masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

介護保険制度の向かう方向に関する1考察。

先日、ある研究会で講演後、質疑応答の中で「介護予防サービスが将来的に介護保険から切り離されて医療保険になるんでしょうか」という質問を受けた。

どうやら高齢者医療制度の創設と今回の介護予防給付のルールとを絡めての質問らしい。

壇上から無責任な想像による回答は不適切であろうと思って、答えは濁したが、真意を言えば、僕自身はその考えには否定的である。

まあそういう方向が100%あり得ないという断言はできないが、少なくとも老健局の長期ビジョンにおける主流的な考えはそうではない(特に現職の事務次官の影響力が強い状況が大幅に変わらない限り、その考えは変わらないであろう)と思う。

そもそも昨年3月末時点で要介護認定者の中に占める要支援者と要介護1の合計数の割合は5割近くになっている。すると新しい認定の予測では、要介護1の約7割程度が要支援2に移行する、としている。それを元に計算すると介護予防サービス利用者は、認定者全体の4割近くを占めることになる。

しかも介護保険制度というのは保険料を支払っている人がすべて要介護認定を受けているわけではなく、高齢者に占める要支援・要介護認定者の割合は昨年4月時点で全国平均15.7%である。つまり大多数の人は保険料を支払うだけでサービス利用をしていないということを意味している。

これらの人も将来的に、要支援・要介護状態になれば介護保険のサービスを受けることができるという「権利」があることで強制保険である介護保険料の支払い「義務」を課しているのに、さらに認定者のうち6割しか利用できない制度にするとしたら、これは保険料徴収の整合性が厳しく問われる国民的議論にならざるを得ず、むしろ次期制度改正の本丸は保険料徴収年齢の引下げであり、これにターゲットを絞る国の方向性とは合致しない。

介護保険のひとつの意味は国民の新たな負担制度であり、国から見れば介護保険料は貴重な財源の一つであり、いかに今後これを広く薄く徴収する形を継続するかが課題なので、負担あってサービスなし、という状況では国民負担を拡大することが難しくなるからだ。

むしろ負担年齢の拡大の旗印に、介護予防という(仮に実態が伴わなくとも)国民には耳あたりの良いサービスを介護保険内のサービスとすることで、負担年齢の拡大のコンセンサスが形成されやすい状況を作り出したかった。そしてその下地として対象年齢拡大ができなかった昨年の改正で介護予防サービスを被該当者を含めて介護保険サービスに取り込んだという意味がある。

今までは介護保険外であった、介護保険の被該当者への地域支援事業等も保険内サービスとしたという意味は、予防の守備範囲について、医療保険制度は病気にならないようにする公衆衛生による予防保健制度であり、介護保険制度は要介護状態にならないよう疾病に起因しない廃用予防を担う、という意味をより一層明確にした、という意味であろう。

だから介護予防が医療保険に包括されていくという考え方は、積み残した課題として被保険者の対象年齢拡大という問題がある現時点では「荒唐無稽」とは言わないまでも、「筋悪(すじわる)」であると思う。

むしろ『介護保険制度、次期改正への布石。〜この改正で見える二つの影』 で指摘したように、次期改正では対象年齢の拡大とともに、定額報酬サービスの範囲拡大(一部の介護給付にも拡大)と介護予防対象者の拡大=要介護2の一部も予防対象に、という議論になるのでは、と指摘してきた。

しかしここに来て、後者の介護予防を要介護2の一部まで拡大するのでは、ということついては、何も制度改正で議論した結果そうしなくても、現在行なわれている認定ソフトの改正で実施されてしまうのではないかと危惧している。

介護認定ソフトを改正しようという意味は、現行ソフトでは要介護1相当としか判定できない状況を変え、一次判定で要支援2と要介護1の区分も行おうとするものであるが、認定ソフト1999から2002に変わった平成14年4月には、判定ロジック自体が変更されたことで認定結果の46.4%が要介護1に判定される結果を生み出した。そのことを思い出すと、裏技がある、ということに注意しなければならない。

つまり平成14年4月以降、軽介護者が大幅に増加したという意味は、ソフトの判定結果により出現した問題で、要介護状態にまったく変化がなくても要支援と要介護1に認定されやすくなっているロジックに変更されているのである。

すると何も制度改正で要介護2の一部を予防に移行させて「サービス制限だ」と批判を受けなくとも、認定ソフトのロジックを、現行、要介護2と判定されている状態を、そのまま要支援2と認定できるようにすればよい、ということにならないだろうか。

考えすぎかな?どちらにしても新認定ソフトは結果だけでなく、樹形図を含めた中身のロジックの検証が必須である。

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自己決定とは何か2〜ケアプランへの希望とニーズの温度差

居宅介護計画は自己作成もできるが、大多数の介護サービス利用者が居宅介護支援事業所の介護支援専門員に作成を依頼している。

この大きな理由は作成依頼しても利用者の自己負担がない点が要因の一つとして挙げられるが、最も大きな理由は専門知識を持つ専門家としての介護支援専門員に任せたほうが適切な支援体制を築いてくれるのではないかという期待があるからであろう。

しかし一方で、利用者やその家族には、介護サービスを受ける際にあらかじめ抱いているサービス利用に対するイメージや理想というものがあり、それに関連して希望するサービスとか、使いたくないサービスがあるわけである。使いたいと希望するサービスの中には、専門家からみれば必要のないサービス、過剰サービス、使うことによって利用者の機能低下が心配される可能性があるサービスさえもあり得るかもしれない。

そのとき、ケースワークの原則である「自己決定」と、本当に必要と思えるケアプランとの温度差の中で介護支援専門員は、どう対処すればよいのであろうか。ここでの自己決定はどう守られ、何を意味するものとなるのであろうか。

自己決定には利用者の能力から生じる制限はあるし、利用者の能力を超えて自己決定を強いるべきではないことは昨日述べた。しかし例えばアセスメントから導き出した課題と合致しない「生活援助としての家事支援」を求める方が「能力から生じる制限」の対象者であるとは言えない。そう都合よく自己決定は制限できないのである。

しかし利用者の希望と本当に必要なサービスが異なることが、介護支援専門員からみて明らかである場合に、それは過剰なサービスだけでなく、必要なサービスを利用者自身が自らの意思で「受け入れてくれず」、必要なサービス利用に繋がらずに、課題解決=適切な生活支援ができないというケースがある。

そのとき我々社会福祉援助の専門家がまず考えなければならないことは何か?
それは、利用者は誰しも問題解決の過程で介護支援専門員などの援助者のサポートを必要としていたとしても、問題解決の方向などを自分で決める自由は持ちたいと願っていることは「当然なのだ」という理解である。

そして、利用者が援助計画を押し付けられたものと感じた場合には、援助活動そのものが無駄に終わってしまう場合も多いという認識で、でき得ることならば、介護支援専門員は利用者との信頼関係を形成する過程の中で、利用者本人や家族にも必要な情報と知識を伝え、彼らとともにケースの進行に応じて成長発達する必要があるということである。

抽象的観念論になりすぎても困るので、具体的な問題に話を戻そう。

介護計画の決定に際しての利用者や家族の自己決定とは、単に利用者や家族の意向だけで物事を決定するということではない。

それは決定の主人公は利用者本人であるということを前提として、それを保障したうえで、介護保険の制度利用を例に挙げれば、専門知識のある介護支援専門員が利用者や家族に、地域に使える資源としての介護サービスとはどういうものが、どの程度あり、どのように使えるかという情報を制度上のルールを含めて明らかにし、そして利用者本人の課題や必要な支援を、アセスメントの結果などから充分説明して、そのことから、介護サービス利用の効果(成果)や、利用者の今後の状況変化の予測等の専門家としての判断を分かり易く情報提供した上で、最終的に決定するのが利用者であるということだ。

その過程で利用者の希望とニーズの相違から生ずる問題についても専門的見地からわかりやすく説明して、理解を求めていくことだろうと思う。

特に希望とニーズが合致しない大きな要因は、利用者や家族が持つ情報や知識は、介護支援専門員が持つそれと量も質も大きく異なり、偏った少ない情報の中から意思決定している例が少なくない、ということである。

その状況を変えていくことから出発する必要があるだろう。
情報を正確に伝えて、そこからサービス利用の効果や予後の予測を伝えることで利用者や家族は、サポートしてくれる介護支援専門員に信頼感を持っていくことになる。

特に介護サービスなど形のないサービスは「使ってみないとわからない」「実際に試すことができず、利用そのものにならざるを得ない」という特性を持っているのだから、正確な情報を噛み砕いて説明してくれて、分析の視点も示されることが利用者や家族にとって重要なのである。

そして同時にサービス利用に対するクレームもきちんと受け止め、嫌だ、という感情にも適切に理解的態度で臨める介護支援専門員に多くの利用者が信頼を寄せ、適切なサービス利用ができる計画へと繋がっていく可能性があることを忘れてはならない。

なお明らかに使うことができないサービスや必要のないサービスについての計画は機関の機能から生ずる制限が適応される場合もあるが、優先されるべきは制限の前に、理解を得る援助姿勢であろう。

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自己決定とは何か1〜バイステックの7原則を都合よく解釈してはならない

社会福祉士の国家試験で過去に最も多く出されている問題が、ケースワークの原則(バイステックの7原則)に関する問題である。

社会福祉士であれば、この原則を諳んじられない人はまずいない、と言ってよいと思う。しかしその内容の理解には差があり、時に「そういう意味じゃあないだろう」と思う考え方をしている人に出会うときがある。しかし理解不足であれば、勉強しなおしてもらえばよいが、時として、勝手に都合よく解釈して、自己の行動の正当化に使う例がみられる。

数年前、表の掲示板で相談されたケースであるが(詳細は覚えていないが)たしか生活保護受給者で認知症が現われてきた独居高齢者宅に保護担当のケースワーカーが訪問した折、当該利用者が高熱を発し、起き上がれない状態で苦しまれていた。しかし保護担当者は状況を確認しているのに、何もせず、自らの調査を終えると役所に戻ってしまった。

あとで大家さんが状態に気づき、あわてて救急車を呼んで、担当のケアマネにも連絡した。

担当ケアマネはその日、保護担当のケースワーカーが利用者宅を訪ねたことを知って、状況の確認とともに、なぜ、そのとき必要な対応や担当ケアマネに連絡してくれなかったのか、ということを保護担当者に問い詰めたところ『救急車を呼ぼうとしたが、利用者本人が「病院には用はない。誰にも連絡せんでも大丈夫だ」と言ったため、それが自己決定である』として、そのまま役所に戻り何の対応もしなかったということであった。こんな対応が許せるでしょうか、という内容のスレッドであった。

実際にこんな対応を行う保護担当のケースワーカーがいることも驚きであるが、相談があったのは事実である(勘違いしないで欲しいが我々の知る周囲の保護担当の方々は、このようないい加減な人はほとんど見当たらない)。

しかしこのケースのような事実が実際にあったということであり、ここでの「自己決定であるからその意思を尊重して何もしなかった」という理屈は開いた口がふさがらない。我々専門職は、そんな理屈に対し、きちんとケースワークの原則の意味に即して反論できなければならない。皆さん、大丈夫だろうか?

「自己決定の原則」とは、ケースワーカーが被援助者の自ら選択して決定する自由と権利とニードを具体的に認識することである。そしてその権利を尊重しニードを認めるために被援助者が利用できる適切な社会資源を地域社会や被援助者自身の中に発見して活用するような支援を行なう責務を持つという意味である。

しかし人が何かを自ら選択し、決定する自由は全てが許されることとイコールではない。

個人の権利は社会における他者の権利によって制限される場合もある。
つまり個人の権利は他者の権利を尊重する義務を伴うものである。人の自由はそれ自体が目的ではなく、幸福な暮らしを手に入れる手段なのだ。

当然、人生における選択と決定を自ら行なう権利は道徳的な悪を選んで行為することを許しているわけではないし、コンプライアンスとしての制限も生じる。何より、被援助者自身の能力を超えてまで自己決定を強いるべきではないとされている。

つまり自己決定の原則は、その前提に、被援助者の積極的かつ建設的決定を行なう能力の程度によって、また市民法・道徳法によって、さらに援助機関の機能によって制限を加える必要が生ずるものであり、自らの命や他者の命を危険にするような自己決定は認められないし、あらゆる手立てを講じても自己決定ができない利用者については援助者が彼らに代わってニーズを表明し、方法を選択し意思決定を代弁することによって利用者の基本的人権を守ろうとすることが優先されるのである。

切迫した状況で命に危険がある状況で、被援助者本人の決定能力が低下している際において優先されるべきものは何か。本ケースの保護担当者の言い訳はいかにケースワークの原則に外れたものかが理解できると思う。

いやケースワークの原則に外れる前に、人の道に外れているというごくありきたりの常識である。

しかし得てして生半可な知識しか持たず「ケースワークの原則」論を振り回す輩には、それ以上の専門知識を「振り上げて」語らんとならん場面もある、ということである。本当はこんなことしたくないんだけど・・・。(続く)

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研修における行政報告に求められるもの。〜形式的な報告は必要なし。

昨今企画される研修は内容もかつてより硬直的ではなくバラエティに富むものもあり、実用に即した内容の研修も多くなったように感じている。

しかし一方、相変わらず「決まりごと」のように行政報告を頭に持ってくるのが恒例化している研修も多い。

かつてインターネットがない時代は、情報は国から都道府県、そして市町村を通じてやっと介護施設などの現場におりてきた。それによるタイムラグも結構大きくて、現場には、なかなか正確で新鮮な情報が下りてこないという場合もあったし、情報の分析も、その方法がわからずに「できない」という施設もあったから、その時代の行政報告は貴重であり、そういう報告を聞くために研修に参加した時代もあった。

