縁で僕の十勝講演にも結び付いたし東京で行われる老施協研修でnarisawaさんに講師をお願いする縁にも繋がった。それと今年全く新しい出会いの中で印象深い2人の方々は「輝いている人々との出逢い」の中で紹介している。

第4位:共著本「介護施設の法令遵守」発刊。原稿を入稿してから1年以上の月日を経て世に出た共著分である。「介護サービスにおける法令遵守について」。ご購入いただいた方々に深く感謝したい。

第5位:今年は節目の10年であるということをもう一度思い出してほしい。「10歳になった介護保険」。我々の行く先がどこなのか、光を求めてアクションを続けていく必要がある。

第6位:相も変わらね不適切処遇や虐待ケースの表面化。「認知症高齢者を雑魚寝させていた施設の公表情報」「心の闇はどこから生まれるのか。」、こういう問題を真剣に考えて、皆で良いサービスを作って行かないと介護サービスは国民から見放される。

第7位;繰り返される悲劇。事故は本当に恐ろしいし、一瞬のうちに奪われる「儚い命」を考えた時声を失ってしまう。「悲劇は何故繰り返される」ただただお亡くなりになった方の冥福をお祈りし、深く頭を垂れ、合掌の心を持ちながら、悲劇を繰り返してはいけないと強く心に誓うだけである。

第8位:理由はともかく、かねてより批判してきた「介護情報公表制度」の事業者負担が廃止され、調査も全事業所ではなくなり、発展的解消に大きく動き出した。「公表制度手数料廃止方針・利権を残すな」

第9位:今年は僕の講演依頼の中で「看取り介護」に関するテーマが多くなったが、僕自身や僕の施設でも、新しい理念QODへの支援というものを取り入れて、さらなる「看取り介護」の品質向上に努めている。「看取り介護研修週間について。」

第10位:今年はファイターズの話題をあまり記事にできなかった。わずか1勝差での4位。0.5ゲーム差で3位のマリーンズが日本シリーズを制してさらに残念感が深まったが、最後に良いことがあった。「ファイターズ小僧の雨のち晴れ」

番外:埼玉で僕の講演を受講してくれたOさんからは、わざわざ北海道まで地酒を送ってもらった「masaの日本酒道14~稲花・大吟醸「金龍稲花」」。秋田の主催者の方からも同じく珍しいお酒を送っていただいた「masaの日本酒道15~発泡清酒「ラシャンテ」」。ノンベがばれるな。

それと日本介護支援専門員協会は相変わらずである。こういう会に入会してはいけない。「協会会員にあらずんば人にあらず?」「某(なにがし)の踏み台諸君へ」

来年は一体どんな年になるだろう?良い年であることを願うばかりである。

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次期介護保険改正議論を振り返る。

12月24日に厚生労働省は「介護保険法等の一部を改正する法律案(仮称)のポイント」という通知文書を出している。ここに次期制度改正の内容がまとめられているので確認していただきたい。

12年度の介護保険制度改革では、当初厚生労働省案に盛り込まれていた高所得者の自己負担割合引き上げなどの利用者負担増を断念している。(当然ケアプラン作成料の1割負担導入や多床室の居住費負担なども見送る方針という意味である。)

その結果、今回の改正では介護療養病床(約8万6000床)の廃止期限先送りなど必要最小限の法改正にとどめる方針で、保険料の抑制策としては積み立ててきた基金の取り崩しで対応するという。

制度改正は介護保険法附則第2条に定められた規定だが、それはあくまで「施行後5年を目途に検討を加えて、その結果に基づいて必要な見直しなどの措置を講ずる」としているもので、必ず大きな改正をせねばならないというものでもないので、国民のコンセンサスのない、大きな改正はしなくて正解であると思う。

しかしその意味は利用者負担増などを「行う必要はない」という意味ではない。増え続ける高齢者に比して介護給付費は増えるのは必然なのだから、新たな国民負担は必要不可欠であり、そのことをすべて否定しては制度そのものが運用できなくなるのは目に見えている。基金だって底をついたら終わりなのである。

だから1割負担の見直しなどは近い将来に必ず必要となる。しかし「どの部分をどの程度の負担増とするのか」という国民議論を行うことが先決で、現在のように厚生労働省老健局が、その子飼いのコンサルティング会社を使って都合のよいデータを集め、社会保障審議会介護保険部会という「ガス抜き委員会」に一方的に方策を示して決めるという方式では駄目なのだ。ここを変えていかないと・・・。

改正法案は当初の予定より少し提出が遅れて、来年4月か、遅くとも5月には国会提出され通過する見込みだという。しかし必要最小限の法改正といっても、あの評判の悪い「お泊りデイサービスの保険給付化問題」の結論はまだ出されていないし(見直し案に掲載されていないところを見ると、今回は見送りか?)、給付制限策としての「要支援者向けの掃除や調理などの家事援助について、市町村の判断で保険給付の対象から外せる仕組みを創設する方針」については「保険者判断による予防給付と生活支援サービスの総合化」という文言でしっかり盛り込まれている。これはさほど小さな改正ではない。

また「軽介護者(要介護2までがターゲット)の家事援助外し」は完全に見送られたとは今回の報告者だけで結論付けることはできない。ここも注視する必要がある。

今回の改正で一番大きな変更点は「24時間対応の定期巡回・随時対応サービス」を中心とする「地域包括ケア」が、居宅サービスの新たなサービスとして取り入れられることであり、これは大きな改正と言えなくもない。特に「地域包括ケア」が取り入れられ「複合型サービスを創設」するのだから、このサービスが中心となる地域においては、複合型(訪問看護等を一体的に提供できる事業所)ではない訪問介護事業者は、これによって淘汰されないのか懸念される。少なくとも小規模の単独訪問介護事業所は、複合型サービス事業所の下請け化されるという事態は当然起こってくるだろう。また地域包括ケアに関しては利用者の選択性はどの程度保障されるのかという部分で不透明であり、ここは今後注視していく必要がある。

介護保険部会の委員でもある淑徳大学の結城康博准教授は地域包括ケアシステムについて「これを批判する必要はないが、現場で実現できるかどうかというと、はっきり言ってできない。お金もないし、資源もないし、理想だけを掲げても現実的には難しいと思う」と述べるとともに、制度改正議論について「介護保険制度は10年たっても制度全体の総括がされていない」「委員会の議論は実質7/26以降の3月しか行われていない。抜本的な制度改正はこの状態では無理」と全国老施協の北海道大会で語っている。まさに形骸化のガス抜き部会の実態を現わした発言と言えよう。

ところで、こうした状況下で12年4月からの介護報酬はどうなるのだろう。この議論は来年夏ごろから介護給付費分科会を中心に本格化される。

既に介護職員処遇改善交付金は給付費とは別枠で現行方式と同じような形で支給するという方針が示されているが、肝心の給付費自体はどうなるのか?これは極めて厳しい。既に居宅介護支援費の20年報酬改定で新設された各種加算は、算定率が低いとして廃止の方向が示されているが、その他のサービスにおける介護報酬も今の状況ではプラスになる要素がない。

特に12/20各報道機関が報じているが、厚生労働省が処遇改善交付金について「月額給与は今年6月までの1年間で平均15.160円増加。昨年10月に設けられた処遇改善交付金が機能している」と発表し、暗に「十分な額である」ということを示している。

同時に「交付金を申請した所は看護師など交付金の対象外の職種でも月額約8.500~10.220円の賃金増があった。」として交付金対象外の職員給与もこの影響で改善があるのだから範囲を広げる必要はないということも暗示している。

さらに「10年の介護事業経営概況調査では、介護サービスを提供する事業所の収支は大幅に改善したことが明らかになった。」として次期介護報酬は上げなくてよいと言いたいかのようである。この調査はわずか15事業所の調査だから問題にならないとしても、今年7月に約1万事業所を対象に実施した調査結果によっては、次期介護報酬のマイナス査定もあり得るのである。

現に12月24日に開催された「第70回社会保障審議会介護給付費分科会」において、このわずか15事業所の調査結果を根拠として、龍谷大学池田教授は「・・・だから、次回の報酬改定は、0%か、マイナスだ!」と発言しているそうである。(これは議事録には載らないだろう。傍聴者の方からの情報である。)

ここが問題である。我々の戦いはまだまだ続くのである。

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北海道空知振興局のボンクラ指導

介護保険には様々な地域事情に基づくローカルルールが存在するが、だからと言って法令根拠のない「おバカ」な指導まで「ローカルルール」として認められるわけではない。

しかし行政担当者の考え方が絶対だと思いこむ理解力のない頑固頭によって、こうした根拠のない行政指導がなくならない。まったく知識のない小人物が権力の椅子に座るととんでもないことをしでかすものである。

先日ある掲示板に『北海道の岩見沢市にある事業所に実地指導が入り、その中で「ケアマネジャーから交付を受けるケアプランには必ず署名・捺印が入ったものでなければ、ケアプランとして認めない」という指導があったそうです』という書き込みがあった。

岩見沢市は、僕が高校1年途中から就職するまで暮らしていた「地元」であり、そこの仲間がこういう「ボンクラ指導」を受けているのは黙っていられないのでアドバイスしたが、全くこの指導はおかしい。道の指導で岩見沢市の事業所の担当だから、これは空知振興局の担当課によるものだろう。担当者はどこのどいつだ。

おそらくその担当者は、基準省令13条11項の「介護支援専門員は、居宅サービス計画を作成した際には、当該居宅サービス計画を利用者及び担当者に交付しなければならない。」とされている条文の解釈について次のように誤って理解しているんだろう。それは「居宅サービス計画」については「介護支援専門員は、居宅サービス計画の原案に位置付けた指定居宅サービス等について、保険給付の対象となるかどうかを区分した上で、当該居宅サービス計画の原案の内容について利用者又はその家族に対して説明し、文書により利用者の同意を得なければならない。(同13条10項)」とされているため、同意を得たものがはじめて「居宅サービス計画」になるので、その同意の証明が同計画書に書かれている必要があるという理解力に基づく理屈で「ケアマネジャーから交付を受けるケアプランには必ず署名・捺印が入ったものでなければ、ケアプランとして認めない」という指導をしているんだろう。

しかしこれには全く法的根拠がない。というか基準省令の内容に関する理解力不足による誤解に過ぎない。

なぜなら、この同意については「文書により利用者の同意を得なければならない。」とされているだけで、その文書が「居宅サービス計画」でなければならないとしてはおらず、別紙同意文書で証明されれば、署名または捺印による同意欄がない「居宅サービス計画」であっても、原案に同意を得た正式な「居宅サービス計画」になるからである。

そして最も重要な法的根拠は、老企29号「居宅サービス計画書標準様式及び記載要領」に定められた標準様式には同意に関する署名・捺印欄など存在しないからである。

さらにいえば同通知の6.第6表:「サービス利用票(兼居宅サービス計画)」[13]「利用者確認」においては「居宅介護支援事業者が保存するサービス利用票(控)に、利用者の確認を受ける。ただし、利用者が作成した場合は、記載する必要はない。」とされており、同意に関する利用者確認は居宅介護支援事業者の「控」において証明されれば良いとされているものであり、これは同じ指定書式である1~3表にも通じる理屈であり、利用者同意の確認印等は本人に交付される文書ではなく、事業者の控えにあればよいという意味である。