しかし現在、現場の施設と、都道府県が得ることができる情報量や内容にどれほど差があるのだろう。

少なくとも公式の基準通知や事務連絡等は、都道府県でなくともタイムラグなく手に入れることができる。行政職員しか参加していない全国課長会議資料もワムネットで見ることができるし、ワムネットに載らない、非公式の情報であっても「その手の方法」で手に入れることは可能で、人の口に戸を立てることができないように、都道府県の職員だけが手に入れることができる情報は極めて少ないのではないだろうか。

(17年10月の先行改正時、当サイトでは、行政職員だけに出回った非公式のQ&Aを掲載したことがある。そのとき、僕の知人に道職員がいて、彼がニュースソースと疑われたそうである。しかし僕がそのファイルを手に入れたのは東海ルートと、九州ルートというまったく別ルートの、ある関係者から手に入れたもので:つまり複数の別ルートから同じ情報が手に入ったという意味:ソースの疑いについての話を聞いて笑止千万だなあと感じたことがある。)

共通の情報を様々な立場の人がリアルタイムに手に入れることができる状況において、行政報告にしても、かなりその内容に鋭く切り込む視点や、説明しないと理解できない点を報告として示してもらわねば意味がないということになる危険性を孕んでいる。

しかし時として別の研修でまったく同じ資料説明という場合がある。しかも数値の説明など見ればわかることで、意味があるのかと首を傾げることが、しばしばある。

どこかで見た資料と思い説明を聞くと「厚生労働省のHPからダウンロードした資料ですが・・・」という場合もある。まあ時には見ていない資料もあるが、単にDLしただけで数値説明されても、みりゃあわかるよ、だからどうだっていう分析がないのかよ、と言いたいときもあるのだ。そもそもHPで公開しているような資料は説明を必要としない見ればわかる資料である。(今どき壇上で、介護保険制度後、一番数が増えた居宅サービスはグループホームで・・という説明をしている人は恥ずかしいと思わないのであろうか?)

壇上に立って、それらの数値説明をしている報告者の方々は、どういう意味でそれを伝えるのか、明確な意図をお持ちなのであろうか?我々が参加している研修=それなりの専門家が受講している、という意味をしっかり捉えてくれているんだろうか。

数値資料を示して分析として自分の言葉で現状や今後の動向の見込みなどを示してくれるのであればまだ良いのだが(それにしてもわかりきったことであれば問題だが)、資料の数字を意味もなく復唱して時間を費やす報告はやめていただきたい。

是非、このあたりの視点を研修企画者は講師、報告者等にしっかり伝えていただきたい。企画者が気を使うべきは、本来、講師や報告者ではなく、お金を使って、時間を使って受講している参加者に対してであろう。

この厳しい情勢下、研修を観光のついでに考えている施設はないはずである(あるとしたら、今後、生き残っていけないと思う)。身のある内容にしていただきたいと切に願うものである。

どうか、意味のない・あるいは読めばわかる数字の説明だけで終わる行政報告は見直していただきたい。

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筆を置くPART2

昨年10月、北海道医療新聞社の連載コラムが終了したとき今日と同じく「筆を置く」というタイトルをつけてブログに書いたことがある。

今日は昨年から連載していた隔月発行(年6回)の日総研「介護リーダー2006」の最後の原稿を仕上げて同社に送ったので同様のタイトルで、この1年間を振り返ってみたい。

同誌には過去にも小論文を依頼されて執筆したことが何度かあったが、制度改正に関する現場からの提言を1年間に渡って連載して欲しいと依頼されたのは昨年初頭頃であったろうか。

既に2006年4月の制度改正に先駆けて、2005年10月に施設の居住費・食費の利用者自己負担化という大改革が行われていたので、そのことも含めて現場の声を知っていただくことは大事だろうと思ってお受けした。そして毎回400字詰めの原稿用紙にして12枚〜15枚程度の小論文を書き続けてきた。

連載論文は2006年5/30号からの冊子に掲載され、本年3/30号で終了するが、実際に執筆原稿を最初にあげたのは昨年3月で、最終原稿が今日というわけであり、今月号に11月に送った原稿分が掲載され、今日送った分は3月に掲載される。つまり実際には2回分の小論文がまだ世に出ていない。

最終稿も、これからゲラが出来て最終校正して完全な原稿となるわけであるが、執筆としては終了し、僕の中の実感としては昨晩がまさに「筆を置く」という、この連載に関わる仕事を仕上げたという実感がある。あとは読者の方に読まれるのを待つだけで、それはもう僕の手を離れたものである。

この1年の連載を振り返ると、初回の原稿は〆切日を勘違いして、土日で慌てて仕上げるというミスもあったし、〆切日の目前に父が急逝し、〆切を延ばしていただいたということもあった。その際には編集者の方をはじめ、日総研出版社の方々には大変ご迷惑をかけて申し訳なかったが、嫌な顔一つせず、快く待っていただき、時には適切な校正をしていただいた。感謝している。既に出版されている4回の原稿とこれから出される2回分のタイトルと、そのテーマについて簡単に振り返ってみたい。

すべてメインタイトルは「新しい介護保険制度の現場から〜その課題と提言」とされ、各回にサブタイトルをつけている。

第1回(18年5月30日発行分)
食費・居住費の自己負担化
とにかく大改革である。ここを1里塚にして利用者自己負担の流れは医療施設の一般病棟にも将来的には広がっていくのであろうから、この考え方(何の費用をいくらとして自己負担させるのか)が正当な評価であるのか検証すると共に、昨年4月の報酬改定で多床室の報酬を下げる理由とされた介護報酬が多床室より個室のほうが低いということに対する、いわゆる「ねじれ論」がいかにまやかしの論理であるかということを問題提起すると共に、被保護者が個室利用できないという問題を「劣等処遇」ではないかと批判し、同時に低所得者対策の検証が不十分であることを問題提起した。

第2回(18年7月30日発行分)
問われるケアマネジメントの質
介護給付費分科会で問われたケアマネの質の問題、特に新予防給付創設の理由にされた島根県における調査による軽介護者の介護度悪化データがいかに、まやかしのでたらめデータであるかを指摘し、介護支援専門員不要論に異議を唱えた。また居宅介護支援費については、特定事業所加算や特定事業所集中減算のルールがケアマネジメントの質を担保するルールになっていないことを批判的に論証した。同時に居宅介護支援費の介護度別報酬の復活は介護現場の実態に逆行しているとし、この報酬単価の決定はアウトカム評価のシステムを作り上げない限り財政論で左右されることを述べた。

第3回(18年9月30日発行分)
看取り介護の視点〜高齢者が安心して暮らせる施設
特養における終末ケアのあり方に関して、僕のつくった指針に盛り込んだ考え方を中心に、現状と課題について論じた。僕のサイトの「看取り介護の実践とその考察」も参照して比較して読んで見て欲しい。

第4回(18年11月30日発行分)
介護難民の発生は確認できないという報道が意味するものとは
地域包括支援センターの役割を中心に、今後予想される地域の介護問題に対しての必要な支援の視点を検証した。同時に療養型医療施設の廃止と縮小の問題も取り上げ、その問題点も含めて検証した。同時に新予防給付がこの新制度に位置づけられた(介護予防効果は期待されておらずアリバイ作りとして利用されているという)本当の意味を論じてみた。

第5回(19年1月30日発行予定)
栄養ケアマネジメントの現状と課題
介護保険施設における栄養ケア加算の創設の意味を検証すると共に、管理栄養士の役割やそれをフォローする施設のシステムについて考察し課題についても提言した。今月発行なのであとは是非冊子を読んでいただきたい。

第6回(19年3月30日発行予定)
介護保険施設における介護支援専門員の業務と位置づけに関する1考察
ケアマネジメントとは何か、という問題を中心にいまだ不明瞭は施設の介護支援専門員の業務内容や役割と位置づけ、相談援助職員(特に相談員)との関係や業務分掌について考察した。これも3月発行冊子を是非読んでいただきたい。

以上全6回を振り返ると、それぞれその時の思いはそれなりに書けたのではないかと思っている。ただし後から読み直すと論拠に甘さが目立ったり、表現上の稚拙さも目に付く。まだまだ勉強しなければならないとあらためて感じている。

とにもかくにも〆切というものが日常生活に全く無くなったのは久しぶりである。嬉しくもあり、寂しくもあり・・・複雑な心境である。

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嫌いな言葉〜「日本一の施設にする。日本一のサービス事業所にする」。

新年最初の出勤日である。年末年始に施設を守ってくれた職員の皆様にまず感謝したい。

年末には「1年を振り返ってどうでしたか」という質問を受けることがあるが、福祉や介護の世界で対人援助サービスに関わっている私たちにとって、後ろを振り返っている余裕はあまりなく、時期を問わず、つねに今や明日のこと、将来のことに考えが及んでしまう。休みの間も、これからの我が施設の行く先、介護サービスの方向、やらねばならんこと、やりたいこと、様々に考えてしまう毎日である。

だからといって新年早々「今年の抱負は」と言われても困る。

常に我々の目標や目的は「我々に関わる利用者の生活支援」の視点であり、より良い暮らしの実現のために、介護サービスの品質をいかに管理して向上させるか、ということしかないわけであり、毎年、何か具体的な言葉で表現できる目標など作れない。

だけど絶対これだけは言わないだろうなという大嫌いな言葉がある。それは、この施設を「日本一の施設にする」という言葉だ。まあ自分にはそんな大それたことはできないだろうなという気持ちもあるが、そういう意味とは少し違う。

そもそも自分の施設の介護サービスの質だけが向上したってしょうがない。僕らの目の前の高齢者だけが良いサービスを受ければよいという問題ではない。それぞれの施設で様々な工夫をして介護サービスのいろいろなエビデンスを作り上げて、それが皆の共通のツールになっていけばよい。

どこか特別な場所に、一つの素晴らしい施設があることより、みんなが一定以上のレベルで質の高いサービスを提供できる施設となって、どこにも変な施設や介護サービスがなくなるほうがよっぽど大事だ。

日本一のサービスができる施設になって、俺の後姿を見て、お前たちもついてこい式の「職人技サービス」など必要なく、全ての施設に情報提供されて皆がサービス向上できるためのツールが手にはいり、実現できる方向性が示されなければ意味がない。その過程で、どこが一番になったって良いだろう。このことは施設サービス、居宅サービス、どちらにも言えることである。

不幸せな形で、あるいは低レベルのサービスで困る人が一人でも少なくなるのが大切なことではないか。

そういう意味で僕らは、素晴らしいサービスをする以前に、我々自身の存在が、不適切な存在、迷惑な存在、いないで欲しい人にならないように気をつけることのほうが重要なことだと思う。

サービス提供側の自己満足のための介護サービスの質議論など必要ないのだ。

そして大事なことは質を管理する、ということだ。ある一定の時期、特別な費用や人手をかけた時期だけサービスが向上したってしょうがない。人の幸せとか不幸とかいうものは、ある時期に達成感があれば、ある時期は不幸や不幸せに耐えられるという問題ではない。

特別な施設や居宅サービス事業所だけが手に入れることができる方法論ではなく、そのことが日本中、いや世界中のケアサービスのエビデンスになり得る方法であって欲しい。

そしてサービスの質の管理とは、今以上のケアサービスのあり方を常に模索する姿勢から、いまあるサービスの方法を振り返りながら、我々と向かい合う様々な人々の「生活の質」を、我々の「当たり前の生活」と比べながら、そのことの実現を毎日求め続ける研究心と実践課程だろう。

何も特別な暮らしを作るのが目的ではない。人として当たり前の生活が送れる社会を皆で作ることである。

何度でも言う、どこか特別な場所に、特別な施設が、特別すばらしいサービスができているけど、一般的なサービスレベルは「当たり前の人の暮らし」にまったく届いていない社会は貧困だ。

すばらしい施設があるなら、そのサービスをスタンダードにする情報提供や教育課程を皆が手に入れる社会システムこそ重要である。

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ネットで広がる輪〜出会う縁のすばらしさ

昨年、僕は父を亡くしたので新年のご挨拶や年賀状は遠慮させていただいている。しかしこのブログは施設のサイトの一部になっており施設の管理者として、サイトの管理人として皆様に新年のご挨拶を申し上げます。

もっとも近しい存在である親を失うことで、逆に今、僕の身の回りのある様々な縁や人の繋がり、ネットワークが愛おしく思えている。大事にしなければならない。そういう人の縁がインターネットを通じて作られるのも現在の社会の有難さである。

僕のサイトは2001年5月に開設した。北海道の片田舎の1社会福祉法人のサイトであるから当初の訪問者数は職員を除けば数人であった。しかし掲示板の盛り上がりともにアクセス数が激増して行った。掲示板は当初レンタル掲示板を使っていたが、書き込みが1週間以上なくて自然消滅し、2代目で消滅しないタイプの掲示板を使った。(現在は5代目である)

ネット関連で最初にお会いしたのは「ケアプランの広場」の松本さんである。ふとしたきっかけで相互リンクを結んだが、松本さんは特養などでは全国的に使われている包括的自立支援方式(3団体版)というアセスメント方式を作った人で、全国の保険者担当者や介護支援専門員に対する研修講師として日本中を飛び回っている。そんな忙しい合間をぬって、わざわざ僕に会いにやってきてくれた。吹雪で千歳空港が閉鎖になっていた日で、帯広空港から汽車で大変だったろうと思う。ついでだから、地域のケアマネ会に呼びかけて1時間の講演をしてもらった。その節はお世話になりました。