つまり北海道空知振興局の1担当者の指導にはまったく法的根拠がないばかりか、こうした法令理解さえない状態で行われていると言わざるを得ないのである。こんな指導を「当地域の決まりごとです」と押しつけられてはかなわない。そもそも道全体ではそのような指導を行っているという事実はないのである。そういう意味からも空知振興局のこの指導は、まったくもって超ボンクラ指導と言ってよいだろう。

しかしこうしたおかしな指導は岩見沢市に限らず全国的には様々な地域で同じように行われているらしい。その時、その担当者はいったいどんな顔をして介護サービスの専門家である我々に対して、「実地指導」という名のもとに、こんな馬鹿げた指導をしているのか一度みてみたいものだ。

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蟻の目と鳥の目を持つべき職種。

物事の実体を見極めるためには、地を這うように現実に即した視点で見る「蟻の目」と同時に、空を飛ぶ鳥のように大所高所から状況を見定める「鳥の目」の二つの見方を持つことが必要であると言われる。

しかし我々が常に両方の視点を持ちながら、すべての事象を捉えるということはなかなか難しい。どちらかの視点に偏って物事を見つめてしまうことが多くなる。だから自分だけではなく、人の意見に耳を傾けるということも必要になるのだ。

介護サービスの現場も同様で、大きな組織になればなるほど、誰か一人の優れた職員に両方の視点を持つ役割を担わすだけではなく、役割分担で、この違った視点からサービスを検証するということも必要だ。その中で、常に両方の視点を持つ役割を担う職員をも養成することができればベストである。

つまり現場で直接介護を行っておりさえすれば、介護サービスのすべてを理解できるということはなく、一歩も二歩も引いた場所から大局的に「介護サービス」を眺めねば分からないことも多いのである。だから現場の介護・看護職員と事務・管理部門の職員の双方の視点、介護職員と看護職員と相談援助職員のそれぞれの視点、そうしたものはどれも重要で、どれが欠けてもサービスの評価と、新たな創造は生まれない。そしてそれらの視点を結びつける役割を持つ職員も必要なのだ。

同時に施設のトップたる管理者は、まさに一番上空から、それらを総合的に見つめて、すべての調整機能を果たすという役割があり、そうであるがゆえに、現場の細かな動きにとらわれ過ぎてはならず、管理者が何でもできるという能力を持っていたとしても、なんでも現場職員と同じようにすればよいというものでもない。それぞれの立場と、それに応じた与えられた役割というものは違うという理解が必要だ。

一番利用者の近くにいる介護職員は、実に細かな利用者の変化に気づき、様々な特徴を知っている。皮膚状態のちょっとした変化も、何か変化があれば1ミリ単位で報告が挙げられ、その対策が立てられているので、こうした現場で「隠れた虐待によって生じる身体変化に気がつかない」ということにはならないのではないかと自負している。

しかし同時にあまりに利用者に近い存在であるがゆえに、見えなくなってしまうものもある。体の小さな傷は見逃さなくとも、日常の何気ない空気(雰囲気)を近すぎるがゆえに感じなくなることがある。さらにいえば介護サービスという業務に携わりながらもっとも利用者の身近で接するがゆえに、世間一般の常識を忘れてしまうような業務上の「慣れ」や「感覚麻痺」が生じやすいのも、こうした身近な介護職員の特徴でもある。このことを少し考えたい。

僕が相談員として従事していた間に、様々な現場改革・ケアサービス改革を行ったが、その改革の視点は決して「介護サービスの専門家」の視点ではなく、「生活者の平凡な視点」であることが多かった。そしてそれは介護を直接行う職員であるがゆえに、あまりに当たり前のことに気が付きにくくなっていることがほとんどであった。

例えば、入浴介助の際の体を拭くタオルやスポンジを、利用者が変わっても「体を洗う道具」でるそれらをを変えないで、複数の人に使っているなんてことがあった。しかしどう考えても、これはおかしい。人が変わるたびに洗って綺麗にして、支障がないと言っても、他人の体を洗ったタオルで自分が洗われたらどうだろうと考えた時、これは絶対にしてはいけないことだ。ましてや入浴なら陰部も洗うんだろうから、そのタオルで自分の顔を拭いていることを知って嫌がらない人はいないはずだ。当然、こうした体を洗浄するスポンジやタオルは個人専用で使うべきである。

いまだにそういう区分を行っていない「現場」のほうが異常である。ちなみに当施設では、一人の人の洗身支援であっても、顔を拭くタオルと、陰部を拭くタオルは色分けして変えている。

着替えということも、時と場合によって、蟻の視点だけでは見えなくなってしまうことがある。

先日、実際に我が施設であったことだが、午後5時という夕食より1時間も前に、サービスステーションの前でテレビを見ている利用者の姿に何かしら「違和感」があった。よく見るとそれは、下衣に寝巻のズボンをはかされている姿であるから感じたものだ。

どうやら何らかの理由で下衣交換がこの時間に必要になった際に、もう夕方で、食事を終えたら「どうせ寝間着に着換える」という感覚で、寝巻のズボンをはかせてしまったものらしい。しかし夕食には1時間以上、その後の着替えにはさらに時間がある状態で、この時間に寝巻のズボンを履いてホールに食事しに行くのは異常である。着替えてさえおればよいという問題ではない。これは慣れや流れ作業が生んでしまう感覚だが、その異常さに気付きにくくなるのも、蟻の目からからしかみないことに原因があることも多い。

そういう意味で、僕は現場の中で蟻の目と、鳥の目を同時に持つべき職員としてソーシャルワーカー等の相談援助職員にその役割を求めたい。だから相談員が、介護職員と同じような業務を行い、同じような流れで仕事をすることをよしとしないし、相談援助業務に携わる職員が、介護職員と兼務する状態も良いとは思わない。

一番大所高所からものを見つめるのは、僕の仕事だが、それより少し現場に近い場所で、止まり木の上から現場を眺めて、必要な場合、現場に降りて状況を検証するというのが相談員の役割と思うからである。

そういう役割を僕は求めている。

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特養の宿直職員配置義務撤廃の提言

介護保険制度や介護報酬の算定構造には様々な矛盾や不公平がある。

例えば老健関係者の方々から言わせれば、特養の医療費が介護報酬の外枠になっていて、利用者が外部の医療機関の診療を受けても施設の負担がないことは、老健のマルメ報酬と比べて不公平だという声がある。しかしもともと老健のマルメ報酬は、医療費を包括して設定されているもので、医療費がかからない人の報酬も医療費を含めた額で算定できるというふうに考えることもでき、額の低い特養の介護報酬を鑑みれば、それは理不尽な指摘だろうと僕自身は思う。勿論、老健の関係者の方は反論があるだろう。

しかし不公平感は特養側の方からも指摘したいことがある。利用者の私物の洗濯代は特養だけが別途、利用者から負担を求めることはできないとされている(老企54号)。その理由は、もともと措置費の時代から私物の洗濯は特養の業務に含まれ、措置費にも含まれていたからだという。ブラックボックスである介護報酬の中身は謎だが、どうして算定費用の一番低い特養報酬に、老健や療養型に含まれていないとされる「私物の洗濯代」が含まれているというのか理解に苦しむ。

それはよいとして、僕が一番矛盾に感じることは、夜間の宿直職員の配置問題である。

介護保険法にこの配置義務はないことから、老健と療養型施設では、夜勤者のほかに宿直者(事務当直)を置かなくとも問題ないが、特養の場合のみ老人福祉法の関連通知「社会福祉施設における防火安全対策の強化について」により夜勤者とは別に夜間帯に宿直者の配置が必要とされている。これは制度上の大きな矛盾ということにとどまらず、経営上のリスクでもある。

ほとんど電話番くらいしか仕事のない事務当直者を毎日配置しなければならないことは無駄以外のなにものでもない。潤沢な介護報酬が手当てされているのならともかく、厳しい経営事情の中で、サービスの質の維持のためには、直接介護職員の質と数はそれなりに整えなければならず、経営は年ごとに厳しくなる。スプリンクラーが整備され、夜間職員配置加算を算定できるレベルで人員配置をしている施設であれば、当直者の意味はほとんどない。

全国老施協には会員に向けた質問等の窓口として「老施協110番」というWeb上の受付窓口を設置しているので早速そこに以下の通り意見を送った。

『介護老人福祉施設における夜間宿直職員(事務当直)の配置について

介護保険法では、夜間の当直職員配置規定はなく、老健や療養型医療施設ではそのことが求められておりませんが、特養の場合、老人福祉法上の規定で「養護老人ホームや特養等の社会福祉施設に夜勤者以外の宿直者が義務付けられている」として夜勤者とは別に宿直職員(事務当直)の配置が求められています。
しかし他の介護保険施設に規定のない夜勤者とは別の配置職員が、介護報酬の一番低い特養だけに求められているということには矛盾がありますし、他の施設で宿直職員の配置がなくとも夜間の利用者の安全性が問われないことと整合性がとれません。
夜間宿直員の配置については、東京都東村山市の特養火災死亡事故以後に規定されたものと思えますが、その後、特養にはスプリンクラーの整備が義務付けられていますし、夜間介護職員配置加算を多くの施設で算定している現状は、規定以上の職員を配置しているという実態を現わしていることと解釈できます。
実際、夜間の宿直職員は電話番程度の仕事しかなく、配置していなくとも夜間業務に支障はないし、安全性が著しく低下しないのは、老健と療養型に宿直や事務当直が義務づけられていないことでも証明されています
介護報酬の額が厳しい現状で、ほとんど仕事のない宿直者にかける人件費は経営を圧迫しています。
全国老施協は、なぜこうした不公平な人員配置基準を放置して改善の声を挙げないのでしょう?宿直職員の配置義務撤廃について会としてアクションを起こしてほしいのですが、いかがでしょう。』

以上の内容で意見を送ったのが10/13である。しかし全く回答がなかったので、12/6に再度「意見具申」の形で回答を求めた。しかしその後も全く「梨の礫」で、うんともスンとも反応がない。回答があったらあらためて皆さんに結果をお知らせしたい。

それにしてもこの老施協110番。名称にそぐわずに回答は極めて遅い。事件が起きて即応するという意味の110番の看板は下ろした方がよいと思うのは僕だけだろうか?

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ブログ書籍化本デザイン決定

今年も残すところ今日を入れて12日しかない。この暮れの時期皆さんはどうお過ごしだろう。今日の登別は「氷雨」が降り、外も暗く重苦しいような天候である。

しかし照る日もあれば、このような日もある。晴れない雨はなく、厳しい冬の向こう側には常に暖かな日差しを降り注いでくれる春が来る。人の一生も晴れたり、曇ったり、時に厳しい風雪に身を凍えさせる日々もあり、そいうい幾多の哀しみや苦しみを乗り越えたところに、新しい陽がさすんだろう。今年1年笑える日が少なかった人も、きっと来年はその分を取り戻すことができるさ。だから皆で支え合って、肩を組んで、前に進んでいこう。明日という日は、明日を信じる人にだけ訪れる「未来」なのだから・・・。

僕の職場では、先週金曜日に登別温泉に1泊で忘年会が行われた。全職員93名のうち、7割近い63名が宿泊し、1年間の労をねぎらった。すべての職員がその志を高く持って、利用者を含めて皆が笑いあえる職場であってほしいと願ってやまない。ひとときの憩いの時が、次の日からの活力になってほしい。

ところでいよいよ年が明ければ、このブログの書籍化本が出版される月になる。本の刊行日の規定がいつなのか知っているわけではない。例えば有名な作家の書籍ならば全国一斉に発売され、その日が「刊行日」になるんだろうが、僕の書籍「人を語らずして介護を語るな~masaの介護福祉情報裏板」(ヒューマン・ヘルスケア・システム:四六版256頁・税込1.980円)は、2011年1月20日に出版社に納品され、その後、出版社から、全国の書店や先行予約した皆さんに届けられるので、書店に並ぶ日も1/22~1/25位までマチマチで、正確な刊行日がいつなのか曖昧であるが、とりあえず出版社に納品される1/20を出版日とアナウンスしているところである。

現在、原稿の最終校正作業にかかっており、年が明けて1/5に校正原稿を挙げ、あとは印刷・製本を待つだけになるが、既にご承知の人もいるだろうが、昨週末金曜日に、本のデザインが決まってこのブログ等に画像をアップしている。12/10の日に「表紙の色は何色だと思いますか」というアンケートを取っているが、その結果は半数近い46.4%の方々が、このブログ記事の背景と同じ「黒」を基調としたデザインではないかと予想されているが、結果としてはその予測や希望?を大きく裏切った形で正反対の「白」をバックにしたデザインにした。

表紙カバー、帯付き


当然賛否はあるだろうが、これは編集者の方と、僕が入念に打ち合わせを行って、最終的に選択したデザインである。帯は淡いオレンジで、この帯をとると真っ白なバックである。書店に並んだ時のインパクトにも配慮したつもりである。

少し大きなサイズで画像を貼り付けたので、読者の皆さんは、この最終決定されたデザインをどう思うのか、是非下の投票アンケートで意見を聞かせていただきたい。コメントには応援メッセージをはじめ、なんでも良いから僕宛ての「一言」を書いていただきたいと思う。

ところで、この本が発刊されて1週間後の1/28(金)、僕の今年最初の「講演」を神奈川県横浜市の「ウィリング横浜」で行う。テーマは「制度に強くなろう~法令を遵守したケアプランの作成」というもので、戸塚区の10包括支援センター主任ケアマネジャー連絡会の主催研修であり、戸塚区内の居宅介護支援事業所のケアマネジャーの皆さんが多く集まる研修会のようであるから、居宅介護支援における「居宅サービス計画」の立案の要点を、法令との関連で考える内容になっている。(参照:戸塚区10包括支援センター主任ケアマネジャー連絡会研修案内

先着120名限定だそうであるが、区外の申し込みも受け付けるそうであるので、興味のある方は是非おいで願いたい。

なおこの研修会では主催事務局の許可を得たので、刊行されたばかりの僕の書籍「人を語らずして介護を語るな~masaの介護福祉情報裏板」を会場で販売させていただく予定である。刊行後最初の会場販売という記念すべき研修になった。販売は受け付け付近で、出版社の担当者が行っていると思うが、購入された方でご希望者には、もれなく僕のサインや、記念落款のサービスも行うので、講演前後にお気軽に声をかけていただきたい。希望者全員の要望にお応えするまで時間はとるつもりである。

そのほか来年2月以降に、僕が呼ばれている研修会等でも、事務局の許可をいただき、会場販売を行う予定なので、お楽しみに。また既に購入済みの方も、持ち込んでいただければ会場でサインや落款を押すサービスは行わせていただくのでご心配なく。

それでは皆さん、あと約1月後に迫った発刊をお楽しみに。(下のアンケートもよろしくお願いします。)

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政治家はみーんな健忘症、現場はみーんな能天気?

介護職員処遇改善交付金をめぐる過去の論議を思いだせる関係者は多いだろう。これは介護職員の給与を月額15.000程度上げるために公費支給されているものだ。

当時の与党は自民党。そしてこの交付金を「緊急経済対策」の意味を含めて決定した政権のトップは麻生首相であった。老施協の中村顧問(自民党参議院議員)は、当時まだ老施協会長だったな。

これに対し現場は「なぜ介護職員だけが対象なのか」という不満の声を挙げたが、これについて麻生政権の提案を「諾」とした全国老施協の中村顧問は、「介護職員以外の給与改善は3%の介護給付費アップ分で、介護職員は交付金で、そのことによって全体の職員の給与改善が可能になる」と各地の研修会等で考え方を示していた。

同時にこの交付金が3年限りの時限措置であることについて「介護職員の確保という面からすれば恒久的な施策でなければならないのに、時限措置はおかしい」という当時の野党・民主党を中心にした意見に対し、自民党は「3年間の時限措置の意味は、3年後に介護報酬の改定があるので、その際に交付金も報酬に上乗せして組み込むのだから時限措置としたものだ」と説明していた。

つまり当時の議論から言えば、次期報酬改定でこの交付金がどうなるかということは議論するまでもなく、報酬改定は既に終わっていたのでそこに上乗せできないから公費による交付金にしたもので次期報酬改訂時には正常な形に戻すという意味で「介護報酬に組み込んで新単価を設定する」というものだったのだ。

しかしその後政権交代があった。だからこの方針は「チャラ(白紙)」だという。そして民主党としての基本的な考え方は「処遇改善交付金は2012年度以降も継続するが、その扱いは引き続きわかりやすい外付けが望ましい。」ということであるらしい。しかし待てよ民主党さん。それじゃあ給付金を継続するってことはわかったよ。でもあんたの党は政権交代前になんて言ってたっけ?民主党は「介護職員の給与改善は月額15.000円では少な過ぎる。最低40.000円は必要」と言っていたよな。処遇改善交付金もそのレベルに引き上げるんだろうな。それから介護報酬で見ないとすれば、介護職員以外の定期昇給等は必要なしとでも言うのか?

今回の制度改正で民主党は、保険料月額5.000円以下の負担という壁を守らないといけないと言っているんだから、そうなら介護報酬は現行より1円も上げないということになるぞ。

それなら介護職員報酬の月額40.000円アップだって夢の夢じゃんか。あの主張はどこに行くんだい?ああそうかマニフェストさえ変えて反故にするのがお宅の得意技だからな。今回もそれで行くわけか。

しかしそれじゃあ、この国の超高齢社会の介護ニーズには対応できないぞ。この国の近い将来の高齢者は、ソフトバンクの孫さんのようにたくさんお金を持っている人以外、闇の中でもがくしかないのか?もっときちんと国家責任としての介護サービスの基盤を作ろうぜ。

しかもよく考えてくれよ。介護職員処遇改善交付金が介護報酬に包括されようと、今と同じ形で交付金として支給されようと、実質的に人件費に回せるお金がきちんと担保されれば僕個人はどちらでもう良いと思うが、その額が今の交付金の額と同じでは、定期昇給も出来ないということだぞ。いつまで報酬アップの比較報酬を19年度の支給額と比べる状況を継続するんだ。バカも休み休み言え。

そして介護職員以外の他職種の給与もきちんとアップさせていく必要だって当然あるんだぞ。組織としてきちんとした運営をしていないと、職員は貼りつかないし、サービスの質だって経営者の胸先三寸で全部決まってしまっては困るんだから・・・。そうであれば当然、現行の介護報酬より単価アップを図った上で、処遇改善交付金もベースアップして報酬包括するか、あるいは交付金継続が必然だ。そうでなければ現場の職員の給与は今より上げられないんだぞ。定期昇給も出来ないんだぞ。

現場の職員の皆さんも、このことを理解しているのか?今、国が議論していることは「現行の介護報酬に、処遇改善交付金を上乗せするだけで2%の報酬引き上げになり、その額は保険料月額100円程度の引き上げになってしまうので難しい」という議論なんだぞ。

つまり介護報酬改定は0ベース査定で、これ以上上げられないという所で処遇改善交付金も現行ベースのままで考えて、それを交付金として上乗せする現行方式だけは継続するという話なんだ。そのことを分かっているんだろうか?これは事業経営者にとっても、介護サービスに従事する職員にとっても大変なことなんだという認識に欠けていないか?

それだけ厳しく、馬鹿げた議論の上で、次期報酬改定が決まってしまう危機感をもっと現場の職員が持たなければ、生活できない給与水準に甘んじなければならない状況で介護報酬や介護保険制度の改訂議論が終わってしまうんだぞ。

もっと危機感をもって物申す人にならなきゃあな。

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最後の国家試験未受験有資格者という意味

介護福祉士国家試験の受験資格が平成24年度から見直されることはご存知の方が多いだろう。

当初、平成24年度(2012年度)から実務経験ルートに課せられる予定であった600時間の養成課程については「介護現場の人手不足や、資格取得を目指す介護職員を抱える事業者らの対応が間に合わないこと」等を理由として3年間延期され平成27年度(2015年度)までこの義務は負わなくてよくなった。さらに現場からの反発(600時間働きながら受講するのは不可能だ)の声が強いので、この600時間受講義務は更なる見直しがされる可能性を残している。

しかし24年度から予定通り実施される改正もある。

それは「介護福祉士養成専門学校」などの卒業者は、国家試験を受けることなく資格が与えられるというルートがなくなり、養成校卒業者でも国家試験を受け合格しないと資格が与えられなくなるという改正である。

この適用となるのは平成24年度であるから、介護福祉士国家試験の実施時期で言えば平成25年1月実施試験からということになる。つまり2年間の養成施設であれば来年4月に入学する学生は、卒業年度が平成24年度(平成25年3月卒業)であるから、すべて国家試験を受けなければならない対象者になるのだ。

ところで、僕は今日から、当地域の「介護福祉士養成校」の1年生の担当授業を行っている。今日のブログ記事は、授業の合間の45分間しかない昼休みにipadを使って更新しているというわけである。(マメでしょ)。

というのも僕の仕事の都合で12月が多忙で、今月は今日3コマ(90分授業を3講座)集中して行っているからだ。あとは1月から2月の授業となる。(前期は2年生を担当していた)

そして、この養成校は2年間授業だから、来春の1年生はもう国家試験を受けねば資格を取れないクラスになる。

逆に言えば、今日から担当しているクラスの生徒が、この養成校においては「国家試験を受けずに資格が付与される最後の生徒」という意味になる。

ここは極めて重要で、大袈裟ではなく介護福祉士の国家資格を考える上では歴史上の意味がある学年になるかもしれない。

なぜなら数年後は介護福祉士といえば「国家試験に合格した者」という認識が当たり前になるだろう。そうすると介護サービスの質が議論され「介護福祉士」に何らかの批判が向けられた際に、国家試験を免除された有資格者が「スケープゴード」にされる可能性があり、その対象となる最後の学年という意味もあるからである。

取り越し苦労かもしれないが、将来的には国家試験を受けずに資格を付与されたことは「幸運」ではなく、「トラウマ」になりかねないと思う。

そうしないためにも、世間から認められるスキルを身につけ、この世代の翌年から生まれる「国家試験に合格した養成校卒業者」の手本になる知識と技術を得ておく必要がある。そういう意味で、このクラスは最初から重い十字架を背負わされて介護サービスの現場に出ていかざるを得ない。そういう自覚を持って頑張って、この国の介護リーダーを目指してほしい。それが僕からのエールだ。