施設サービスの限らず居宅サービスやその他の福祉分野に広く回答でき、正確で迅速な情報が多くて深く議論できる掲示板として関係者の間で話題になっていったのは半年後くらいからであろうか。長崎のMr.Mさんは当時からの参加者であったと思う。若いのに鋭い考えを持っていると共に、彼の施設を知ることで実践家としても、在宅介護支援も含めてすごい人だなあと思った。

今でも適切なアドバイスや情報をいただいている。

今年、長崎の島原市のケアマネ会に僕を講師として招いてくれたNA6さんも古くからの掲示板参加者である。いつも掲示板ではしっかりした意見を書いてくれるが、今年お会いしたときなかなかのイケメンで、若いのに少々驚いた。この業界の人材も豊富なんだ。

全ての分野で優れた実践をしている兼任CMさんも当初からの参加者である。毎回、適切なレスポンスを書いてくれるが、それ以外にも彼の人柄と社会福祉援助者としての人となりを表すものとして過去ログに掲載している「対人恐怖症の学生の介護実習について」 の報告は是非皆さんに読んでいただきたい。すごい人だと思う。

時に辛口のコメントが鋭い小型指導員さんは、ユニークな理事長さんの迷走を見事に軌道修正して施設を正しい方向に導く達人であると共に、4コマ漫画を書かせれば業界NO1という裏技師である。

僕のサイトのアクセス数が急激に増えるきっかけになったのが15年のルール改正、支給限度額1本化議論である。これらの掲示板の歴史は「掲示板に歴史あり」で書いた内容と重複するので、詳しくはそちらで見てもらいたい。

その時、僕の掲示板で激論を交わした相手が尊敬すべき実践家としてのBOBさんであり、今でも適切にアドバイスをいただいている。実際にお会いしたことはないのであるが、携帯メールではやり取りが続いて、もう古くからの知人と同じ感覚で、どこかでお会いしても違和感はないだろう。彼の高齢者に対する温かい目と、認知症ケアに関しての見識の高さは真似ができない。

当時の議論の進行を注目していた方々の中にコンピューターソフト関連の皆様も多かった。新しい請求ソフトを作るのに情報が錯綜して、いち早く正確なルールを示した僕の掲示板にずいぶん感謝をいただいて恐縮した。

今、福祉関連の業界関係者で知らない人のほうが少ない「介護保険情報BANK」のJTさんもその議論の際、ROMしていただいた方の一人で、やがて彼から「全国課長会議で取り上げられた自治体サイトですごいのがある」とご紹介いただいたのが「篠山ホットステーション」であり、当時そのネット管理者であるキミオーさんとお付き合いするきっかけになった。正直、行政担当者でこれほど福祉・介護サービスに熱意を持って実践している人がいることは驚きであった。今では毎年キミオーさんから僕の施設に「丹波黒豆」を送っていただいて利用者も楽しみにしている。今後も、いろいろな場面で情報をいただきながらお付き合いが続くと思う。

それらの人たちの周りの人々とも輪が広がって、今では昔からの知り合いのつもりで、ネットが縁でであったことさえも忘れている人もいる(ごめん)

越後の熱血PT・大渕さん(NHK教育テレビでご覧になって知っている方もいるでしょう)もMr.Mさん絡みで、僕の掲示板で知り合った。その大渕さんから紹介を受けて数年前に日総研の冊子「介護リーダ」に小論文を書いたことがある。その後、その同社の編集者の方ともメールでやり取りするようになり、何回か原稿依頼を受け、昨年4月からは隔月で連載もしている。

ブログは1昨年、平成17年の10月から書き始めた。当初は皆がやっているからという軽い気持ちで日常の思いを綴っていて数人の読者から始まり、やがて100人を超え、500人近くになり、あれよあれよで、今では平日は700人近い人が読んでくれている。

そのブログに前述の連載について紹介したところ北海道医療新聞社から出している介護新聞の編集者の方から、同誌にもコラムを書いて欲しいという依頼があった。冊子連載を抱えている身で、しかも昨年4月は施設長に就任した時期でもあり、公私共に慌しく、週1回の連載は無理と思ったが、編集者の方からブログに書いてあるようなテーマでよいから、ということと、各テーマも具体的に示していただいたので、やってみようと思い、結局、なんだかんだで半年以上24回の連載を続けた。

北海道では介護新聞を定期購読している施設や事業所が多くて、いろいろな場所で「介護新聞見ています」という有難い声をいただいた。メールを送ってくださる方も多く、知り合いが増えた。

掲示板以外にもサイトでは様々な情報発信をしている。医師への情報提供依頼の地域統一書式や各事業所への情報提供等の書式も開発して公開している。今年4月の制度改正では、おそらく全国1早く「看取り介護指針」を作って掲載した。この指針については、特養だけでなく、グループホーム関係者が「医療連携加算」に必要な指針として参考にしたいとか、使わせてもらってます、というメールを数多くいただいた。

全国の施設や事業所で使っている「看取り介護指針」が僕の作ったものがベースになっている場合も多いのであろう。この指針の公開をきっかけとして「看取り介護の実践」についての講師として招かれる機会も多くなった。道外では岩手県の講演から始まり数箇所を訪れ、道内でも施設だけでなく今年早々には札幌で行われるホスピスの全国大会にもシンポジストとして参加する予定である。

掲示板を通じて僕の古くからの友人と、ネットで知り合った友人が知り合うこともある。道内の福祉の実践家としては屈指の存在で、僕も尊敬する友人のBooちゃんは、今年、札幌で行われた老施協全国大会の分科会で司会を務めたが、そこで発表した一人が越後の達人PT大渕さんだ。

大会中にも挨拶はしたんだろうが、大会後、掲示板であらためてお互いを紹介しあってたよね。こういう輪が貴重である。

それ以外にも様々な出会いが数多くあり、それらの方々に支えられサイト運営管理を続けている。
ネットをきっかけに、直接あるいは間接的に知り合った人々との輪が広がり続けており、さらに僕の掲示板を通じて参加者の方々がそれぞれ知り合い、交流を結び横のつながりができている。そうした縁が広がり続けている。そして、そのことが僕の人生を豊かにしている。有難いことだ。

長くなりすぎた。まだまだ書きたい人が沢山いるがご紹介しきれない。それらの方はまた別の日に書かせていただく。

ともかく、今年もどんな新たな出会いがあるか楽しみである。皆さん、今年もどうぞよろしくお願いします。

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付録:masaとは誰か

今年最後の仕事は「施設ケアマネジメント検証」で終了か?

昨日から今朝にかけて連載原稿の1月〆切分を仕上げた。

掲載されるのは3月であるが(1月発刊分は栄養ケアマネジメントについて書いている)、今回は施設のケアマネジメントについて書いた。

現在、一般的に認識されているわが国のケアマネジメントの概念が居宅介護支援事業所のサービス提供の方法論とイコールになって考える視点に偏りすぎているために、施設のケアマネジメントの全体像や、施設における介護支援専門員の位置づけや役割が不明瞭になっているのではないかという観点から、両者の共通点と相違点を明らかにしたうえで、施設ケアマネジメントに必要な視点や、介護支援専門員の役割から具体的な業務内容を導き出す論理展開を行ってみた。

筆が進むとよく言うが、今回の場合、どうも「筆がすべる」状態で、前へ前へ先走りする傾向になり、予定原稿枚数より、かなり枚数が多くなってしまった。こんなことはめったになく、僕の場合、頭の中で何枚くらいと考えた枚数でほぼ論旨展開を組むのが得意で、大きく枚数が少なくなったり、多くなったりすることはないのに、今回は異例であった。

その原因は、この年末に慌しく仕上げてしまおうとする「あせり」も一因だろうが、それより、施設のケアマネジメントはこの介護保険制度が始まる以前から、僕自身が施設のソーシャルワーカーとして施設内で展開してきた援助技術の一つであり、介護保険制度が始まる以前から「個別処遇計画」という名称のケアプランを使っていた専門職として、介護保険制度において施設の介護支援専門員の配置義務が課せられた際に、そこに居宅介護支援事業所のケアプラン作成に関わる作業的な視点をそのまま施設に当てはめて考えるような関係者、特にわけのわかっていない当時の施設長連中に大きく違和感を持っていたという思いがあることが原因だろう。

しかし、得てしてこういうときの原稿は出来が良くない。

筆がすべる状態は、論旨も上滑りなのだ。だから一度書いた原稿をすべて捨てて、書き直すという作業を行って、肉厚だった部分の贅肉のそぎ落としを行った。それでも少し枚数は多くなったが、1年間の連載の最終稿であるし、内容もそこそこになったので、ある程度完成に近いと考え一旦筆をおいた。

ここ2〜3日、この原稿から離れて、少し冷却期間を置いて数日後に推敲に入る。そこではまた、そぎ落としや文章の手直しが出てくる。完璧と思った文章でも時間を置くと自分自身、あらが見えてくるのはいつもの事である。

やがて完成原稿を送りゲラができ、それを校正して冊子に掲載されるが、掲載文を読んだ際にも「ここを手直しすべきだった」とか「この表現は回りくどくてわかりづらい」という部分が見えてくる。

そこは執筆者から読者の視点になるからだろうか。どうも執筆中、校正中にはそういう視点になりにくいのが僕の欠点であるように思えてきた。今回は注意してみよう。

とにもかくにも予定していた作業も終え、今日昼からは実家に帰省する。今のところ外も吹雪いておらず、良い天気だ。施設から緊急連絡がなければ予定通り出発できるが、この時間では不確定か?

とにかく今年1年、僕のサイト(このブログも含む)をご愛顧くださり、ありがとうございました。表の掲示板もリニューアルしたのに関わらず、相変わらず沢山の皆さんに利用していただいており、ほぼ1日4.000件平均のアクセスがあります。

明日は元日ですが、その感謝をこめて、ネットで繋がった様々な「縁」について、このブログでご挨拶と共に紹介したいと思います。

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仕事納め〜利用者忘年会が終わるまで。

今年は暦の都合でいつもより1日早い29日の今日が仕事納めである。

この年末年始は日直にも当たっていないので3日まで休みである。しかし僕には明日、明後日を頑張って年内で仕上げてしまいたいもう一つの仕事がある。それは原稿書きの仕事である。

この4月から隔月で連載している冊子の次(最終稿になる)の〆切が1/10であり、早めに仕上ておきたかったのだが、この年末のあわただしさと、夜出かける機会の多さ(もちろん飲み会である)のため、プライベートの時間でもほとんど作業ができず、手付かずの状態のままであった。

今週に入ってやっと夜に作業を少しずつ進めていたが、完成に至らない。正月を〆切の心配をせずに過ごすには、今日の夜からスパートをかけて大晦日までに仕上げてしまいたいと思っている。

さて、今日の業務のことであるが、毎年我々の仕事納めの日の業務終了時間は夜8時近くである。というのもその日の夜に毎年「年取りの宴」と称して、利用者の皆さんの忘年会を行うからだ。大晦日には自宅に帰省する方もおられるので、全員で集まることはできないので、事務関係が休暇に入る前の日に恒例で行い、この日ばかりは、各ユニットに分かれずに、皆が一同に介して夕食を楽しむ機会にしている。

ケアワーカーだけでなく、事務職員もすべて日勤者は残業で対応し、夕食の場所に全員が集い、お酒をついだり、食事介助を手伝ったりして、1年間の感謝を表す。

ちなみに、今年のメニューである。

・松茸ご飯(炊き込みご飯)
・清まし汁
・空也蒸し
・鰤の照り付け焼き
・豚の角煮
・ズワイガニの天ぷら
・エビの大葉巻き揚げ
・帆立貝の黄身焼き
・煮物
・黒豆
・手作りザンギ
・蒸しうに入り卵焼き
・みぞれ酢和え
・フルーツ(苺・メロン)
・花びらゆりね
・柚子の蜜煮  以上

好みに応じた飲み物も出される。お酒やビール、ジュース各種である。もちろん職員はその間、お腹をすかせていても飲み物も食べ物もあたらないのであるが・・・。

とにもかくにも今年一年、このブログの読者の皆さんにもお世話になりました。

明日、明後日のブログはどうするか?休むかもしれないし、書くかもわかりません。新年も4日からは間違いなくいつもどおり書きますが、元旦から3日までは気分と、酒の抜け具合で判断します。時間がある方は、覗いてみてください!!