僕自身は講師として、そのことの意味を十分伝えながら、どの世代にも負けないスキルを身につける自覚を促しながら授業にあたりたい。そういう意味では身の引き締まる思い授業に臨んでいるのである。

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今年のマイ漢字を一文字選ぼう。

毎年12月12日は「漢字の日」だそうである。「いい字一字」が「1(いい)2(じ)1(いち)2(じ) 」の語呂合わせになることにちなむということであるが、どうもこの語呂合わせは分かりづらくて首を傾げてしまう。でも「介護の日」よりはいいか・・。

日本漢字能力検定協会が選んだ今年の漢字は「暑」であるそうだ。確かに北海道でも今年の暑さは異常だった。しかし今この時期、凍てつく路面を寒風に肩をつぼめて通勤している身にとってはどうもピンとこない。菅内閣の「お寒い」政治に、勘々になっている国民が多い現状からすれば「寒(かん)」の方が今を現わしているようにも思えてならない。

ところで皆さんが、自分の今年1年を思い返して、一番自分を現わす、あるいは一番印象深い漢字を一文字挙げるとすれば何だろう?(下のアンケートに投票してください。)

僕自身は、あえて挙げるとすれば「雅」の一文字を挙げたいと思う。

「みやび」とも「が」とも読むが、僕にとっては自分のファーストネームの一字「まさ」と読む。

ニックネームを持っていない人は少ないと思うが、小中学校時代を通じて、ものごころついてからずっと僕は、友達から「キック」と呼ばれ続けてきた。名字の一文字からくる呼び名だろう。また就職してから所属していた野球チームでは、先輩からも、逆に年の離れた後輩からもずっと「キクちゃん」と呼ばれることが多かった。

しかし高校から大学時代は、ずっと「まさ」と呼ばれていた。正確には中学卒業後、入学した「名寄高校」に通っていた当時は、中学校からの同級生も多かったので「キック」と呼ばれていたが、入学後、半年で「岩見沢西高」に転向した後、新しく入ったクラスで「まさ」と呼ばれるようになった。多分転校と同時に入部した「軟式庭球部」のクラスメートの「ナルミ」が付けたニックネームだと記憶している。

それ以降、高校時代~大学時代を通じて、男子からも女子からもずっと「masa」と呼ばれていた。僕の本名に「君」とか「さん」付で呼ぶ同級生はほとんどいない。今でも当時の同級生と会えば「masa」と呼ばれ続けている。だからこのブログの冠となっているタイトルも、僕にとっては馴染みというより、自分の一部をなしているような呼称なのである。勿論それは、ファーストネームの一字からきているもので、友人たちの印象としてはローマ字より、漢字「雅」そのもののイメージであろう。

ところで、今年「介護施設の法令遵守」(ぎょうせい)という本が出版されたが、その第3章の「特別養護老人ホームにおける法令遵守」という部分を僕が執筆した。つまりは共著本を出したというわけである。そのため、僕が招かれてお話しする講演会等で、その本を買っていただく機会があり、その際に「記念のサイン」を求められることがある。

もし僕が達筆なら、喜んで楷書で名前を書くのであるが、残念ながら生来の悪筆で、しかもここ数年は、ほとんど文字はパソコンで打ちこむもので、書くものではないかのような生活を送ってきたので、余計に字が下手になり、自分の名前であるが、それを書くのも恥ずかしい状態である。そうは言っても求められる場合は、「下手でも良いですか」と断って書いていたが、場合によっては数人が列に並んで待っている場合があるので、楷書で氏名を書くのではスピードが追いつかないことに気づき、中学生の頃「イタズラ」で作ったサインを書くことを思い立った。

しかしミミズが這ったようなサインだけでは申し訳ないので、同時に記念になるものとして自分のオリジナル落款をお礼に押そうと思い立ち、京都のはんこ屋さんに依頼して「雅」の文字を刻んでもらった。書籍を買っていただいた方が、本を僕の講演の際に持ち込んで依頼されれば、ご希望通りにしている。例えばここにサインをしないで落款のみ押させてもらうこともあれば、サインとともに落款をセットで押させていただくこともある。

落款とサイン
左の画像が、それであるが、サインは中学校の時の同級生である「ひでっちょ」が作ってくれたもので、これ実は全部「ひらがな」で僕のフルネームを書いている。一番横に広がっている部分がファーストネームの「まさ○○」の「ま」という文字である。全体をみると漢字の「寿」にも似ており、縁起が良いサインということであるそうだ。

どちらにしても中学生の時「遊び心」で作ったサインをこんなところで使っているというわけだ。別にスター気取りをしているわけではない。


そのサインを補う?あるいは別に拍をつける?ものとして作ったオリジナル落款の姿は結構気に入っている。だから今年の漢字を一文字選ぶとしたら、僕はこの落款に刻んだ「雅」を選ぶのである。

1月20日過ぎ(書店に並ぶのは1/22から25日位と差がある)に、このブログの書籍化本「masaの介護福祉情報裏板~人を語らずして介護を語るな」が刊行されるが、こんなサインや落款で良ければ、本を買って下さった方にいつでもサービスしまうので、僕の講演会等(参照:管理者masaの講演・講師履歴と予定)で本を買っていただいた折、あるいは既に買ったものを持ちこんでいただいた際に、気軽に声をかけていただきたい。

サインとセットなら「雅やかに寿ぐ(みやびやかにことほぐ)」という意味で、縁起も良くなりそうである。

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通所サービスの外出を認めていない地域

先週12/9千葉県幕張で行われた全国老施協主催の「通所介護サービス力向上研修」では、法令に沿った通所介護計画について、様々な角度から解説した。

その中で「外出行事」についても一定のルールに基づけば認められるものであり、そのルールとは老企25号が根拠通知で「通所介護計画に位置づけられ、かつ効果的な機能訓練等のサービスが提供できること」であればよいものであり、ケアマネが立案する「居宅サービス計画」に「通所サービスにおける機能訓練の必要性」が明記されておれば、それに沿った通所介護における効果的な機能訓練としての外出サービスの内容が具体的に「通所介護計画」に明記されておれば良いということになる。

つまり外出行事として具体的に「どこに行って、何をするのか」などの細かな内容まで「居宅サービス計画」に書かれていなければならないという根拠はないし、そうした内容が居宅サービス計画に書かれていなければ通所サービスにおける外出を行ってはならないという指導は間違っていることを指摘した。
(参照:通所介護の外出サービス)

だが実際には「居宅サービス計画」にも外出行事の細かな内容を記せと「おバカ」な運営指導を続けている「ものを知らない行政担当者」がいまだに存在しているかもしれない。その場合は、老企25号以外に、どこに外出をサービスに位置づける場合のルールが書かれているのかと根拠を明確にするよう求めるべきだ。そうすれば答えられるはずがないので変な指導なんて出来なくなるはずだ。行政の指導担当者など、所詮、この制度に関して言えば、その知識理解は僕ら専門家の足元にも及ばないのだ。老企第25号の3・運営に関する基準 の(2)の④が、制度開始後に追加修正された経緯を知り、その意味を十分理解できている担当者が何人いるのか?僕らはそういう知識のない担当者に逆に「指導」してやらねばならない。

ところが、研修後の「情報交換会」(OFF会である)で聞いたことであるが、三重県などは県全体で通所サービス中の外出サービスを認めていないというのである。つまり条件の解釈以前に、解釈通知で認めている「屋外でサービスを提供することができるものであること」ということ自体を完全に否定しているという意味である。

しかし都道府県がその責任においてローカルな判断が可能であると言っても、白のものを黒にするような判断があってよいのだろうか?国民は法の下で平等であるなら、このルールを国の解釈通知に基づかず「認めない」という状況は、この平等原則を無視した憲法違反と言える可能性さえあるように思う。

この場合ローカルな判断ができる範疇は、老企25号の「効果的な機能訓練等」という規定の「等」の部分がいかに認められるのかということであって、そのための付帯条件(例えば自宅から外出先への直行や、外出先からの自宅への直帰を認めないとか、基本サービスの一部は必ず実施するとか)をつける判断は許されるだろうが、いくら都道府県判断と言っても、条件が備われば認めてよいというものを、一切の条件に関係なく認めないという姿勢そのものが、行政の傲慢である。

もともと通所サービスは事業所内できちんとした基本サービス(健康チェックや、入浴、食事支援、機能訓練等)を行うのが原則である。しかし通所サービスであるからこそ可能となる外出サービスによって、利用者の暮らしの向上に役立つ効果が高いものが存在するから、介護保険以前もそれは認められていたし、介護保険以後一時認められていなかったものが「老企25号」の改正によって認めたという経緯がある。それはその効果は誰が考えても認めてよいものだという証明でもあるのだ。

特に訪問介護等では、趣味のための外出支援は認められていないが、趣味活動も人の暮らしには必要なのだ。そうであるがゆえに通所介護で事業所から出て地域で何かを行うことは重要な意味がある。長年外出機会がない在宅重介護者にとって、通所サービスの中で、自分が暮らし続けた「街」の季節の移り変わりを、例えば「花見」という形で、例えば「紅葉狩り」という形で、その息吹を感じ取れるということは、人の暮らしにとって必要なことなのだ。地域で暮らすということは、家の中だけですべてのサービスが完結されることではなく、地域の人とふれあい、地域の空気を感じ、地域の空を見て、地域の風を受け、地域の臭いを五感のすべてで感じ取ることだ。そのためには地域の人々の暮らしの一部である買い物先で一緒に物を買い、お金を使ったり、地域の人々が笑いさざめく場所で、一緒に娯楽の機会を持ったりすることが重要だ。

家族がそうした支援をできず、家族以外のインフォーマル支援に限界がある地域で、それらの役割を、定められたルールの中で通所サービス事業所が行うことは、税金や保険料の無駄遣いではない。

むしろそういう定められたルールの中で「できる」ものを闇雲に制限することは地域行政の本来の役割を果たさない、使命感のない、怠慢行政であると言っても過言ではないだろう。

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介護支援専門員に贈る言葉

先週10日、今年の介護支援専門員実務研修受講試験(つまりは実務研修を受けるための筆記試験)合格発表が行われた。

今年も合格率は全国平均で20%弱だろうが、これによって新たに全国で数万人の新しい介護支援専門員が誕生するわけである。

それらの合格者は今後「実務者研修」を受けて、介護支援専門員として登録して実務に携わるわけであり「新人ケアマネです」という心境で現場に配置される人も多いのだろう。しかしそれらの人々は、保健・医療・福祉分野で何らかの関連実務5年以上の経験を持つ者であり「新人だから何も知らない」ということが許されるわけではなく、現場の即戦力であるという自覚を持ってほしい。

目の前の利用者は、新人だかという理由で失敗を許してくれるほど寛容でもないし、経験者と比べてサービスの質の差があってもよいとは決して考えていない。そもそも失敗は即「暮らしの質の低下」に繋がっていくことを自覚してほしい。

そういう意味で、今回資格を新たに得た人、今までに資格を得て実務に携わっている人々、すべてのケアマネジャーに考えてほしいことがある。

制度改正議論、報酬改定議論の際には常にケアマネジメントの質が論じられている。

ケアマネジャーの資質そのものに対する疑問も数多く呈されている。そのすべての指摘が正しくないし、大変優れた能力を持つケアマネがいて、地域で頼られる人になっている場合があることも事実である。

しかし同時に、資格はあってもケアマネジメント技術を持っていないケアマネジャーがいることも事実だ。ケアプランを書いても日本語になっていない文章力のないケアマネ、法律そのものの理解がないケアマネなど、問題とされる有資格者が存在する。このデコボコをなんとか解消していかないと、将来的にこの資格は制度から消えて無くならざるを得ないという危機感を持っている。

特に真摯に勉強しようとせず、資格が一種の権力であるかのようにふるまう有資格者は最低である。

居宅サービスにおける介護支援専門員は、サービスプランを立てる人であり、居宅サービス事業者はそこに位置付けてもらう立場だし、各居宅サービス事業所の計画は、ケアマネの立案した「居宅サービス計画」に沿ったものにしなければならないので、あたかもケアマネと居宅サービス事業者の関係は上下関係で、ケアマネの管理下に居宅サービス事業者が置かれているように勘違いされる場合がある。しかし両者の関係は「サービス担当者」として同列であり、お互い協力連携する立場であり、ケアマネはその要の役割を担って、他事業・他職種のつなぎ役という位置に立っていることを忘れてはならない。

ところで、ケアプラン作成の要役であるはずのケアマネジャー自身が、ケアプラン作成に関する基本法令とルールを知らない事例が数多くある。

例えば僕の周辺で起こっていることとして、ケアマネジャーが、各サービス事業所のケアプランについて、長期目標と短期目標に分かれていないことを駄目だと指導するケースがある。

なるほど、ケアマネが立案する「居宅サービス計画」については、基準省令で「当該アセスメントにより把握された解決すべき課題に対応するための最も適切なサービスの組合せについて検討し、利用者及びその家族の生活に対する意向、総合的な援助の方針、生活全般の解決すべき課題、提供されるサービスの目標及びその達成時期、サービスの種類、内容及び利用料並びにサービスを提供する上での留意事項等を記載した居宅サービス計画の原案を作成しなければならない。」とされ「提供されるサービスの目標及びその達成時期」は必須項目であるし、これについて老企22号(7)の⑧で目標については「提供されるサービスについて、その長期的な目標及びそれを達成するための短期的な目標並びにそれらの達成時期等を明確に盛り込み〜」と長短期目標に分けることが示されている。そして老企第29号において標準様式が示され「原則として開始時期と終了時期を記入することとし、終了時期が特定できない場合等にあっては、開始時期のみ記載する等として取り扱って差し支えないものとする。」というルールが示されている。

しかしながら訪問介護や通所介護および通所リハビリテーション、ショートステイ等のサービス計画については、基準省令では

「指定訪問介護の目標、当該目標を達成するための具体的なサービスの内容等を記載した訪問介護計画を作成しなければならない。」(訪問介護)
「機能訓練等の目標、当該目標を達成するための具体的なサービスの内容等を記載した通所介護計画を作成しなければならない。」(通所介護)
「リハビリテーションの目標、当該目標を達成するための具体的なサービスの内容等を記載した通所リハビリテーション計画を作成しなければならない。」(通所リハビリ)
「サービスの目標、当該目標を達成するための具体的なサービスの内容等を記載した短期入所療養介護計画を作成しなければならない。」(短期入所療養介護)

となっているだけで、解釈通知の老企25号でも同様の記述があるだけである。つまり目標達成期間を明示しなければならないとか、目標を長期・短期と区分しなければならないという規定はない。

よって各サービス事業所の計画は、ケアマネが掲げた総合的援助の方針を達するために、その目標に沿った内容になっておればよいだけの話で、各サービス事業所としては「サービスの目標」と「当該目標を達成するための具体的なサービスの内容」が書かれておれば問題ないのである。

※ただし例外として、予防通所介護と予防通所リハビリテーションの「運動器機能向上加算」算定ルールについては「イ.理学療法士等が、暫定的に、利用者ごとのニーズを実現するための概ね3月程度で達成可能な目標(以下「長期目標」という)及び長期目標を達成するために概ね1月程度で達成可能な目標(以下「短期目標」という)を設定すること。長期目標及び短期目標については、介護予防支援事業者において作成された当該利用者に係る介護予防サービス計画と整合が図れるものとする。」というふうに、当該加算上の長短期目標設定のルールがあることに注意が必要で、かつこの長短期目標は、概ね3月と1月として定められていることも注意が必要だ。

またケアプランの交付義務について、居宅介護支援事業所の基準省令では「介護支援専門員は、居宅サービス計画を作成した際には、当該居宅サービス計画を利用者及び担当者に交付しなければならない。」とており、居宅サービス計画は利用者のみならず、必ず「担当者」、つまり居宅サービス計画に位置付けた各サービス事業所の担当者に交付しなければならず、それを担当者に交付しなければ、居宅介護支援事業所が運営基準違反で指導対象となるものだ。

しかし各サービス事業所の基準省令では、例えば短期入所療養介護では「指定短期入所療養介護事業所の管理者は、短期入所療養介護計画を作成した際には、当該短期入所療養介護計画を利用者に交付しなければならない。」とされ、この規定は他の居宅サービスも同様で、利用者に交付する義務はあるが、居宅介護支援事業所の担当ケアマネにこれを交付する義務は定められていない。よって必ずしも各サービス事業所は、自らの事業所で立案したケアプランそのものを担当ケアマネに渡す必要はなく、サービス担当者会議で、その内容を明らかにするだけでも特に問題はないのである。

もちろん両者の連携上の問題としては、それぞれのプラン内容を照らして確認する必要もあるだろうが、あくまで法令上の定めはこう出るという基本を知っておかないと、交付義務があるケアマネの方は、さっぱりサービス事業所にケアプランを渡さず、事業者のプランだけを求めて威張っているなんていうおかしな状況が生じかねないので、基本法令を知って、コンプライアンスの視点からサービスや、連携の在り方を考えるというのは重要な視点である。

特に今回資格を取った介護支援専門員の皆さんは、最初から自らの仕事について、法令ではどうなっているのか、今行っている方法が正しいという根拠がどこにあるのか、ということを常に考える癖をつけてもらいたいものである。

一番ダメなのは「保険者の担当者が言っていた」とか、「先輩ケアマネがこう言った」ということに根拠を置いてしまうということだ。間違っている人は周囲に必ず存在するのだから、基本法令に根拠を求めてほしい。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

ブログ書籍化本出版日決定!!

今、研修会場のホテルからバスに乗り羽田空港についたところである。昨日の講義は限られた時間の中で、自分なりに精一杯具体的プラン内容に触れたつもりであるが、受講された方々は聞く価値がある講義と感じてくれたであろうか?

これから12:00発の便で北海道に帰る予定である。その前にIpadを使って記事を更新しておく。

昨日の講義前にホテル内のカフェで出版者の担当者と最終打ち合わせを行った。そして出版日も確定した。皆さんにもそのことをお知らせしたい。

昨日話し合ったことは、弟1章の記事の最終確認と、表紙と帯の見本からデザインを決定すること。そして今後の出版に向けたタイムスケジュールの確認である。

表紙や帯のデザインもインパクトのある満足できるものになったと思う。是非期待してほしい。そして皆さんが最も気になるであろう出版日については、2011年1月20日に出版社に納品されるので、書店の店頭に並ぶのは22日から24日頃になるそうだ。大きな書店には概ね置かれるらしいが、置いていない書店であっても、すべての書店で「ヒューマン・ヘルスケア・システムから出ているmasaの介護・福祉情報裏板~人を語らずして介護を語るな」と指定して注文すれば取り寄せ可能とのことである。

Amazon等のネットから注文できる様になるのは、それから後になるだろう。予約注文されている方は、書店と同様22から24日頃までに日にお手元に届くそうである。お楽しみにしてほしい。
※当初皆さんのお手元にも20日に届くと書いていましたが、これは間違いで訂正しております。

なお1月28日(金)ウイリング横浜で行う講演から、主催者の協力をおねがいして会場で販売できる予定である。僕の講演予定を確認して是非会場でも購入願いたい。その際は記念のサインや落款を押すことも可能である。もちろん事前に購入した本を持ち込んで頂いた方にも同じサービスをしたい。

それでは皆さん、是非よろしくおねがいします。

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介護・福祉情報掲示板(表板)





リムジンバスに乗りながら

今、僕は千葉県幕張で行われている全国老施協主催の「通所介護サービス力向上研修会」で講義を行うため、会場である「アパホテル&リゾート東京ベイ幕張」に向かっている途中である。
 
研修会は既に始まっているが、僕の出番は16:10〜の80分間なので、少しばかりゆっくりとした当日移動の最中である。
 
とはいっても、朝そんなにゆっくりとしていたわけではなく、JR東室蘭駅7:05発の特急に乗るために、自宅は早朝6:40に出ている。そして新千歳発10:00の航空便に乗り、無事羽田に着いた後、朝昼兼用の食事を摂ってから羽田空港発のリムジンバスに乗りながら、Ipadを使ってこのブログを更新している。
 
こういう時に、Ipadはやはり便利である。昔のようにモバイルPCを持ちながらの旅では、こうした記事更新は難しかった。まあ人から見れば、わざわざ移動中に記事を更新する必要もないだろうと思うだろうが、バスに揺られているだけで、暇な僕にとって、ただぼんやりしているのではなく、平日のルーティンワークである「ブログ記事更新」ができるということは、それなりに意味がある。だからといってその意味とは何かと改めて聞かれると「日常の継続」というしかない。特にテーマもなく「移動中の様子」を書いたところで、読者にとって興味も意味もないのかもしれないが、自分自身の日記としての意味はあるだろう。
 
ちょっとした「つぶやき」であっても、それは僕の人生の一部なんだから・・・。
 
これからホテルにチェックインした後、講義前にホテル内のカフェで、このブログ書籍化についての最終打ち合わせを出版元の編集担当者と行う予定になっている。表紙や帯のデザインの最終確認、そこに使う写真撮影、校正が残っている第1章書き下ろし原稿の最終確認等々である。
 
さらに1月下旬以降、僕が呼ばれている研修会や講演会の会場で、その本「masaの介護福祉情報裏板〜人を語らずして介護を語るな」を販売する方法なども打ち合わせる予定であり、着々と出版に向けた作業も進んでいる。きっと良い本ができるだろう。
 
肝心の講義は「コンプライアンスに基づいた通所介護計画の作成」というテーマである。よって、きちんと法令に基づいた根拠を示した上で「しなければならないこと」「しなくてもよいこと」を明確にした上で、利用者の暮らしを守る、あるいはその暮らしの課題を解決するために有効な方法となり得る通所介護計画の具体的な作成方法を示す予定である。
 
特に「しなくてもよいこと」に関連しては、行政の指導担当者の過度な要求に対してきちんと反論ができる根拠も示す予定である。例えばそれは個別機能訓練加算に関する「訓練の内容」や、外出してサービス提供できる条件に関する「通所介護計画」に記載すべき内容など、事業者としてこうしておけば行政担当者から指導を受ける謂われはない、という内容を「具体的」に示したいと思う。
 