ともかく皆さんどうか良いお年を迎えてください。

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ノロウイルスの話題再度〜ふと芽生える僕自身のおかしな感覚。

この冬、今までも何度かノロウイルスの話題を取り上げてきた。

また今後、何度もこの話題を取り上げることになるのかもしれないが、僕がブログでこの話題を取り上げる意味は、ノロウイルスの感染を広げないという視点の大事さはもちろんあるにしても、ノロウイルスの感染拡大を防ぐことを理由にして、利用者の人権や人格が無視されたり、おざなりにされたりする傾向がないのか、という警鐘の意味が大きい。

ところが・・・である。常にそのことに注意をしているはずの僕自身の気持ちの片隅にも、時々おかしな感情が芽生えてしまうことがあって「これではいけない」 と反省する場面がつい最近もあった。

僕の住む地域でも医療機関や介護保険施設等でノロウイルスの集団感染が広がっており連日のように報道されている。幸いのところ僕の施設では感染者はまだ出ていない。しかし完全に防ぐ手段は「ない」といってよく、いつ感染者が出るかわからないという心配が常にある。

できることを100%行なって予防に努めるだけである。家族へも2次感染予防のため体調の悪い方の面会の自粛と、面会時の手洗いの励行を家族通信はじめ、あらゆる手段でアナウンスしている。

ところで、ある朝、前日夜から嘔吐がみられる人の報告があって、朝も苦しそうに吐いていた。まずご本人の体調が大事だから、すぐ嘱託医師に連絡して診察をしていただくと同時に、この嘔吐がノロウイルスによる場合は、感染拡大を防がねばならないと考え、日頃から決められている感染拡大対応を行って嘔吐物や衣類の処理と環境の消毒をした。僕が言わなくても職員は適切に処理手順を踏んでくれており、ここまでは特に問題ない。

しかし嘔吐がかなり激しいので、精査も必要で医療機関受診ということになり結果的に入院した。そしてその後、嘔吐の原因が別の疾患からであることが判明した。

そのとき、僕は心の中で単純に「ノロウイルスではなくて良かった」と思ってしまった。

しかし実際には、利用者本人にとってはノロウイルスではなくとも、それ以上に深刻な病状である。そのことに最初に思いが及ばなかった自分自身の「感覚」はどこかで麻痺していると思った。

こうした感覚を自分自身の中に放置してしまえば、様々な場面で人を人として見ない感覚が広がってしまうんではないかと恐れている。反省しなければならない。

この冬のノロウイルスの流行は、食品から直接感染する一次感染より、人から人に広がる2次感染が多いといわれ、この管内でも数百人にのぼる感染者のうち、食品から直接感染した事例として確認されたのは、わずか2例である。その他はルート不明が多いが、2次感染と考えられている。だから施設の食事サービスをいくら注意しても、職員の家庭での感染があれば無意味であるということになり、先日のブログ「ノロウイルス対策への疑問〜今年だけではないという視点。」で書いたとおり、僕の施設では衛生面に充分注意しながら、年末や年始にふさわしい、食材は出そうと思っているし、他の施設でそれに制限を加えようとしていることに対しては、その施設の判断でものを言う立場にないが、少なくとも食材の制限を行なう施設は、利用者にだけでなく、職員も家庭での注意義務として同じように施設で出さない食材を口にしないという覚悟をしなければ嘘であると思う。

施設利用者だけに口にするものを制限する施設長や栄養士を僕は決して見識ある専門家とは認められない。

昨日の全体会議で示した注意事項を下記に記す。

(ノロウイルスの対応について)
管内の医療機関、老人福祉施設、老人保健施設で多数の感染者が出ていますが、現在のところ室蘭保健所管内で、食品による一次感染と確定された方は2名のみです。その他の方は医療機関や施設の職員・外来者からの2次感染と考えられています。
当施設ではまだ感染者は出ていませんが、取り組みとして次のように対応してください。

1.職員は自らの健康管理に最大限の注意を行なう。家庭での食事にも注意する。その上で、業務につく際、最中、退勤時など、手洗いとうがいを励行する。

2.施設内の手すりや、ドアノブなどは次亜塩素酸ナトリウムで消毒を徹底する。

3.外来者は面会前、正面玄関を入ったら即、食堂(ホール)の洗面所に誘導して手洗い(流水20秒以上を徹底)を必ず行なうようお願いしてください。特に、年末・年始の日直職員は事務所から外来者に必ず声をかけて手を洗うようにお願いしてください。手洗いの場所がわからない人も多いので、誘導をお願いします。その他の職員も外来者への手洗いをうながしてください。
洗面所のハンドソープやペーパータオルを切らさないように注意して下さい。

4.利用者にも手洗いを励行してもらいましょう。特に排泄後は要介護者の手も十分に洗浄してください。

5.嘔吐者や下痢がある方は基本的にノロウイルスを疑って対応しましょう。嘔吐物や便に直接触れず、即、密閉状態にするように注意し、その後、次亜塩素酸ナトリウムで完全に消毒しましょう。衣類などは塩素系消毒液を用いて消毒しましょう。

6.症状のでた方(嘔吐、下痢等)は、速やかに看護師に報告し対応検査します。この際は感染している可能性があることを前提に他の利用者と導線を分けてウイルスが広がらないようにします。原則、食堂等への移動禁止で食事も部屋で介助します。できるだけ個室対応しましょう。多床室の方は、現場判断で空き部屋の個室に移動して構いません。これらのことは利用者に懇切丁寧に説明して十分理解していただき協力をお願いし実行します。

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ぷわり、ぷわりPUWARI・PUWARI

「2年北海道に住んでみて、雪のすごさはよくわかった。でも降っている雪は美しいし、雪の夜もきれいだ。雪があるからその後の春の緑はいっそう新鮮だし、秋の寂しさも格別というわけだろう。」
「お前はまだ本当に北国に住むやり切れなさをわかってはいない。お前はまだ雪については傍観者なのだ。言ってみりゃ観光客と同じ旅人さ。」
「俺も富山だから雪のやり切れなさはわかるよ。」
「でも札幌と富山の雪は違うように、この土地への感じ方も違うはずだ。お前は富山の雪に対しては生活者だろうが、札幌の雪に対しては、いつか去っていける旅人さ。」
「でもやがて俺もここに根付くかもしれない。」
「それでもやっぱり俺とは違う。お前の子供が生まれて20年ここで育ったら、その子の感覚がはじめて俺と同じになるだけだ。」

上のセリフは、渡辺淳一がその自伝的小説「白夜」の中で、主人公の伸夫と友人に語らせているセリフである。

僕の記憶におぼろげにある幼児期・少年期の冬でさえ、今より厳しい寒さであった。
マイナス20度はざらで、マイナス25度になると全山放送で学校が1時間遅く始まった。家も今より機密性がないし、暖房も石油ストーブなどなく、タイマーがかけられない石炭ストーブの時代だったから朝は辛かった。冷蔵庫は親父のビールを凍らせない為にあった頃で、冷凍したい物は、台所にただ置いておけばよかった。1階が雪に埋まってしまうことも珍しくなかった。

しかし渡辺の青年期、この小説の舞台になっている時期は、僕がまだ生まれていない頃である。さらに厳しい冬だったのだと容易に想像がつく。

しかし、渡辺が、主人公に語らせている冬の厳しさに対する言葉は「やりきれなさ」という言葉で表現しているが、その裏に、北海道の冬は特別なんだぞ、というなにかしら自慢めいた意味が含まれているように思う。

そんな厳しい冬に俺たちは耐えて、北海道で様々な文化を作ってきたんだ、という自負の意味合いである。

そんなことをふと考えながら何気なく過ぎてゆく毎日の中でお年寄りと接している。

そしてその中にいろいろな表情の人がいる。この厳しい土地で物を作り育て、この地域や土地にしがみついて自然と共生する段階で戦ってきた、そしてここを離れなかった、そうした自負を、その皴に刻み込んだ、多くの高齢者の方々と向かい合って暮らしている。

毎日、昔の寒さや冬の厳しさを僕に話してきかけて飽きることのないお年寄りがいる。対照的に、何も苦労を語ろうとせず、柔和な瞳の中に「青春」をすべて包み込んで表に出すことのない高齢者もいる。人生は様々だ。

僕らの尊敬すべき先輩で「御大」と読んでいるT氏(本人は巨鯉の生まれ変わりであると言っている)に、かつて僕は「雪が降るときは、どんな音がするかわかる?」と聞かれたことがある。

雪の音?「さらさら」「しんしん」「ふわふわ」 こんなところかと思った。

しかしT氏の言うには「雪は、ぷわり、ぷわり、と降るんだ。」

聞けば、彼がかつて新卒で就職した道東の養護老人ホームに暮らすお年寄りから教えられた言葉だと言う。

なんとすばらしい表現だろうと、心に常に留めている言葉なんだろう。僕もそう思う。

この厳しい冬の大地に降る雪を、その人はいつも「ぷわり、ぷわり」と優しく降り積もる雪として眺めながら人生を過ごしてきたんだろう。

降り積もる雪を寒々しい心で眺めないで、ぷわりぷわりとした心で眺めながら、この年を越して行きたいものだ。

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それぞれの年の瀬。〜縁を結ぶ支援

介護保険制度改正論議の中で、施設サービスは「本人が望んで入所する例は少ない」として槍玉に挙がることがある。

それはその通りであり、誰も住みなれた家や地域を離れて「施設」で暮らしたいと思っている人はいないであろう。しかし、その議論の延長線上に「よって高齢者の生活場所は居宅が良くて、施設は駄目だ」「介護保険の理念は居宅サービスだ」ということになると少し違うと思ってしまう。

確かに住み慣れた家で最後まで生活できることは素晴らしいことだ。それは否定しない。しかし今、我々や高齢者が迎えている「時代」はかつてなかった超高齢社会で、様々な人々が暮らす社会である。後期高齢者の数も大幅に増えている。全ての人が健康で自立して生活できるならともかく、健康上の理由や様々な事情で人の手を借りる必要や機会が年毎に増えてくる。

また医療の発達は、一つには、延命効果をもたらしたが、同時に医療器具が日常生活に不可欠な人々も増やしている。これらの方々がかつての価値観だけで、居宅だけがその人らしい生活が実現できる場所という認識ではいられないのではないだろうか。施設とか居宅とか言う以前に、多様化する施設を生活場所の一つと考えて、多様なニーズに最適に応える生活場所を高齢者が選択できる時代と捉えたほうが良いのではないだろうか。

もちろん、その前提は、介護保険施設をはじめとする様々なサービス提供主体が、利用者のニーズに合致した高品質な支援を提供できるということである。

だからこの時代に問われなければならないのは「本人が望んで施設に入所しているのか」ということのほかに「施設入所後にそこでの生活継続を望んでいるのか、やはり家が良いのか」ということである。

あんなに施設入所を拒んだのに、入ってみたら大満足、というケースは多いはずだ。そこが施設サービスの評価には重要なのではないか。

在宅継続をしたいという高齢者の意思は良く理解できても、実際に必要な支援ができず、劣悪な環境で生活している高齢者も多い。それらの方が施設入所するだけで、劇的な環境改善となり、満足感や幸福感も得られる例をも数多く見てきている。

社会の価値観も多様化しないと、高齢期に本当に適切な「住まう場所」を探せないのではないだろうか。

少なくとも僕は、僕の施設で暮らす方が、ここで適切な支援を受けて満足できる生活が実現できることを望んで、そのために頭を使い体を動かし、人を育てている。完全形ではないが、すこしでも利用者の満足度が日々向上していただくケアを目指している。

年末になると、正月帰省という形で、家族の住む家に戻る方々がいる。今年も100人の利用者の中で9人の方が家に帰られる予定である。

その中には毎年、この時期だけ自宅に戻り家族と正月を迎えるのを楽しみにしている方もおられるが、自宅に戻らない人が、すべて「戻れない」人ではない。

毎年思うことであるが、入所の年に正月に帰省する人は多いのだが、入所から2年目、3年目になると、それらの人々が「今年は帰らない」と言うようになる傾向がある。北海道特有の理由ではあるが、家より施設のほうが暖かいから、という方が多いのだが、それだけ施設での生活に満足感を得られている、施設の正月も悪くない、という評価ではないかと思いたい。

そういう人たちが本当に心から満足でき、年末やお正月の生活を楽しむことのできるライフスタイルを緑風園という器の中で実現したい。園は縁をあらわしたもので、この縁が続く限り、利用者はすべて家族であるのだから。

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ノロウイルス対策への疑問〜今年だけではないという視点。

昨日のイブにクリスマスパーティーを行なった家庭も多いだろうが、僕の施設では今日、パーティーや演芸会などのクリスマスの催しが行なわれる。昼にはオードブルを囲んでの食事が行なわれた。

日本人にとってクリスマスはもう宗教上のイベントではなく、暦の上で季節を感じる風物・慣習としての意味のほうが強い。難しい意味より、年末は餅つきを行なって正月に備えるとともに、クリスマスにご馳走を食べ、大掃除をして、大晦日にむけて年の瀬の雰囲気を味わって、来るべき新年を迎える気持ちを盛り上げる、という一連の慣習として考えたほうが良いと思う。

そうした一連の催しには毎年食べてきた馴染みの料理が主役になる。北海道のこの地方でも、年代によって様々だろうが、やはりクリスマスには鶏肉料理やケーキは共通して欠かせない料理だし、年末の年越しそばや、正月のおせち料理や雑煮といった料理もその時期に食べることが、何とはなしに安心感や季節感を肌で感じることができるという意味でも大事なことである。

年末や正月には、お寿司やお刺身も欠かせない料理の一つと思う。年末や正月3が日に寿司や刺身をまったく口にしない日本人は何割くらいだろうか?