講義が終わるのは17:30であるが、その後18:00〜会場のホテル内で行われる情報交換会(多分OFF会とたいした変わりはないだろう)に出席して、明日9:30頃ホテルを出て、北海道に戻る予定である。
 
週末は来週から始まる介護福祉士養成専門学校の講義ファイルも作らなきゃあならない。今回は1年生だから、基礎的なことを、楽しくかつ大事な点はしっかり覚えこめるように気合を入れて講義を組み立てているので、それに沿った新しいファイルが不可欠なのだ。
 
だから体力を残しておくように、今日は飲みすぎないようにしないとな・・・。
 
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介護・福祉情報掲示板(表板)

ペイアズユーゴー原則を考える

社会保障審議会介護保険部会等で話し合われた次期制度改正の方向性は、認知症高齢者を含めた在宅の重介護者(要介護3以上を想定)を地域で支える新しい介護システムを作りを中心に制度を再設計するというものだ。つまり現在は在宅重介護者を地域で支えるサービス提供ができていないという評価がそこには存在する。

しかしそのために新しいシステムを作るに際して、現行の介護給付費を維持して、新たな給付を上乗せしようという考え方ではなく次のような考え方に基づいて制度改正は議論されている。

1.新しい財源を求めるか、どこかの給付を削らないと新しいことはできない。
2.新しいことを始めるに当たって、誰に負担を求めるのかを考えていかねばならない。
3.新しい財源がない場合は、給付の抑制か、給付対象者を狭めるしかない。

という条件が前提になっているのである。

このことは本年6月22日の閣議決定が大きく影響していると思える。そこで決められた新成長戦略では、公的保険サービスを補完し、利用者の多様なニーズに応える介護保険外サービスの利用促進策(地域における提供促進体制の構築強化を含む)の検討・実施が謳われている。(2011,2012年)。つまり保険給付は出来るだけ抑えて自己負担や地域サービスでそれを補完する方向性が示されたわけである。

同時に「ペイアズユーゴー原則」として、歳出増か歳入減を伴う施策の導入や拡充を行う際、それに見合った恒久的歳出削減、歳入確保による安定的財源を確保することを原則にする ことも決められた。

よって財源を他に求めるような政治力がない介護保険部会等では、介護保険制度の中だけで歳出と歳入のバランスをとるしかないので給付抑制策は必然の議論となってしまう。だから現行サービスの中で財源を別に得ようとすれば、軽度者の家事援助制限や、ケアプラン作成に係る居宅介護支援費(現在全額保険給付)に自己負担を導入しようとか、現在の1割負担を高額所得者などについては2割負担にしようとかいう結論にならざるを得ない。

同時に、そうであるがゆえに介護保険制度改正と報酬改定議論に際しては、すべてのサービスは現行の介護報酬を0ベースから見直して、そして財源がない限り、現行報酬は上げることができないという結論にならざるを得ない。介護職員処遇改善交付金は再来年3月までの限定措置だから、その後、この部分が2012年4月からの介護報酬改定の際に上乗せされて査定される保障もない。

2009年4月に改訂された介護報酬と、介護職員処遇改善交付金で、なんとか職員の給与改善に努めてきた介護サービス事業者は、いきなり梯子を外される可能性がないと言えない。収益を大きく挙げている事業者以外は、このとき人件費を下げて対応するしかないのだろうか?しかしそれでは人は集まらず、事業展開自体が困難になりかねない。

しかも制度全体の見直しとは別の部分で、前任の厚生労働大臣と政務官の思いつきのような「通所介護のお泊りサービスの保険給付化」という新しい給付を国民議論がされないまま作ってしまって、財源がないから他のサービス給付費を下げてこれに充てるという。・・・なんという戦略性に欠けた馬鹿げた制度改正だろう。長妻昭さんと、山井和則さんという2人の前大臣と前政務官ほど、関係者から期待され、そしてその期待を裏切ったタッグはかつてないだろう。

しかし先の衆議院選挙前まで民主党は、介護職員等の給与は月額40.000円上げると言っていたではないか。その方針はどこに行ったんだ。大丈夫かこの政党は・・・。

我々が報酬アップを求める理由は、自分の懐を温めるためではなく、介護サービスに従事する職員に対して定期昇給をきちんと保障した労働対価に見合った報酬を与えない限り、すぐ近い将来に人手不足で介護サービスは崩壊することを肌で感じているからなのだ。

これは介護サービス事業者だけの問題ではないことにすべての国民が気付くべきだ。なぜなら75歳以上の高齢者人口の割合が2007年の約9.9%から、2030年には約19.7%、2055年には約26.5%と増大するのである。この状況を正しく理解しようとすれば、我が国においては、国全体が「危機意識」を持つべきなのでえある。なぜなら介護施設や、居宅サービス事業所が人手不足でサービス提供体制を縮小せざるを得ない地域では、そのしわ寄せは介護を必要とする人自身と、その家族に対して「必要なケアが提供されない」ということによって現実化するからだ。

つまり制度の光の当たらない場所で「野垂れ死に」する国民が増えるという意味だ。そういう国家が先進国とか、民主主義国家と名乗れるのだろうか?そういう国家の政治家は何に向けて責任ある政治活動をしていると主張できるのだろうか。ましてやそういう社会が「最少不幸社会」であるわけがない。しかしペイアズユーゴー原則を社会福祉政策にも適用する限り、そうしう社会になることは確実なのである。

どう考えても、医療や福祉・介護などの制度にその原則を適用することは、国民の生命や暮らしを脅かす結果となり問題であり、医療や福祉政策にペイアズユーゴー原則は適用すべきではないと僕は思う。  

もしこの原則が福祉や介護サービスにも絶対条件であるなら、歳入財源としての税負担を論じることができない有識者介護で制度改正を議論するべきではない。歳入方式も議論できる政治家が制度設計しないとならないはずだ。

そろそろ学者の非現実的な財政論で固まった制度改正議論はやめにして、政治家と言える人々がもっとグローバルな視点から近未来社会づくりの制度改正論をせねばならないのではないか。

政治主導をスローガンに挙げていたのは、いったいどこのどいつだったのか、もういちど振り返ってみるべきである。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

対岸の火事ではなく、教訓として足元を固めよう

昨日書いた記事の続編と思ってほしい。

改善命令及び改善勧告を受けた香川県の特養では、5名の職員が介護の手間を省くため、利用者の経管栄養のための濃厚流動食を注入せず捨ててしまったり、医師から処方されている薬を利用者に渡さず隠し持っていたり、介助中の利用者のお尻を叩いたり、面白半分で乳首をつまんだり、椅子から立ち上がれないように無理な姿勢をとらせたり、信じられないような行為が日常的に、長期間に渡って行われていた。

しかしこれら5名の職員だけが、そういう行為を行っていたとしても、周囲の職員がそのことに全く気がつかなかったのかは大いに疑問が残る。僕の経験から言えば、現場の職員というものは、どこかしら「おかしな雰囲気」には気がつくものだ。それに気づかなかったとしたら、それ自体がこの施設の問題であろうし、もし気がついていても誰も指摘できなかったとしても、それももっと大きな問題として考えねばならない。

しかしこういうことが自分の施設やサービス事業所などに、全く起こり得ないかといえば、そんなことはいいきれない。油断してしまえば小さなほころびから、様々な問題が起こる可能性があるということを常に自戒して、そのことを意識していかないと、いつ大きな落とし穴が自分の周囲に出来てしまうかわからないのである。

これは職員を信じるか、信じないかという問題ではなく、人間とはある一定の環境に長く置かれて慣れてしまうことで見えなくなってしまうものがあるという「感覚鈍磨」への対策という意味なのだ。

だから今現在は、自分の関わっている現場の感覚からは「信じられない」事であろうと、事実として、人間はここまで感覚を麻痺させ、ここまでひどいことを行ってしまうのだということを知らしめる意味も含め「対岸の火事」として捉えるだけではなく、決してそういう現場にしてはいけないという職員への周知を行うべきである。

この虐待報道を知っているのに、自らの管理する事業者職員へ、このことからの教訓を伝えていない管理者は、リスクマネージメントに欠けると言われても仕方ないと思う。

そういう意味で、僕はこの報道内容、改善命令を受けた特養の虐待行為を、我が法人の職員にも明らかにした上で、次のようなアナウンスをしようと職員に向けた「施設長通知文」を作って回覧している最中である。以下にその内容を示す。

虐待をする職員、言葉の虐待を行う職員すべてが日頃から「悪いやつ」といえるかといえば、そうでもなく、ごく普通の人が慣れから不適切な言葉や態度に気づかず、それがエスカレートして、密室場面でそのような不適切な態度をとることに罪悪感を覚えなくなってしまうという恐ろしさがこの問題には含まれていると思います。

高い介護技術がある人でも、行為が荒く感じられる人がいて、それらの人々のほとんどが、言葉づかいがぞんざいです。デリカシーがないから、言葉と態度が荒くなるのかもしれませんが、それらの介護職員の利用者の評判は、得てして悪い場合が多いです。その結果、利用者の心に負担をかけたり、嫌な思いをさせてしまうことがあるということを充分に理解してください。

ただそれは悪意ではなく、自分の持って生まれたパーソナリティであると主張する考え方もあるでしょう。しかし我々は介護サービスに携わるプロフェッショナルですから、職場で、顧客である利用者にふさわしいサービスを提供するためには、そうしたパーソナリティを超えた、プロとしての対応に心がける必要があります。そういうパーソナリティを持つ自分を変えるために、きっかけとして「まず言葉を柔らかくすることを意識する」ということが必要です。

言葉が変われば、心が変わる。心が変われば態度が変わる。そうして身に付いたことは一生ものでしょう。

少なくとも自分が相手から言われたくないような言葉を使うべきではないと思います。

当施設でも日頃から外来者への挨拶をしっかり、はっきり大きな声ですること、利用者の声かけは「丁寧語」を基本として親しき仲にも礼儀ありということを忘れないように呼びかけていますが、なかなか日常的に守ることができない職員もいます。

外来者に挨拶ができない職員。利用者に命令口調や友達言葉を使ってしまう方は是非気をつけてください。さすがに虐待と思うような言葉かけに遭遇することはありませんが、「冷たい」印象を人に与てしまう職員がいたり、「命令」的な雰囲気が感じられる言葉に出会うことがあるのは事実と思います。

また例えば食堂で食事介助をしている場面で、利用者や食事とはまったく関係のない話題を職員同士で話している場面がないとはいえません。これも不適切であることは間違いないし、利用者を無視した虐待的態度ととられても言い訳ができないと思います。他の介護場面、入浴介助や排泄介助の際もしかりです。

介護サービスの評価は、良いサービスを行っているかという以前に、不適切なサービス、特に利用者が「嫌だ」と思うサービスではないか、という検証がまず必要だということが重要な視点です。

せっかく縁あって「介護サービス」という尊い行為ができる職業に携わり、そこで出会う高齢者等の方々の「豊かな暮らし」に自らが関われるのですから、自分だけではなく、相手も含めて皆が幸福で、笑顔でいられる場所を、自分達の力で作って行きましょう。

感覚を麻痺させてはいけません。ほとんどの利用者は我々より年上の、人生の先輩であり、たまたま身体等が不自由となっているために、人の手を借りて生活しなければならないという状態にあるだけで、人間の価値としては何ら蔑まれるべきなにものもないのだという理解が必要です。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

心の闇はどこから生まれるのか。

先週末、また同業者の信じられない残念なニュースが飛び込んできた。

毎日新聞社によれば
香川県は3日、同県さぬき市の特別養護老人ホーム「志度玉浦園」(入所者94人、職員42人)で、認知症状のある入所者に食事や薬を与えなかったり、足をひもで縛るなどの虐待があったとして、運営する同名の社会福祉法人(樫村正員理事長)に対し、老人福祉法に基づく改善命令などを出した。
県によると、少なくとも男女5人の介護職員が、入所者9人を虐待した。今年1~4月ごろ、管を通して胃に栄養を送っている5人の入所者に、職員2人が流動食や薬を注入しなかったり、2~5月ごろには1人の入所者の足を車椅子にひもで縛り付け立てないようにしたりした。医師の指示通りの睡眠薬を入所者に渡さず、職員が所持していたこともあった。
流動食や薬を捨てた職員は「介護の手間を省くためにやった」と、常態的に虐待行為があったことを認めているという。医師法によると、流動食や薬の注入は介護職員ではなく看護師が行う必要があり、県は7月に指導したが、その後も休日は介護職員による注入が続いていた。
県は先月、計7日間の監査をして、施設職員や入所者から聞き取り調査し、虐待行為を確認。介護保険法に基づく改善勧告も行った。改善命令は、今月20日までに全職員に再発防止のための研修を実施することなどを求めている。(2010.12/3.毎日JPより引用)

以上のように報道している。

なお香川県のホームページでは、同園の虐待事実はこのほかに、
・入所者に対して、上着を前後逆に着せて、車椅子に固定して身動きがとれないようにした
・介護職員Cが紙芯で、ポータブルトイレ使用後の入所者の臀部を叩いた
・介護職員E(女性職員)が入所者の意識が鈍い時に面白半分で乳首を何回か摘んだ。


という信じられない行為が記されている。そして改善命令・勧告内容として

(1)再発防止のための緊急措置
入所者が安心して施設サービスを受けられるようにするため、下記に留意して緊急措置を講ずること。
1.再度、虐待行為が発生しないよう全職員を対象に研修を実施すること。
2.虐待行為を行った職員について、再発のおそれがなくなるまでの間、直接処遇の勤務から外すこと。
3.入所者及びその家族に対して本事案に係る説明会を実施し、十分な理解を得るとともに入所者から他の施設への転出等の相談があった場合には、誠実に対応すること。
(2)再発防止に向けた組織体制の見直し
下記に留意して、再発防止に向けた組織体制の見直しを図ること。
1.社会福祉法人の役員、施設の管理監督責任の立場にある職員、虐待行為に関与した職員の厳正な措置及び処分
2.介護理念及び基本方針並びに具体的な方策の策定
施設サービスを提供するに当たっての介護理念及び基本方針を策定し、これを実現するための具体的な方策を策定すること。また、策定した介護理念及び基本方針並びに具体的な方策は全職員に周知するほか、施設の見えやすいところに掲示すること。
(3)高齢者虐待防止改善計画の策定
改善命令で認定した事実に対して、高齢者虐待防止改善計画を策定し、入所者、入所者の家族、全職員に周知すること。計画策定に当たっては、第三者による虐待防止委員会においても審議すること。
(4)第三者による虐待防止委員会の設置
虐待発生の原因を追求・分析し、発生防止策の検討・検証を行う第三者による虐待防止委員会を設置し、高齢者虐待防止改善計画の策定、高齢者虐待防止改善計画に沿って事業が行われているかどうかを第三者委員が定期的に審査する仕組み及び当該事業所又は第三者委員から定期的に報告を受けて、必要に応じて当該事業所に対する指導や助言を行う仕組みを構築し、入所者、入所者の家族、全職員に周知すること。

としている。

これを読むと、この施設で行われていた「虐待」の内容は、あまりにもひどいもので、流動食や薬を飲ませないなんていうことは、場合によっては生命の危険につながる恐れさえある。「未必の故意」による殺人未遂ではないかと疑われかねない言語道断の行為であり、同時にそのほかの行為も「こんなことが日常的に行われているのか?」という驚愕を覚えざるを得ない。

しかもそのような行為を行っている職員が5名も存在している。彼らのこの行為に繋がる「心の闇」はどこからきているのだろう。

そもそもこのような信じがたい行為を行っていた職員とは、我々とまったく違う「変わった人々」「冷酷無情の人々」なのだろうか?おそらくそうではなく、日常的には「普通の人」と思われている人ではないのだろうか?そしてそれらの人々も、この職業に就くそれなりの「動機づけ」は持っていただろうし、最初からそのような行為を行って罪の意識を持たないような人間でもなかったのではないだろうか?

ごく普通の介護職員が、いつからかこのような行為に後ろ暗さを感じなくなるほど、感覚を麻痺させていった結果ではないだろうか。

そしてその一番の要因は、この施設自体の体質と、管理者の意識の問題であると言える。この虐待行為が問題になる前に、介護職員が流動食の注入などを行っていることについて「違法性」を指摘され、その改善指導がされているにも関わらず、何ら改善策を取らなかったことからも、その体質が想像できる。おそらく「ばれなければ何でもあり」という施設トップの意識が、施設の体質となり、そこで働く職員の対人援助に対するモチベーションを下げ、感覚の麻痺を助長させていったのではないだろうか。そういう意味では、この施設のトップは、厳しく糾弾されるべきであり、社会的な責任をとらねばならないだろう。

このブログで何度か指摘しているが、介護サービスの現場の特徴として、日常介護場面での小さな「ほころび」が、いつしか虐待に繋がる危険性を常に持っているということを忘れてはならない。身体の障がいや、認知症によって人の支援を受けることなしに生活できない人は、支援する側の論理に異を唱える立場にないことが多いからだ。だから支援者側が積極的に、援助を受ける人の立場に立とうとしない限り、援助を受ける人の権利や尊厳を犯すような行為が行われても、被害者はそのことを訴えることすらできないことが多いのである。だから小さなほころびもできるだけ作らない、ほころんだ場合であっても、そのほころびが広がらないうちに、その芽を摘み、ほころびが広がらないようにしないと、我々は知らず知らずのうちに人の心を傷つけ、その傷はふさぐことができないものになるかもしれない。

そのために「介護サービスにおける割れ窓理論」を提唱している。それは日常の対人援助場面での言葉の乱れが「ほころび」の最初の問題となりやすいと考え、「特殊な関係や言葉によって、介護者の感覚は知らず知らずのうちに麻痺して、言葉により介護者が利用者を見下ろす位置に立つ恐ろしさ に気がつかなくなるという意味」である。そのことによって信じがたい虐待に繋がってしまうのだ。この状態がよく指摘される「介護サービスの常識は、世間の非常識」ということに繋がって行く。

言葉を正しく使うことは、こうした感覚麻痺を防ぎ、人権感覚を磨く意味を持つものだ。そのことによって虐待が絶対に無くなるとは言えなくとも、少なくとも、そうした姿勢を示し、トップ自らが利用者に対して適切な言葉で対応することは、職員の感覚麻痺を防ぎ、虐待因子を少なくする意味があるだろう。

職員の「心の闇」は、その現場の体質そのものによって生まれるという意識が必要である。

それにしても、この施設の職員が行っていることは、職員研修で意識を高め再発防止に努める負だけで責任が取れる問題ではないように思う。本来ならば、刑事事件になってもおかしくないような深刻な問題であり、指定取り消しが検討されるべき問題だと思うが、入所施設であるがゆえに、利用者の「行き場」が容易に確保されないことで、行政処分にも限界があるのだろう。

それに甘えてはいけないのだ。

そしてこの記事を読んでいる全国の介護関係者の方々に訴えたい。我々は人の不幸を造り出すために介護の現場に存在するわけではないことを忘れないでください。誰かの不幸の上に立った「幸福」など幻想に過ぎないのです。

どうぞ人を愛おしく思う人でいてください。そして命の儚(はかな)さを切なく感じる人でいてください。

人にやさしくするということは、自己の犠牲で相手の何かを実現することではなく、人としての当たり前の感覚を失わずに、皆で不幸を作らないようにしようねという日常のさりげない「思いやり」を紡(つむ)いでいくことではないのでしょうか?そういう意味では、他者に「やさしさ」を届けることは自己犠牲を伴うものではなく、それはむしろ自己実現に近いところに存在するもののような気がします。

日常生活や業務の中で、我々は様々なストレスを抱えてしまうことも否定しません。しかしそのことは、他の誰かの心を壊すことで癒されることではないのです。そのことで一時的な快感を得たとしても、それはやがて自分の身に何十倍にもなってふりかかり「心の闇」はさらに深まってしまうのです。

心に闇を抱えたままでよいのでしょうか?どうか日差しを浴びて、心を温かく、豊かに変えていきましょう。

そのためには我々の周りのすべての人々の笑顔が広がる日常を造ることが大事なのです。悲しみの中で、苦しみの中で、人の心は温(ぬく)もらないのです。そのことをどうぞ忘れない人でいてください。

人はもっと素晴らしい存在なのです。自らの心の闇で、曇った目で、その存在の意味を見失わないでください。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

ブログ書籍化進捗状況の続報

このブログの書籍化本の出版に向けた現時点までの作業進捗状況をご紹介したい。

1月下旬発刊予定のこのブログ書籍化本「masaの介護福祉情報裏板~人を語らずして介護を語るな」は全部で6章構成となっている。

各章のテーマは
第1章・介護と福祉に迫りくる危機(書き下ろし)
第2章・介護にかける熱意はあるか
第3章・介護の世界の裏側にあるもの
第4章・最期の日々に寄り添って
第5章・今生きている現実と社会
第6章・天のない介護サービス
(書き下ろし) 以上全256頁。

と章分けされている。

このことは「事前予約申込書」にも詳しく書いてあるので是非こちらをクリックしてみてもらいたい。

第1章と第6章は「書き下ろし」の長文のコラムである。2章から5章は過去に書いた記事を修正加筆したコラムを中心に、それぞれ十数本の記事を掲載している。

そのほか各章(第1章から第5章まで)に「箸休め」的な記事として「コラム・介護歳時記」と銘打って、各章のテーマとは関係のない息抜きのコラムを数本掲載している。この「コラム・介護歳時記」には「ラーメン道」など介護とは直接関係のない記事も入ってくるかもしれない。その場合どの店の、どのラーメンが紹介されるかも予想して楽しんでほしい。

すでに書き下ろしの「天のない介護サービス」を含めた第2章以下の原稿とコラム歳時記は出版社に原稿を送って、その後初校ゲラとなり、僕の方で目を通し、ほぼ完成している。

「第1章・介護と福祉に迫りくる危機」という書き下ろし部分は、書くタイミングを見計らっていた。これは今回の制度改正に関連した内容にも触れる必要があるので、提出法案に盛り込まれるであろう改正骨格がみえる時期のぎりぎりまで待った。具体的に言えば社会保障審議会介護保険部会の報告書が出るまで執筆作業を中断していたものだ。