ところが今年の年末から来年の正月にかけて、高齢者の施設では食卓に寿司や刺身がまったくのらない所が多くなるのではないかと危惧している。ノロウイルスに対しての対策上の問題である。

実は昨週、この地域の保健所主催のノロウイルス対応緊急研修会が行われ、僕の施設でも栄養士と主任ケアワーカーを派遣した。研修内容は復命を受けたが、予防対策についての確認と言う意味で、今、対策している内容が間違っていないことは確認できた。

しかしその中で、僕の施設の栄養士がある施設の管理栄養士と話をした際に、施設の食事提供について、ノロウイルス対策として寿司や刺身など生ものを食卓に出さないよう、過熱処理した食材を提供するように忠告されたと言う報告を受け、年末年始の献立について栄養士に相談された。

食事から中毒発生やウイルス感染を出さないように衛生管理を充分に行い、食材によって加熱処理を十分に行なうことは必要だし、理解できる。しかし、この時期に、おせち料理をはじめ、寿司や刺身まで食卓から排除することが本当に必要な対策なのだろうか。

業者にも充分注意をお願いし、食材に注意して、厨房の衛生環境を整え、必要な手洗いやうがいと言った日頃の対策をとっておれば充分に食材からの感染を防げるのではないか。もちろん「100%防げますか?」と問われれば、それは「できない」と言わざるを得ないが、それは食事に限らず、全ての生活に感染リスクはあるわけで、完全などあり得ないことは他の面でも同じだろう。

特にこの冬のノロウイルスの流行は食材からの感染ではなく、人や物を介しての2次感染が主である。しかももっと考えなければならない視点は、この流行のピークは毎年1月〜2月にかけてであり、それも毎冬流行する傾向にある。

つまり、食事サービスに過剰対応する対策は、この冬に限らない、毎年の対策となるという意味である。そうなると今後、ノロウイルス対策として、施設では年末や正月には一切、生ものは出せないと言うことになる。こうした高齢者施設に入った入居者は、冬に寿司や刺身をはじめとした生ものを一切口にできないし、年末や正月にかけて加熱していない食材も口にできないということになる。

しかしそうした対応を推進する栄養士は、自らの家庭で年末・年始におせち料理や寿司や刺身を一切、口にしないのだろうか。このウイルス感染は食材から直接感染する場合もあるが、厨房感染者からの2次感染も多いわけであり、利用者だけ対策をとっても、調理に携わる職員が未対策では意味があまりないと思う。

自分たちは「大丈夫だろう」ということで好きな食材を、制限なく口にして、施設で生活する高齢者から食の楽しみを奪うことを「当然」と考える栄養士など必要なのだろうか。そのまえに、どうすればお寿司や、刺身や、おせち料理を安心して食べられるか、という視点こそが栄養士に求められる視点ではないのか?

表の掲示板でこのことについて僕は「ノロウイルスは今年だけの問題ではないですよ。そういう施設では、今後一生刺身や寿司や生野菜は冬に出せないと言うことです。日本人の慣習である伝統的な「おせち料理」も出さないと言うことでしょう。そうであればそれらの管理に当たる施設の管理職員や栄養士は、この職業についている間は、絶対に刺身や寿司やおせち料理を食べてはいけません。利用者にだけ我慢させ、自分たちが我慢できないことを強いるのは虐待と紙一重です。」という強い言葉を書いてしまったが、できる限り、正月の雰囲気を味わえるように刺身も出しましょう、という僕の姿勢は甘いのだろうか?

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指導監査は1月に。

実地指導監査が行なわれている際に「今、指導担当者が施設を回っています」「今〜の書類を調査中です」「さっき〜を指摘されました」とかインターネットで「実況中継」と題してリアルタイムで情報を流しているのは、BOBさんとこと、うちの施設くらいだろう。

ところで指導監査という言葉を使うと、監査は実地指導の結果、問題がある施設に入るもので言い方が間違っている、と指摘する輩がいるが、とんでもない間違いだ。介護保険事業なら実地指導が正しいだろうが、当施設のように介護保険事業の他、社会福祉法上の法人監査や、老人福祉法の監査も同時に行われる場合は、介護保険制度上の表現とは違うのだ。そもそも名称は都道府県で違うし、変わる場合もある。北海道では今は検査と言うらしい。

つまり正式な名称などどうでもよいということを言いたい。定期的に行なわれる指導監査が1月に行なわれるということについて今日は書いてみるという意味だ。

特養の指導監査は上記のように介護保険法と老人福祉法の両面から行なわれる。また社会福祉法人運営の監査も同時に行なわれるのが常である。加えて、昨年までなら、併設事業所の短期入所と通所介護と居宅介護支援事業の3つの居宅サービスも同時に行なわれることが常であった。

しかし今年度はそうではない。その理由は、この4月から当市保険者が居宅サービスに限って道から権限委譲を受けているので、当市に限って言えば地域密着型サービスでなくとも居宅サービスはすべて市が実地指導を行うことになっているのだ。施設サービスは道の管轄に変わりないため、両者は別々に行なわれることになる。

さてその実地指導監査、どうも監査に入る、というアナウンスがあると必要以上に「構える」施設や事業所が多い。なぜだろうか?僕はそれはおかしな現象だと思っている。

指導担当者は鬼でもなければ、あら捜しにやってくるわけではない。その目的は指定基準水準を適切に確保するのが目的で、基準省令や解釈通知に沿った適切な運営がなされているかをチェックするものである。

その過程で、当然のことながら法令順守していない場合や、不正請求を行なっておれば厳しい指導がなされるが、通常の運営をしている施設や事業所が、ことさら実地指導監査を恐れる必要はないはずである。むしろ日頃気付かずに間違って運営していた方向性を修正してもらったり、疑問に感じている点を、直接議論したりできる貴重な機会である。

考え方をめぐって激論になることもあるが、直接向かい合って議論することで分かり合えることも多いのである。過去においては施設側の主張が通る場面もしばしばあり、重要な機会だ。

書類の一部が未整備であった場合、それだけで指定取り消しになるわけでもなく、どこのどの部分が整備不良だったのかを確認して、修正すればよい。結果、サービスの質に繋がれば申し分ない(そうではない無意味に近い書類が大量に求められる場合も少なくないが)

介護保険以前から長年指導を受けているが、報酬返還とか罰則に繋がる重大な運営上の瑕疵は指摘されたことがないし、文書指導はほとんどなく過去に唯一の文書指導は、措置費時代に繰越金を残しすぎた年があり、民改費をカットされたことだけである。しかし何も指摘事項がないという年もないから、やはり定期チェックは必要な機能だ。

口頭指導された例では、最近では介護保険制度施行後、平成14年の実地指導が制度改正に関るルールの理解上の問題等で一番多く指摘されたが、内容は軽微なものである。(それでも4点か)例えば施設内研修未実施が挙げられる。OJTは行なわれていたし、外部研修への派遣は行なわれていたものの、制度改正後のあわただしさの中で、施設内で行なう定期職員研修がおざなりになって、行なっていなかった、という事実はあった。大いに反省して、現在では非常に充実した内容で行なっていると自負している。

近直の実地指導は平成16年9月30日であるが、この際の口頭指導では

1.役員名簿を一覧表にして作成すること
2.会計書類の月次試算表に予算執行状況が記入漏れ
3.旅費の概算支給に対して清算行為が行われておらず経理規程に基づく清算確認を行うこと
4.給食材料の納品時に発注者と納品検収を行なう者が同一人物であることの改善

以前4点であった。このことは改善されているが、今年度は何を指摘されるか、新ルールに関する誤解はないか等は気にかかりはするが、さほど心配はない。

それにしてもサイトトップページに今回の指導監査で使われる新指導調書を掲載しているが、新制度基準になっていないのはどういうことだい。制度改正が急で間に合わないという意味だろうが、運営側はきちんとそれにあわせてサービスを行っているんだ。指導調書くらい新制度に対応したものを作って実地指導にあたって欲しいものだ。

実況中継はどうするかって?それは当日の気分しだいでしょう。

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介護報酬はどうなるか。

来年の話をすると鬼が笑うと言うが、我々の業界の最近の動向は一瞬先が闇であり、来年どころか報酬改定や制度改正の時期に新たな基準やルールが示され、それを咀嚼し終えた瞬間から、次期改正を視野に入れて戦略を考えることが求められている。

今回の報酬改訂についてその影響はマイナス4%と言われているが、施設サービスを例に挙げれば実際には10月改正での食費、居住費の自己負担化は、施設収入にも影響しており、それだけでもマイナス4.7%が先行して実施されているのだから深刻である。これを重度化対応加算などの新加算ルールで補うことができるとしていた業界団体の考え方は大甘で、実際には加算ルールにマッチしない為、加算算定できない施設が数多くある。

しかもそれが「施設の努力が足りない」ことに起因した問題なら致し方ないが、重度化対応加算などに必要とされる正看護師の確保が困難だ。特に、医療制度改革で医療機関が診療報酬の厚くなる患者対看護師の配置7:1を促進している現状で看護師を大量雇用している。道内主要都市の某大学病院では来春の新卒看護師のみの雇用状況でも例年より5倍の人数を確保している。

そういう状況で地域によっては看護師募集しても応募がなく採用がままならない特養も多い。経過措置が切れる来年4月からは、重度化対応加算を算定できない施設もでてくるから、報酬減は今だけの問題ではない。

加算を算定するには有資格者が必要だが、有資格者を確保する為に、この業界もマネーゲームに参加せざるを得ない状況だとして、この介護報酬で、どこまで耐えられるのか、という問題が出てくる。

小室豊允氏などは、介護施設の人件費率について「1流ホテルの倒産ラインは40%なのに、介護保険施設は人件費が高コスト体質だ」と批判するが、そもそも人員配置基準が決められ、有資格者の配置も必要で、要介護度の高い高齢者に生活支援を24時間行う業務と、アメニティの高い滞在空間を提供することが主目的で、接遇を整えれば高品質なサービスに結びつく業種との比較検討はミスマッチであると思う。

人件費率を人事考課の導入と絡めて考えていくことは重要であるが、介護サービスの適正値は違う部分で算出すべきだろう。

介護保険導入時点の報酬は老施協会長でさえ「介護バブル」と評したことがあるが、それから6年、報酬は下がり続けているのであり、その幅も大きい。しかも報酬を下げる根拠である施設の収益率の数字を見ても、規準となる会計自体がバラバラのもので、統一されていない。この数字にどれだけ信頼性があるのか?特養ひとつとっても会計基準と指導指針で分かれている。会計基準を指導指針に変えるだけで大幅な収益減という結果になるのは、実態を現していない証拠ではないか。

特に今後の少子高齢社会の労働力不足は深刻であり、労働力をどう確保するか、と言う部分での適報酬議論が求められる。これについて厚生労働省内部でも社会・援護局は「次期改正では介護報酬引上げの方向で」と声を挙げているが、老健局は「改正の主軸は報酬減で推移するものと考えている」と正反対の意見を述べている。

現社会・援護局局長は事務次官に近しい豪腕を謳われた人物であるが、つい最近まで老施協とは対立軸であった局長の部署が応援側についているのだろうか。シチィウエーションとしては面白い、裏を見たい、という状況か?

どちらにしても力が圧倒的にある財務省の意向は言わずと知れて老健局と同じだろうから前途は明るくない。

人件費の高コスト化を防ぐ人事考課といっても、その実態を見ると、年収350万程度の正規職員が10年後もほとんど年収が変わらないモデルを基本にしている。これで有能な人材が貼りつくのだろうか?しかもこのモデルを支える非正規職員の確保となると、北海道でいえば郡部でなくとも地方都市でさえ難しくなりつつある状況があり、募集に人が集まらない。

報酬が低いから人件費を圧縮した対応で基準配置せよ、といっても採用に応じることが困難な人件費率では意味がない。それゆえに、人事考課についてそれが必要ないとはいわないが、救世主であるという考えには僕は全面的には納得できないのである。

今日のこの業界をめぐる状況や「有識者」と言われる人々の主張を聞くと、その主たるイデオロギーは「市場原理主義」であり「民間サービス優位主義」であるが、その行き着くところは日本の社会福祉の荒涼たる「焼け野原」であるように思えてならない。

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今年度のケアマネ会と医師会の定期懇談会

僕が代表を務めている当市の介護支援専門員の地域会(のぼりべつケアマネ連絡会)と室蘭市の地域会は合同で年1回医師会との定期懇談会を行っている。そのことはこのブログでも何度か紹介している。

具体的な連携の構築模索、という取組が主であるが「パイプがある」ということが重要である。

定期懇談会の場で都度のテーマを話し合うが、それが即、現場のケアマネの動きに役立たなくても、医師の認識の中に、地域における重要は社会資源としてケアマネの存在が意識されることが大事である。

今年度は来年2月頃に懇談会を実施すべく準備を進めているが、先日、医師会から話し合うテーマの提案を頂いた。それは以下の通りである。

1.介護保険改定後の状況
2.地域包括支援センターの現状
3.居宅介護と在宅医療の現状と課題
4.施設介護の今後の見通し(療養型病床削減への対応)
5.ターミナルケアの対応(病診連携、医療―介護連携)
6.障害者自立支援法とのかかわり

内容を見てわかるとおり、医師会側はこの制度改正で地域の介護の現場状況がどのようになっているのか具体的な情報を求めているということであると思う。

このことについて当市のケアマネ会幹事会で今週末協議して、来週早々に室蘭市のケアマネ会と最終打ち合わせをして医師会担当者と最終協議し懇談会に至る流れである。

懇談会自体は90分ほどの時間であるから上記のテーマをすべて話し合うことはできないし、ケアマネ側からも、例えば居宅療養管理指導を行っている医師や担当者会議における医師とのかかわり・連携方法等を中心に討論したいという希望もあって、テーマは絞られていくと思う。

特に6については専門外と感じているケアマネも多い為、今回のテーマからは外される可能性が高い。

しかし、それ以外のテーマについては、医師会側から是非情報が欲しいといわれたときに応えられるケアマネ会であり、ケアマネ個人でないと、現場の貴重な社会資源として医師から認識を得ることは難しいと思う。

特に居宅介護支援事業所に所属する介護支援専門員の中には、施設サービスは門外漢でルールやシステムに疎いことを理由に「難しいテーマだ」と考えてしまうこともあるようだが、それは違うと言いたい。

居宅サービスと施設サービスは別物ではなく、地域福祉の両輪である。その基本システムを知ることなしに適切な居宅支援など困難になる時代がすぐそこに来ている。特に地域密着サービスとの関連や、その中の小規模多機能居宅介護などは、居宅サービス利用者の状況に応じて随時、支援システムの中に組み込んでいく状況が考えられるし、療養型医療施設の見直し論の影響は、いざというとき施設サービスに適時移行する必要性の高い重介護者が地域に増えるという意味であり、地域支援を施設・居宅として分けて考えている時代ではなくなる。

地域包括支援センター ならば、特にそうだろう。その役割は予防プランセンターではなく、地域の介護問題の最終的なセーフティネットという役割が重要なのだから、地域の施設サービスや、そこで行われるケアサービスの実態を知っていないと、本来の適切な役割など担えない。

そういう意味でも、懇談会に参加する介護支援専門員は、トータルにこの制度の中身を勉強してきて欲しいと思う。施設サービスにしても、居宅サービスにしても、疑問点は僕が助け舟を出すから、忌憚のいない意見を述べてもらいたい。

介護保険制度に関しては、あのケアマネに聞けば「間違いない」と思われることも介護支援専門員の認知度が上がって医師との横のつながりをはじめとした地域連携が容易になる要素である。

こういう機会がある地域でケアマネ業務に携わっていることは非常に幸運と僕自身は感謝している。

介護・福祉情報掲示板(表板)

認定審査委員平準化研修のお寒い内容

参加しなければならない研修であったが、まったく無駄な時間を費やしてしまった。

昨夜・当地域で行われた「介護認定審査会委員現任研修及び介護認定平準化研修」のことである。

2時間目一杯使った時間のうち、前半約50分が「介護保険制度の現状と課題」と題する、道の行政資料の数値説明である。被保険者数や認定状況、サービス利用状況の推移など、それぞれ専門職で業界に関わっている審査会メンバーなら、どこかで見ている。参加者の顔ぶれを見てもそれは一目瞭然で、そもそもこんな数値に1時間近くも費やし説明や解説など不要だ。

しかもである。説明自体に疑問がある。

「制度改正後の認定者数の状況(平成18年9月末)」の資料説明において、この管内で 要支援2の構成割合が全体の認定者数の9.07%であるのに対し、要介護1のそれが29.68%であることを取り上げて「認定審査会では要介護1相当を要支援2と認定する以上に要介護1に認定する傾向が強い」「審査委員さんが重度に認定しようとしたい気持ちはわかるが」「国は要介護1相当の7割が予防給付に移行すると言っていたが実際には逆転現象が起こっている」という解説がされていた。

ええ?これっておかしくないか?当施設の併設事業所である通所介護を利用する要介護1の方々の新判定での認定状況から考えても、要介護1相当の半数以上、6割強の方々は要支援2と認定されている。

そこでよく資料を見ると(というよりよく見なくてもわかるのだが)この資料はあくまで現在の認定者数に占める、それぞれの認定階層ごとの構成割合であり、要支援2の構成割合が9.07%というのは、まさに新判定基準後に認定された要支援2の割合であるが、要介護1の29.68%という数字は、要介護1相当から要介護1と認定された被保険者のみならず、新判定を受けていない旧判定による「要介護1」が数多く含まれているという意味だ。

特にこの管内では新予防サービスをまだ行っていない町村があるのだから、旧判定の要介護1の占める割合は高いだろう。

そうであれば、この数値を見て要介護1相当の審査結果が予防給付対象の要支援2より介護給付対象の要介護1のほうが多いという論理は成り立たない。

唯一いえることは、平成18年9月末の認定者数の状況は旧判定による認定者が過半数を占めているため、少なくともこの資料においては、新判定基準後の状況変化はなにひとつ「わからない」という意味である。

審査委員の現任・平準化研修で、こんな解説をすることに何か意味があるのか、それとも「もっと予防給付の認定者を増やさねばならない」という誘導の意味が含まれているのかと「うがった」見方さえしてしまう。

むしろこのような間違った認識を広めるようなリスクがあるんなら何も説明しないほうがましではないかと思い(質問の時間がなかったので)配られた質問票に氏名や所属を明記した上で疑問を書いて提出してきた。こんな簡単な質問だから、朝に何か連絡があっても良いようなものだが、道からの連絡は今のところまったくない。情報は生き物だ。言い放し、でよいのだろうか。

その後、10分程度でテキストの説明なのだが、もうこれは皆熟知しているだろう。それをわずかな時間で走り読みするのに意味は見出せない。

後半は事例による実際の審査の演習であるが、前半部分の意味のない説明が長くなったこともあって、40分弱で、いきなり渡されたテキストの4つの事例をすべていつもの審査会と同じ手順で審査する。特記事項や意見書を読み込んで1次判定結果の矛盾がないかなど精査している時間などないではないか。これも意味がない。

つまりこの研修の平準化の意味は、審査会の委員の知識や情報を統一して審査の手順や方法の統一化を図り、全国どこでも同一基準で認定が行えるようにするという意味だろうが、その結果については、利用者の状態増にマッチした適切な要介護度を導き出すのではなく、国が決めたルールで、国が想定する範囲の認定結果が出るように審査委員を教育する、という意味しかない。

というより、決められた研修を行わなければならないという意味だけで、誰に対しどのような内容での研修にするかという検討作業が不十分で、前例からしか内容を決めていないんだろう。忙しい時期に迷惑な話である。

ある審査会の長を務めている医師の方も帰りがけに「今日は意味のいない研修でしたね。疑問を解くような内容が少しもなかった」と言っておられたが、多くの参加者の素直な感想だろう。

現在、1次判定で要支援2か要介護1かの判断ができるようになることも含めて新しい判定ソフトを開発するためにタイムスタディが実施されることになっているが、その意図されるところも透けて見えるようである。

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カッコーの巣の上で〜専門家は神になってはいけない。

精神科医療の文献をみていて1975年(昭和50年)の欄に、日本精神保健学会の「精神外科を否定する決議」という文章に目がとまった。

これはなんだろうか?

調べてみると、ロボトミー手術の否定である。ということは逆に言えばわずか30年前まで我が国では、ロボトミー手術が行われていたということなのだろうか。さらに調べを進めると実際には人権意識の高まりもあって1960年代後半から、手術はほとんど行われなくなくなったようであるが、一部の医療機関ではこの決議までロボトミー手術が行われていたようである。

ジャック・ニコルソン主演で、人間の尊厳破壊と拘束と搾取による人権侵害の問題を告発し1975年のアカデミー賞を総なめにした「カッコーの巣の上で」という映画は、クライマックスで主人公が意思に反してロボトミー手術を施やされ人格崩壊というかたちで物語が終焉しているが、フィクションではない現実の世界でも同じようなことがつい最近まで行われていたということだ。

恐ろしいことだとあらためて感じた。

ロボトミー手術とは、前部前頭葉切截術のことで、第2次大戦後に精神分裂病(現在の病名は総合失調症)の患者に対して盛んに行われ、手術の開発者ポルトガルのエガス・モニスにはノーベル医学賞さえ贈られている。

しかしその手術法はこめかみに小さな穴をあけ、そこから細い刃を挿入し前頭葉の白質を切断するという方法がとられる。当然ながら脳のどの部分を切断しているかをモニターする手段はなく、ほとんどが手探りで実施されたといわれている。
前頭葉は記憶や人間としての精神活動の多くを司っているとされており、この部分を適当に切除するという術式が人間の精神活動に与える影響が大きく、最も有名な術後症状は、意欲が乏しくなり外界のできごとに対して無関心・無頓着になるというものだ。

昔の映画などで見かける頭に包帯を巻き精神病院の片隅で呆然とたたずんでいる患者は、このロボトミー手術を受けた姿を象徴していると言われている。

つまりこの手術法は著しい人権侵害という以前に、人格崩壊の結果をもたらす可能性が高いものであったのだ。
精神分裂症(現在の総合失調症)という病気を、脳を故意に傷つけるという行為で人格変化させ、分裂症による暴力等の症状が「出来なくなる」ことを治療としていたのである。  

これは恐ろしいことだ。それもわずか30年前まで行われていた術式である。専門家と呼ばれる人々が治療という名のもとに、精神障害を患う人々の人格を根こそぎ奪い取っていたという事実は、治療とは、人が人に対して行うことができる行為とは何か、を我々にあらためて問い直させるに充分足る教訓だろう。

今、我々が介護で向かい合う認知症の高齢者の方々も、脳の器質障害が原因で、記憶障害や見当識障害が現れているとされている。しかしいわゆる異常行動の多くは、周辺症状と呼ばれ、環境に左右されて出現する症状で、周囲の対応で行動変化があり得る「ケアが届く」症状であると考えられるようになってきつつある。

しかし、そう考えられるようになったのも、つい最近のことで、それまでは同じ症状を「問題行動」と呼んでいた。

つまりその行為は、我々介護者の問題ではなく、認知症高齢者の問題であるとしてきたわけである。この考えを煮詰めると彼らの行動を脳の部分障害として外科的方法で行動制限してしまう可能性さえあったのでないかと空恐ろしくさえなる。

しかし幸いなことに我々はそうではないことに気づきつつある。問題行動という認識では彼らの行動はいつまでも理解されず、ケアの手を届けられるような環境さえも生まない反省が、その行動を我々のケアの方法や、関わり方の結果として考える視点として捉える方法論がユニットケアの現場などから生まれてきた。

こうした介護現場の方法論が医療の現場にも広がりつつある現実は、我々「福祉系サービス」と呼ばれるある意味「資格者の少ない素人集団」の大きな可能性の表れで、そのキーワードは「人として当たり前の生活」である。

認知症の方々の幸福な暮らしには、治療より援助が求められているのだ。

大きな過ちを犯す前に、少し大事なことに気づいてきた時期といえるだろうか。ここから本当の「心のケア」の専門家が次々と生まれることを願ってやまない。

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職場内研修のあり方2〜その内容。

運営基準(老企43号)には施設内の研修で必ず行わなければならない義務研修が挙げられている。「褥瘡対策に関する施設内職員継続教育」「感染症及び食中毒の予防及び蔓延の防止の為の研修(年2回以上)」 「事故発生の防止のための従業者の研修(年2回以上)」 であるが、その3点と「身体拘束廃止の研修」(介護サービス情報の公表で必要とされている項目)は指針の内容の理解と、具体策の実施の視点をテーマに各専門委員会で研修をおこなっている。

これらは指針やマニュアルが整備されており内容としては比較的「伝達しやすい」 といえ、委員会という業務時間内の場でも全員に周知しやすい内容といえる。

園内研修は、それらのほかにサービスの質を向上させる具体的取り組みの視点や、介護の基本知識を獲得する為に行うもので、接遇や倫理観を研修内容に含んで年間計画を立てた。

特に今年度は制度改正の年であり、職員全体がこの制度改正の意味や改正点を理解しておく必要があり、3月〜4月にかけては、このことを重点的に行った。もちろんそれは時間外でできるだけ多くの職員が、その内容を直接聞いて理解できるようにした。

重度化対応加算や看取り介護加算という新たな加算ルールや、それに必要な「看取り介護指針」や医療連携体制の確認などは非常に大事なので、業務外に90分ほど時間を設けて行っている。

業務内の園内研修は、それぞれが業務の空いた時間に共通のテーマを学習できるようにビデオ研修を行っていることは昨日も書いたとおりである。

ちなみに今年の園内研修の内容を以下に列記してみる。

1月・講義「介護保険制度改正の内容」(業務外90分)講師(僕)
2月・同上
3月・講義「看取り介護指針について」(業務外90分)講師(僕;指針説明・看護師;看取り介護の具体的内容とポイント説明)
4月・看取り介護計画の作成から同意、医療連携体制(業務内伝達研修)講師(僕・看護師)
5月・ビデオ研修「誤嚥性肺炎を防ぐ嚥下障害リハビリ」(業務内)
   介護事故防止マニュアルの視点(業務内・リスクマネジメント委員会内で実施)
6月・褥創予防指針の説明と褥創の防ぎ方のビデオ研修(褥創対策委員会で実施)
7月・救急救命講習「AEDの使い方を中心に」(業務内に複数日実施、全員受講)講師(看護師)
8月・ビデオ研修「おしゃれをしよう(利用者の整容や身だしなみについて)」(業務内)
9月・看取り介護の視点(業務外90分)講師(僕:4月以降の看取り介護の実施状況から考える課題)
10月・資料読み合わせ「認知症と混同しやすい症状の理解」(業務内)講師(僕)
11月・ビデオ研修「排泄ケアを見直してみよう」(業務内)
   感染症の知識について(業務内・感染対策委員会において実施)
12月・施設内におけるノロウイルス感染症対策の要点(業務内・感染対策委員会において実施)

実施済みの研修は以上である。

それぞれのテーマごとに外部から講師を呼ぶことも考えられるが、(いやらしい言い方になって恐縮だが)正直言って介護保険制度と看取り介護について、この地域あるいは全道単位で見ても僕以上の専門家がいるとは思えなかったし、その他のテーマも、今、得たい知識や視点ということから鑑みて、自分で講義をしたほうが良いだろう、と思うことが多く、今年に限っては看護師の協力を得ながら、ほとんど僕自身が講師となって行っている。それなら費用もかからず1石2鳥であるという意味もあるが・・・。

来週も、火曜と水曜の午後6時から「認知症高齢者のケアの視点」をテーマに研修を行うが、以前のブログの「認知症の研修のあり方を考える(上)」「認知症の研修のあり方を考える(中) 」「認知症の研修のあり方(最終章) 」で書いている通りどうも外部の専門研修でその内容を聞いていても役に立たないことが多いので、今回も僕が講師を務めることにしている。

職員は迷惑かもしれないが、今、現場で求められる認知症高齢者に対する対応を僕の言葉で表現して現場でその実践を行ってもらいたいと思っている。

誰か聴きに来たい人はいますか?入場は無料です(笑)