ただ制度改正の細かな内容自体は「生(なま)もの」なので、時期が過ぎれば腐りやすく、そのことを評論するのでは、時期が過ぎれば興味の薄い内容となってしまう恐れが強い。特にルールに細かく触れると、後日修正されてしまえば意味のない評論になってしまう恐れがある。

そのため僕の書き下ろしの内容は、実際の改正制度ルールというより、改正議論の方向性や、いま議論されている内容がいかに国民ニーズからかけ離れたものであるかという視点から論評することにした。特に今回の制度改正だけではなく、06年の改正議論が結果としてどうだったのかという視点から、現在の次期改正議論につなげて論ずると、制度改正のあり方そのものを論ずることができるのではないかと考えて、その方向から執筆しようと考えていた。

そして先日、11月25日の議論をもって(本当に議論されていたかは首を傾げるが)社会保障審議会介護保険部会の制度改正論議も大方終わり、法案に繋がる報告書の内容が示されたので、その原稿も昨週末から仕上げにかかった。この国の近い将来に忍び寄る「福祉と介護の危機的状況」とは、何が原因で、どのような形で影を落としてくるのかを明らかにするつもりだ。

そして11/30に報告書が厚生労働省のホームページにアップされたので、その内容を確認し最終的に原稿を仕上げ入稿した。あとは明日にでも届くであろう、その原稿のゲラの校正作業を行うだけである。

ちなみに担当編集者からは、今回の本のために書き下ろした部分についてはかなりの評価を頂いている。最初に書きあげた第6章については当初、第5章の締めのコラムとして考えられていたのであるが、原稿を送った後に「素晴らしくまとまっていたので、独立して1つの章(最終章)にしました。」と別章を立てたという経緯がある。そして先日送ったばかりの第1章の書き下ろしについても「素晴らしい内容で、とてもいい本になりそうです。」と誉められているので、少しばかり自信になっている。皆さんの期待にも応えられるのではないだろうか。

出版社では既に表紙と帯のデザインを発注しているそうなので、これができれば、あとは出版を待つだけである。

来週12/9に千葉県幕張の「アパホテル&リゾート東京ベイ幕張」で行われる老施協主催の「通所介護サービス力向上研修」の講師を務めるため同ホテルに赴くおり、空き時間に出版社の編集担当者の方と最終打ち合わせを行う予定である。それが済めばもうゴールは見えてくる。勿論それが終わるまでは、予定変更は随時可能性としてはあるわけだから、現時点で確定的なことは言えないが、ある程度先が見えてきたという時期である。

どんなものが出来上がるか是非期待してほしい。

各章ごとに様々なテーマに分かれているので章ごとに楽しむことができると思う。例えば第1章のテーマについては、制度論を中心に論じていることで、この部分の内容が多少難しいと感じる場合でも、そういうコラムばかりではなく、面白いコラム、感動するコラム、元気になるコラムなどバラエティーにとんだコラムを満載しているつもりだ。だからきっと皆さんにとって「読んで損はなかった」という章が別にあると思う。

特に今回は自分の思い入れが強い出版であるということで、各記事に自分なりに入魂の精神で臨んだつもりだ。心が入っていない文字は一文字とてない。

また「コラム・介護歳時記」は介護サービス関係者ではない方でも、楽しんで読める、あるいは感動できるような内容が盛りだくさんとなっているので、専門家の皆さんだけではなく、家族介護を行っている当事者の皆さんにも読んでいただきたい。

特に、これから介護に職業として携わろうという志を持っている方や、今まさに介護の現場に飛び立とうとしている若い人たちへの応援書という意味から、それらの人々へのプレゼントとしても活用していただきたい。

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介護・福祉情報掲示板(表板)

最晩年に寄り添うということ。

Tさんは明治38年12月1日生まれであり昨日、満105歳の誕生日を迎えられた。

その日は、午後からご家族も来園され、同じユニットのお仲間も交えてささやかな誕生パーティーをフロア内のデイルームで実施した。

ちょうどその日の午前中、市内の幼稚園児が「お年寄りとの交流」のため、当園を訪れていたが、その際にも「ちょうど今日、誕生日の方がいます。その方は105歳です。」ということで、園児の皆さんが、Tさんを囲んでお祝いをしてくれた。Tさんと、そのご家族の承諾を得たので、その際の画像を皆さんにも紹介したい。ただし園児の保護者の承諾を得ていないため、園児の顔が写っている場面は使えないので、Tさんの表情のみである。

105歳の誕生日105歳の誕生日2


考えてみれば、その時来ていた園児は「年長さん」であるが、ほとんどが6歳児だから、Tさんとは99歳の年齢差がある。しかし99歳年下の可愛い子供たちから、プレゼントをいただくというのも素敵なことだ。長寿はやはりめでたいことで、祝うべきことなのである。

Tさんは、現在でも「書道」がお好きで、習字を書く際には姿勢も凛とし、筆先もしっかりして良い字を書かれる。書道の先生も、このずいぶん年上の「弟子」の元気さに驚かれている。さすがに体力が少しずつ衰えているのか、日中椅子に座っていても「うたた寝」することが多くなっているが日課活動にはほとんど参加している。少なくとも1日の大半をベッド上で過ごす生活ではない。

Tさんが生まれた明治38年(1905年)は「日露戦争」の講和条約のため、小村寿太郎が全権大使としてポーツマスに向かった年である。我々にとってははるか昔、太平洋戦争よりも前の戦争に登場する歴史上の人物が活躍していた時代に彼女は生まれている。

その後、激動の大正、昭和を生き、あの太平洋戦争も壮年期に経験している。そんな時代に7人の子供を育てているのだから、若い頃はきっと苦労することも多かったのであろうと思う。しかしご家族の穏やかな表情に囲まれた誕生パーティーでのTさんの表情を見ると、その家庭はきっと幸せな家庭であったろうことが容易に想像できる。

その家庭と家族から離れ、医療機関を経て当施設に入園してきたTさんにとって、決して本当の家族にはなれない我々ではあるが、家族に替って愛情を交わし合う関係を持てるのかが一番大事なことではないだろうか。

当園にTさんが入園されたのは、介護保険制度が始まる前年の、平成11年4月である。だから僕らは、Tさんの90歳代以降のことしか知らないし、多分Tさんの最晩年に関わる関係者の一人としての意味があるのだろうと思う。果たして彼女にとって人生の最晩年に暮らしを営む、この施設が、彼女にとっての安住の場所になっているのかが問題で、そういう暮らしを提供できないのであれば、我々は福祉サービスの専門援助者とは評価されないであろう。園児から贈られたクリスマスツリー



僕らは若い頃のTさんとは何のかかわりも持っていない。そして僕らが関わるこの時期は、Tさんの人生にとっての10何分の一でしかない時期である。しかしだからこそ、今この瞬間を含めた時期を大切にしなければならないと思う。

Tさんの人生が、本当に幸福なものと感じられるかどうかが、この時期で決まると言っても過言ではない。過去にいくら幸せな人生を送っていたとしても、我々が関わるこの時期が、Tさんにとって「つらい暮らし」になってしまえば、彼女の人生そのものが哀しい悔いの多い人生になってしまうかもしれないのだ。

高齢期の人々の暮らしに密着して関わる我々の責任はそれだけ重いということだ。

だからTさんが笑顔でいられる場面が、少しでも多くなるような暮らしづくりが大事なのであって、我々の専門性とは、そういうごく日常の小さな満足感を積み重ねることから考えるものであろうと思う。

それは決して理想論でも、手の届かない幻想の頂(いただき)でもなく、我々の常識の先にあるもので、人を愛する普通の感性の先に実現できるものであるはずだ。

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ざんぎ定食あなどるなかれ!!

北海道人ならすべての人が知っている「ざんぎ」という食べ物。

若鶏半身唐揚げ
しかし道外の人に「ざんぎ」といっても通じないことが多い。「なにそれっ?」って言われるので「鶏のもも肉等に味をつけてコロモをまぶして油で揚げたもの」と説明すると、『なんだ、それってただの「鶏のから揚げ」じゃん!』と言われてしまう。

まあその通りといえばその通りなのだが、北海道人にとって「鶏のから揚げ」といえば衣をまぶさないで素揚げした鶏の半身のイメージの方が強い。(右の画像がそれ)→これが「唐揚げ」で「ざんぎ」ではないのだ。

だから北海道人にとって「ざんぎ」と「鶏のから揚げ」は違う食べ物なのである。

衣をまとって揚げられている1口大の味付け鶏肉はあくまで「ざんぎ」なのである。このブログを読んでいる人は明日から「ざんぎ」という言葉を覚えて内地(この言葉も知らんのか?)でも流行らしてもらいたい。流行らしてくれた人には、北海道の本場のさんぎをプレゼントするかもしれないぞ!!(いらんというな!!)

それはさておき、この「ざんぎ」。居酒屋では定番メニューであるが、お昼時にも無性に食べたくなる人もいるだろう。その時、登別にはこの「ざんぎ」をたらふく食って腹いっぱいになる食堂がある。

登別温泉から新登別大橋を通って幌別に向かう道沿い、日本工学院の前の下り坂を下がり切って数百メートルほど走った右手にその店はある。(登別市千歳町6丁目)

店の名は「ソーダ食堂」。ずいぶん変わった店名だが、この店はもともと、この近くにある北海道曹達(ソーダ)幌別工場内の社員食堂が前身であるため、このような名称になっている。よって今でも同社の社員が数多く来店しているが、一般市民の数も多い。数あるメニューはすべて、懐かしい素朴な味が「売り」で、さらに1200円前後で挑戦できる「ジャンボメニュー」も評判である。(これは僕などは食べきれない。)

その中でも今日紹介する「ざんぎ定食」がこれである。

ざんぎ定食

一つ一つの「ざんぎ」の大きさは、他店のほぼ1.5倍(または2倍かな?)はあろうと思える。それがどかんと1人前8個もついてくるのだ。カウンターで定食を注文すると、お盆に載せられず、最初に「ざんぎ」の皿が出てくるのであるが、はじめての人なら「すみません、一人分しか頼んでいないんですが?」と言いたくなるようなボリュームである。このざんぎ、味がしみついてなかなかである。肉も柔らかくジューシーだ。衣はパリパリ、お肉は柔らかいという具合である。もちろん使っている鶏は単なるブロイラーであろうが、臭みはない。しかもそれに加えて、卵を2個も使った「目玉焼き」が当たり前のように添えられてくる。このトッピングの意味は不明だが、けっして迷惑ではないだろう。人によってはこれだけでご飯が一膳いただける。そのご飯もでっかい丼に大盛りである。それが普通サイズなのだという。

普通の人なら、これを全部食べただけで腹がはちきれそうになるだろう。ざんぎは半分だけ食べて、あとは「お持ち帰り」にしたいくらいである。(それも可能)。しかも、この量でみそ汁もついて値段は何と850円である。決して高くはないだろう。※なぜかわからないが、漬物はついているときと、いないときがある。

コンビニの「唐上げ弁当」と比較は出来ないぞ。体重の気にならない人は是非一度お試しあれ。

特に某地域包括支援センターの「絶対に寿命が長くない」と後輩に思われているSさん。ダイエットばかりしていないで、たまにはザックリ「ざんぎ定食」でも食べて、元気を出して、後輩に突っ込まれないようにしましょう。ああ・・・それから煙草は控えめに・・・・。

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