介護・福祉情報掲示板(表板)

職場内研修のあり方1〜その方法。

介護施設に限らず、職場における職員のスキルアップはあらゆる意味で重要であることは、今更言うまでもない。

しかも現在の介護サービスの現場では、目まぐるしく変わるルールに適応しながら、サービスの質をアップさせなければならないという両面から、OJT ・Off-JTを含めた職員研修を考えていかねばならない。外部研修に派遣した職員が、その情報や知識を、いかに職場内にフィールドバックしてくれるのか、そのシステムが充分構築されているかも重要だ。

そういう意味でも施設内での定期的研修のあり方が問われてくる。

我々の施設では措置費時代から、施設内研修は必要な義務として行っていなければ指導対象であり、介護保険制度後もそれは変わっていないのだが、そのことが逆に「義務だから行わなければならない」という意識が先走ってしまい「やっておればよい」という意識が生まれ、形骸化、マンネリ化して実効性の薄い内容となっている場合がある。

何を隠そう、当施設の昨年度までの実態がそうであった。

特に介護保険制度以後、業務に追われ施設内研修まで時間が取れない、内容まで精査できない、という意識があった。しかしスキルアップは重要な課題だし、形骸化していても、実際には、そのことにかかる業務上の時間というは馬鹿にならない。実効性がなく形式だけのものなら時間の無駄である。

そう思って1昨年あたりから、その改善に取り組んできて、今年度から僕が施設長に就任したこともあって、大幅な改革に着手した。

まず年間計画も、明確な目的とビジョンをもって、具体的な研修内容が明確になるように月間計画を定めた。その中で運営基準で定められている、感染予防とか褥創予防の定期研修は園内研修として独立させず、各員会の中で行う専門研修とした。

その他、各員会の守備範囲外、あるいは多種類の委員会に属する問題等や日々のケアサービスの向上のために必要な知識の獲得を目的とした内容について園内研修として月1回定時開催している。

しかし業務時間内で行う研修は、どうしても参加者も限られてくる。そうすると参加していない人には記録で伝えるしか方法はない。しかし記録から実際の内容を読み取るのは非常に難しく、それが知識に関するものになるとなおさらで、できれば口頭で伝えることが望ましい。

しかし口頭であっても知識を伝えるのは「業務連絡」と異なりかなり難しく、伝える側の理解力が問われてくる問題がある。

つまり情報は伝達しやすいが、知識を情報として連絡するのには欠落部分が多くなる、知識を正しく伝えるにはレクチャーを受けたものが、情報として第三者に伝えるのではなく、レクチャーを受けたものが獲得した知識として伝える必要があるということだ。

よって、できれば重要な研修は直接聞いて知識を得る、ということが必要である。そこから個人個人にアイディアが生まれる可能性も出てくるのだ。

そこで今年度から、方法として、できるだけ全員が施設内研修に参加して、直接知識や情報に触れられる機会を得られるように、勤務終了後の時間外に研修を行う機会も設けた。しかし毎月、時間外に研修を受けるのも大変なことで、主要なテーマのみ、3月に一度程度、の間隔で時間外研修を行い、しかもその際は同じテーマを複数回行うという方法も取り入れ実施している。その他の月は業務時間内で行っている。

ただ業務時間内に参加できる職員は少ないので、この内容は業務時間が空いたときに全員が同じ知識を得られるように「ビデオ研修」を中心に行っている。

今日は当施設の職場内研修の考え方と、その実施方法を書いたが、明日は具体的な内容について書いてみようと思う。なお一番近い研修は、来週火曜と水曜、午後6時から僕が講師となって同じ内容で行う予定であるが、そのことにも触れてみようと思う。

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ノロウイルス〜間違いだらけ?の感染予防対策

ノロウイルスが猛威を振るっているというニュースが流れている。

新聞報道では史上最悪の流行と言っているが、このウイルスはつい最近まで小型球形ウイルスといわれていた名のごとく、非常に小さい為、そのウイルス自体の発見が遅れていたもので、おそらく過去に、単なる風邪の下痢症状や腸炎と診断され、集団発生があったものも、このウイルスによる腸炎であるものが数多く含まれていたもので、近年、急激にこの流行が問題となっているのは、発生が近年増えたのではなく、原因がこのウイルスであるということがわかってきた、という方が正しい理解であろう。

ある特養では死亡者も出ているとのことで、いつ我々の地域や施設にも感染者がでるのか戦々恐々としながらでき得る対策をとっているというのが現況である。

しかし、でき得る対策とは言っても具体的には「調理場の衛生確保と十分な加熱調理」「手洗いとうがいの励行」「清掃をはじめとした環境衛生活動」くらいであろうか。

このウイルスの怖いところは100個以下の少ない量のウイルスでも感染してしまうことで、2枚貝などが汚染リスクが高いといわれるが、それを食べなければよいという問題でもなく、ウイルスに汚染された嘔吐物や糞便なら少量でもそれに触れて感染する可能性があるだけでなく、厄介なことに嘔吐物が微細粒子化して空気感染する恐れもあり、嘔吐物や糞便の処理をする場合、完全処理と共に空気中に飛まつしないように、迅速に(乾く前に)かつ、ていねいに処理しないとならない、という点への注意が必要となる。

はっきりいって、感染源はいつ何時、どこから持ち込まれるか予想もつかず、完全に感染を防止することは不可能に近い。施設としてできるだけ感染リスクを減らす対応に努めると共に、感染者が出た際は、日頃から知識を得ておいて、適切に対応して、出来る限り感染を広げない取組が必要とされる。

そういう意味で感染防止・対応マニュアルは「わかりやすい」形で整備されておらねばならない。わかりにくい、読んでも理解できないマニュアルはないのと同じくらい効果が薄い。ウイルスの特徴や、感染経路、予防対策がしっかり理解でき、実行できないと意味がないのである。

ただいくらマニュアルが整備されていても、現場の職員の意識が伴わないと絵に描いた餅である。

例えば、手洗いひとつにしても意識の差が出る。きちんと流水で時間をかけて洗い流している職員と、そうでない職員がいる。これではだめで、感染対策の知識として手洗いの方法をしっかり把握してもらわねばならないので、口を酸っぱくしての指導が必要だ。

特に知識のない人は、手洗いより手指の消毒が有効と間違って考えている人が多い。

ノロウイルスはアルコール消毒も有効ではないウイルスであり、基本的に不活性化するには次亜塩素酸ナトリウムによる消毒か85度以上で1分以上の加熱処理が必要である。つまり塩素酸ナトリウムという消毒に有効な薬剤は、普通手指の消毒には使えない強い「漂白剤」であり、 手指の消毒に有効な手段はなく、感染源が付着している汚れを「洗い流す」以外なく、感染予防には、流水20秒以上の手洗いがもっとも有効だといういみである。

きちんと対応してもらいたいが、20秒という時間は結構長くて、現場の忙しい職員にはこの時間が余計長く感じられるのだろうが、ひとたび感染が広がれば、もっと大変な対応が求められるし、何より利用者や職員も大変な「症状」に悩まされるのだから徹底して行ってもらいたい。

しかし感染予防対策としての手洗いや手指消毒の各施設での現状を見たとき、僕にはある疑問と、危険性を感じざるを得ない。

例えば、MRSA等、アルコール消毒が有効な感染症の場合、おむつ交換時、次の利用者に移動する際に、手を洗わないで消毒だけする職員がいる施設がある。これは危険だ。一時的にアルコールで不活性化する菌であっても、この方法を続けることにより耐性菌が生じてしまう。まず手についた感染源の付着した汚れを洗い流し、菌やウイルスが出来るだけ少ない状態にしたうえで、消毒液で完全に不活性化させるという意識が必要ではないだろうか。

おむつ交換時に必要な商品として、手を洗わないで消毒液を吹きかけるものが販売されている現状も疑問を感じている。感染予防は同時に耐性菌をできるだけ作らない意識と同一視点上に考えられなければならないと思う。

医療機関の病室の出入り口に、噴霧識の消毒液のボトルが設置され、家族等の面会者にも噴霧消毒を強制している対応にも大いに疑問がある。その前に手洗いの励行の呼びかけを行うべきではないか?

「超多剤耐性」の結核菌が、国内でも入院患者の0・5%から検出されたニュースが報道されているが、このことも医療関係者が考えるべき問題と第3者的な立場から見ていないで、感染予防と耐性菌を作らない清潔環境づくりを介護の現場でも学んでいくという意識を持って考えていく必要があると思う。

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ケアマネ会での問題提起は的外れであったか?

半年ほど前のケアマネ会で制度改正についての僕の問題提起が、その後、現実の地域の様々な介護現場で現実の問題となってはいないだろうか。それとも、あの時の僕の発言は、取り越し苦労の的外れなもので、問題は杞憂に終わったのだろうか。

以前、このブログに書いた内容と重複するが、補足修正を含めて、当時のケアマネ会の録音から僕の問題提起の発言を以下にまとめてみた。

(僕のケアマネ会での発言:制度改正への問題提起)
今、包括支援センター、各事業所から様々な問題提起がされ、情報提供がありました。
この新予防給付は本当に利用者の介護予防、暮らしの支援に繋がるものなのでしょうか。

残念ながらそうはならないでしょう。改革の本丸であった対象年齢の拡大に失敗した厚生労働省老健局は、これを次期改正時に実現を図る方針に変えた時点で、今回の改正は「新予防給付」という国民に耳当たりは良いけれど効果が薄いとわかっている新ルールを導入することで「改革したというアリバイづくり」に使っているのではないかと思わせる節があります。しかし、これを担わされる現場はたまったものではありません。混乱だけが助長されています。

まず訪問介護事業所の方から、問題提起がありました、定額報酬の問題、90分以上の生活援助の費用算定ができない問題についてでありますが、国はこれについて「時間の制限はしていない、あくまでアセスメントに基づくニーズがあれば、必要なサービスは行ってください。ただし費用算定できる報酬に限りはあります」と言っています。

非常にふざけた話です。ヘルパーにただ働きをせよ、アセスメントの時間は費用算定できなくても、時給がもらえなくとも働くのがあたりまえ、それが福祉サービスとでも言うんでしょうか。自ら30分の残業でも必ず超勤をつける高給取りの論理は、我々には理解できません。ヘルパー事業所にとっては死活問題になりかねません。大手の事業所だけが生き残れる寡占市場に介護サービスの現場を変えようというのでしょうか。これでは将来、田舎にはヘルプ事業所がなくなります。

ただもうひとつの別な問題は、このことで不適切な保険外サービス利用が増えないか、ということです。継続的、連続的なものは一体的サービスですので保険内と保険外の区分はできませんので、計画の段階で内容を精査し、どうしても保険内で支障があるものは個別に判断する必要がありますね。

また通院援助の問題があります。不定期な身体介助の通院援助を定額報酬の計画の中にどのように組み込んでいくのでしょうか。

要介護度が低くても通院支援が身体介助で必要な方は実際にはいるんですよね。しかも医療機関が待ち時間に適切に対応してくれないことから、医療機関内で待ち時間の見守りや排泄介助で長時間支援が必要な要支援者は数多くいます。それらの方に実際にヘルプサービスを定額報酬の中で提供してくれる事業所はあまりない、というのが現状です。通院難民が数多く出てきます。これは非常に大きな問題です。

通所サービスでも定額の中の利用日数の決定の問題。今、通所事業所からも切実な声が出されましたが、ここは事業所にインセンティブが与えられている部分ですが、是非、利用者さんとしっかりコミュニケーションをとって、適切なアセスメントから利用回数や内容を導き出してください。しかし筋力向上メニューの効果が永続的にあるなんていうのは幻想ですので、サービス利用の継続を評価する立場の方は、このことを含めて考えてくださいよ。きちんと事業所が示した体力測定の結果を読み取る能力も求められますよ。

栄養改善は基本的に介護給付も1事業所の算定ですから複数事業所を使っている方の担当ケアマネは、この部分での調整も必要ですよ。

なお国に照会しましたが、36号通知で示されている低栄養の条件のみでなく、適切なアセスメントで生活への障害程度がきちんと明らかにされていれば肥満への対応も加算評価してよいということですので申し添えておきます。

それと口腔機能向上は単に歯磨き指導ではありませんので、この点誤解のないように。

ところで4月後半から現在まで新予防給付の対象者となる新要支援者の認定状況は要介護1相当の何割くらいなんでしょう。

(市)予想より低くて審査判定中、要介護1相当の6割程度でしょうか。それから問題は医師の意見書が遅れて認定審査ができないケースがあることです。あきらかに予防対象となると予想される場合は、あらかじめそちらのサービスを暫定プランで使うことは可能ですが、判断できないケースは自費利用という恐れもあり、是非、主治医師にアプローチ可能な方はご協力お願いします。(以上)

大変大きな問題です。暫定プランは予想ができる場合は問題ないでしょうしQ&Aでも遡ってセルフプランで暫定利用した扱いとして保険算定可能とする救済的取り扱いが示されていますが、訪問サービスならそれも可能ですが、「必ず物理的に区分せよ」とされる通所サービスでは難しい場合がありますから、注意が必要ですね。

それと新予防の認定者数の問題ですが、予想より低い割合で現在は出ているということですね。しかし登別市の要支援・要介護認定総数が現在1874人、そのうち要支援者と要介護1の方で1071人を占めているわけですから、これは非常に大きな問題ですね。新予防の判定には審査会の及ぶ裁量範囲は非常に小さいもので、ソフトの結果がほぼ反映さてきます。そうなると、いずれは国が目標としている現行の要介護者の8割がこの対象となってくると予測できます。そうなるとですねえ。どういう問題が出るでしょう。

今、各地では担当者数が減って、40人以上のプランを作成すると減算請求になることから、一時的に要介護者のプランを受けないということから生ずる介護難民の問題が出てきておりますが、しかしこれはあくまで一時的な過渡的問題で、今後は逆に、要介護のプラン者数が減って、経営が厳しくなる事業所が出てくるでしょう。そして包括は予防プランの数の増加で大変な事態が予測されるでしょう。この問題は注意深く見守る必要があります。

介護支援事業所からは、ネガティブな部分だけでなく、余計な介護サービスを減らすきっかけになったという部分、インフォーマルな支援などの可能性が見出せたというポジティブな部分も報告されましたが、しかし、それは全体から見れば多くないでしょうし、過剰サービスが要介護度を悪化させるなんていうのは根拠のないことで、給付費の適正化という点では、それは問題になりますが、歴史が証明しているのは、過剰サービスより過少サービスが人の暮らしを悪化させ、要介護状態を重度化させているという現状です。

このことを決して忘れてはいけません。

また福祉用具レンタルについても経過措置が10月からなくなり、要支援者や要介護1などの方々への介護ベッド等がレンタルできなくなります。生活に支障が出ない方々ばかりなんでしょうか?これらの方々の生活障害が出ないように担当のケアマネの皆さんは注意深く「生活そのもの」を見つめる視点を忘れないでください。

今回の介護予防は、すべての既存の介護サービスに予防給付も導入されています。訪問入浴に介護予防の訪問入浴が必要なんでしょうか。国はこの理由を「時間がなく精査ができなかった」からと言っています。

ふざけた話ではないですか。設計図がまともにひけていない制度を、われわれは介護予防に繋げるサービスにしなさいと、ケアマネジメントの質の問題に置き換えられ問われ、責任を負わされている。とんでもないことです。

どうか現場で設計図の不出来で生ずる問題を利用者やケアマネジメントの問題と混同しないでください。国が定めたルールが介護予防の最良の方法と間違えないでください。我々ケアマネ会、あるいはケアマネ個人として、声だすべきことは、きちんと出していきましょう。

これは当日の発言の骨子を後日まとめたもので、実際は、会場とのやり取りの中で、一連ではない発言もまとめています。実際は演説でなく、司会進行、会場とのやり取り、でありました

今、この夏の発言内容が、現実問題として地域に様々な問題を引き起こしている。要支援者の多くの方々が必要なサービスを抑制されていると感じ、保険外負担で利用せざるを得ないサービスが増えているのではないだろうか。

我々にできる支援とは何か、あらたな課題が目の前に横たわっている。

介護・福祉情報掲示板(表板)

我が施設の忘年会

忘年会や納会といった名目で、何かと飲む機会が多い季節である。今日はすこし軽い話題として我が施設の忘年会のことを書かせていただく。

施設の忘年会といっても意味はふたつある。利用者の方々の忘年会と、職員親睦会のそれである。前者は毎年、12月30日の夕食の際、日勤職員も全員残って行うのが恒例となっているが、今日は後者の職員親睦会のことを書いてみる。

少々早めであるが、今日が我が施設の忘年会の当日である。

親睦会費は毎月、本俸の1%を給与から引かせてもらい積み立てており、これが職員親睦会規程に基づいて、職員に対するお祝い金や、弔慰金等の支給や、親睦会助成金として支出されている。組織が大きくなって、職員全員が集まる機会は忘年会や歓送迎会のみであり、特に忘年会は登別温泉に1泊して行う大きな親睦会行事になっており、原則的に職員自己負担金を頂かず実施している。

全員が参加対象とは言っても、施設の場合は実際に全員が参加できる行事などあり得ないわけで、もちろん夜勤者や宿直者は参加できない。また遅出の職員も参加できるように開始時刻は19:30にしているが、勤務形態が多様化している今日の現状では我が施設でS勤といっている超遅出の職員も参加できない。

まことに申し訳ないが、これらの皆さんには宿泊費(宴会費を含む)費用を還付している。そしてなるべく毎年同じ人がこれらの勤務に当たらないようにしている。忘年会を2回に分けて行っている施設もあるようだが、当施設ではこのような現状で、あとは部署ごとにそれぞれの納会等の名目で飲み会を行っているようである。

さて、参加者は、強制ではなく任意であるが、ほとんどの方が参加され、今日も80人近い参加者がある。宿泊も自由意志であるが、基本的に日帰りも宿泊も自己負担はないわけで、泊まられる方がほとんどだが、家族事情や、明日の勤務等の理由で日帰りの方もおられる。

そういう方は、少しでもお酒が入った場合、運転はしないという「当たり前の」社会ルールは守っていただく。飲酒運転はつかまらなくても「犯罪」である。

僕はもちろん宿泊する。幸い日直の出番も明後日の日曜であり、明日は休みなので、翌日の心配をしないで「いつまでも」飲んでいられる。午前様は毎年当たり前である・・・。

毎年、野暮な仕事の話にならないように気をつけているが、しかし介護現場の職員の話題の中心は、やはり介護サービスにならざるを得ず、まったくその話題に触れないことはない。くどくどわけのわからない指摘や注意だけはしないようにする。酒の場の議論ほど不毛な議論はない。(覚えていないことも多い!!)

あまり難しい意味をこの会に考える必要はないが、チームワークやモチベーションの向上に少しでも繋がる親睦会であるべきだろう。しかしそんなことは僕が心配する必要はなく、若い職員を中心に、親睦会運営をしてくれるスタッフが毎年、様々な企画で盛り上げてくれるので感謝している。

面と向かってはいえないので、このブログでお礼を述べておきます。コバくん、シューヘイ、心ではいつも感謝してるんだから、あまりいじめないでくれよ〜!!

ン!!でもよく考えると二人とも、もう若くはないか!!

介護・福祉情報掲示板(表板)

運動器向上トレーニング導入の表裏。(後編)

(続き:昨日のブログに続いて読んでください)
東京都老人総合研究所の推奨する筋力向上トレーニングの方法、特にマシントレーニングの意味について質疑応答の際、会場から大渕氏に対し、「既存の事業所でかつてマシントレーニングを行ってきた事業所もマシンが無用の長物と化して倉庫に眠って使われていない事業所がたくさんある。その二の舞になるのではないか」という疑問が出された。

それに対し大渕氏は「それはハードの問題ではなくハードを使いこなすソフトがなかったからだ。東京都老人総合研究所がおこなっている筋力向上トレーニングはソフトがしっかりあるからそのようなことにはならない」というものであった。

しかし、そのソフトについては誰がその知識を持ち、全国津々浦々の予防通所サービス等の担当者に伝えてくれるものなのか?

東京都老人総合研究所で指導を受けた専門家しかそのノウハウを持っていないではないか。これが全国的な介護予防通所サービスにどのように浸透させるのかということに関して言えば、その「ソフト」はないわけであり、大渕氏の言っていることはある意味で「このソフトによる方法ではない予防メニューの効果は期待できない」ということで、しかも有効なソフトを導入して使いこなす方法については「我関せず」という意味にしかとれない。

本当にそんなサービスが出来るのか、ソフトを使いこなす専門家の配置など出来ない報酬単価ではないか、できないなら我々の事業所の通所サービスはどうなってしまうのか、非常に暗澹たる気持ちになったと記憶している。

ある特定の専門家集団により研究され確立された方法論について、これをわが国の「介護予防」のエビデンスとするには、それが「誰でも、どこでも、いつでも」実施できる伝達実行システムを作らなければ意味がないし、結果として、この国全体の介護予防にはならないではないか。

ソフトはここにあるけれど、それを使いこなせるかは、それぞれの地域や事業所の能力や裁量で、やる気があるなら勝手にもって行きなさい、という意味しかない方法論など、国全体の制度サービスにおいて、どれだけの意味があるというのだろう。ソフトとはそうした伝達システムがあって始めて有効なツールになるもので、ここの部分に具体的方法論やきめ細かい配慮がないこのサービスの前途は暗いと当時も感じたものだ。

実際の結果はどうであったか。

通所サービスの運動器向上トレーニングに求められた「何らかの形での専門家の介入」とは介護予防やマシントレーニングの専門家ではなく、配置職員の中で介護予防能訓練指導員を発令し1時間程度の専従を求めたり(通所介護)、療法士の配置(通所リハビリ)であったり、新たな人の配置をしなくても良い形となった。

というより介護報酬を下げたんだから、あらたな専門家配置を義務付けられなかった、ということである。

事業所としては新たな専門職を雇用したり、契約して派遣してもらったりする必要はないのだから、報酬が下げられても、何とか通所サービス事業を継続運営する為に、予防と介護をパックでサービス提供することで活路を求められるわけで、運動器向上メニューも「予防効果」を中心にメニュー作りするよりも「今いる職員でできる内容」で組み立てられる視点に傾くのは当然といえば当然の結果なのであり、ましてやエビデンスのないサービスだから、現時点で、それが悪いとか、あっちが適切だとか、誰も評価が出来ないわけである。

その結果、メニューもマシントレーニングに限らないどころか、全国的な標準的ソフトがないまま、内容は事業所に丸投げされて各事業所で行われているんだから、運動器向上メニューは、マシン、非マシン、さらにその内容も様々で「何をしよう」というところから始まっているので、その効果など正直「予測できない」というのが実態である。

しかしそんなことはモデル事業の検証過程や、予防サービスメニューの導入の経緯から容易に予測できたことで、つまりは国は、このサービスに対しての介護予防効果など当初から期待していないという裏の顔が見えてくるのである。

いうなればソフトや内容を充実させる手立てや配慮にはコストがかかる。だからそこは放棄したという意味であり、新たな介護予防サービスの「予防効果」 なんか、はじめから期待しておらず、給付費抑制の一つの形としてポーズをとるために、しかも介護予防という国民のニーズを満たす新たなサービスが出来たような幻想を、市民や関係者に抱かせる形で、国民が受け入れやすいルール変更としての効果も含めて、このサービスを導入した、という意味しか見出せない。

介護・福祉情報掲示板(表板)

運動器向上トレーニング導入の表裏。(前編)

僕はこのブログや新聞や冊子に掲載された小論文等で新予防給付の筋力トレーニングについて、予防効果が期待できないという意味のことを書いてきている。しかしよく読んでいただくと解かると思うのだが、筋力トレーニングそのものを全て必要ないとは言っていないし、ある対象にとって、方法によっては有効なツールであることも認めている。

しかし問題は現行の新予防サービスにおける筋トレの方法、特にその導入の経緯や導入されたサービスの内容には様々な問題があり、医療モデルに偏った考え方で現場の方法論が展開されている現状では効果は限定的だと思っているし、どの時期に、誰にそれが必要か、というアセスメントの有効なソフトがない点において、それは介護予防には結びつかないだろうと考えている。

介護予防サービスの中心的メニューは通所サービスとされているところであるが、そのなかでも「運動器向上メニュー」は、介護予防のメインメニューとしてモデル事業でも位置づけられていたと思う。

介護予防のための筋力向上レーニングの必要性や効果、その具体的方法については東京都老人総合研究所が中心的役割を担って研究されてきたし、モデル事業としても先進的な取組が進められ、介護予防の筋力トレーニングのノウハウを確立していると思う。これが将来的に日本的介護予防メニューの一つとしてエビデンスになる可能性はあると思っている。

しかしその方法論がこの新予防サービスにどれだけ反映されているというのだろう。我々の地域を見たとき「そんなソフトは誰も知らない」というのが現状ではないのか。なぜだろう。そのことを介護予防通所サービスにおける運動器向上メニューの導入の経緯から少し考えてみよう。

この内容については昨年2月、まだ介護保険制度の改正における新予防給付の具体的内容が不明瞭であった段階において、通所サービスのあり方を考える為の研修(北海道デイサービス施設長研修)で、東京都老人総合研究所の大渕介護予防緊急対策室室長の講演を聞いて「なるほど、これが通所サービスに求められている選択サービスメニューのひとつなのか」と思ったことがある。

しかし僕がその際に疑問に思ったことは、東京都老人総合研究所が示している筋力向上トレーニングは、あくまで包括的体力トレーニングであり、方法は「マシンによる高負荷筋力トレーニング」であるという点である。

そうなるとこのメニューを行う為には、介護職員ではない専門職の関わりが絶対に必要になると思われ、であればマシンの導入も含めて人員配置としてもコストのかかるサービスにならざるを得ないのではないかという疑問が生じた。つまりご存知のように当時の考え方では(結果もそうであったが)介護予防サービスは、介護給付サービスより介護報酬が低いサービスとなるはずで、単価を下げるのに、専門家の新たな配置が出来るのか、という疑問であった。

その研修には厚生労働省の館石認知症対策推進室室長補佐(当時)も来ていたので、介護予防の筋力トレーニングに東京都老人総合研究所がモデル事業で行っている内容を求めるのであれば、現在の職員配置基準ではサービス提供が出来ないのではないか、という疑問を呈してみた(文書アンケート)。

そのときの館石氏の回答は「何らかの形で専門家の介入を求める」というものであったと記憶している。

介護報酬が下がるのに、あらたな専門家の介入が必要になったら、このサービスはどこの事業所も行えないよ、という声があちらこちらから聞こえた(一番大きな声で言っていたのは僕かもしれないが・・・。)

とここまで書いたところであるが、実は今日はこれから明日午前中にかけてこの地区の老施協・施設長研修があり、出かける時間になってしまった。誠に申し訳ないがこの続きは明日書かせてもらいたい。
(続く)

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