ケアマネジメントの起源が、アメリカで1970年代に始まったケースマネジメントに求められることは周知のことだろう。
当時のアメリカではノーマライゼーションの実現の方策として、精神障害者が地域で生活する方針を立て、そのために州立病院の半分を閉鎖することでその実現を図った。
そして地域に帰った障害者の方々が、地域で生活するために、医療・保健・福祉・住宅・就労等すべての問題を解決する窓口を「精神保健センター」に権限を集中させ一元化した。ここからケースマネジメントが始まったわけだ。
この考え方が介護保険制度のケアマネジメントの根源にある。
つまり高齢者は単一のニーズや問題点というよりも、潜在的なものを含めて複数の二ーズや問題点を持っており、そうした援助対象者と社会資源を窓口を一元化して結びつけるシステムがケースマネジメントであり、わが国では介護保険の制度の中心にケアマネジャーという専門資格を位置づけ、このケアマネジャーが窓口となり高齢者と介護保険サービスを中心にした社会資源を結びつけることをケアマネジメントとしているのである。
ただし、もともとのケースマネジメント自体の定義が確定しているわけでもなく、プログラムも様々で有効なモデルが確立されているわけではない。
だからケアマネジメントを語る場合、わが国における介護保険制度のケアマネジメントとして限定して考えないと、様々な誤解を生む。各国のケースマネジメントやケアマネジメントとシステムやモデルが違っているのだ。
さて、そうであるがゆえに、わが国の今問題となっているケアマネジメントは非常に歴史が浅いといわねばならず、介護保険のサービスに結びつける手法について、とやかく議論するのであれば、これはわずか5年しか展開されていないサービス手法であり、現場で質の差が出るのは、当然といえば当然の結果なのであり、給付費分科会でケアマネ不要論が議論される前に、この制度下のケアマネジメントの構造や手法を確立する手立てを議論すべきで、それがない状態の「質の差議論」や「ケアマネ不要論」は笑止千万、その前に制度設計者の責任を問うべきだろう。
さて、そうは言っても、このケアマネジメントが何ぞやという問いに答えられないケアマネがいるという事実。また介護保険制度におけるその展開構造を知らないケアマネが多いことも事実で、介護保険制度で求められているルールや非常に限定的な手法でさえこなせない、できないケアマネがいる、という現実は変えていかねばならない。皆で頑張ろうよ。
ケアマネジメントで一番重要な視点は、高齢者のニーズを単に身体的な機能障害(インペアメント)として捉えるのではないという点である。
実は従来の医学モデルは、例えば脳卒中による片麻痺を身体的欠損としてのインペアメントとして捉え、それによる歩行障害を能力障害(ディスアビリティイ)であるとしてニーズを捉え治療的方法(リハビリ等)をとる立場にあった。
しかしケアマネジメントの手法は生活モデルであり、高齢者のニーズを単なるインペアメントとADLに関わるニーズとして捉えるのではなく、利用者がもつ社会的不利(ハンデキャップ)という観点からも捉え、生活障害としてその問題を捉えることに特徴がある。
つまり要援助者が、どのような家族環境や地域環境の中で生活し障害が不利な状況になっていないかも視点として捉え、インペアメントやディスアビリティに改善がなくとも、家族や地域の環境を調整することでも生活課題が改善できるという視点を持つものである。
問題や障害は、あくまで生活障害であるのだ。
だからケアマネジメントには生活の全体性や継続性、個別性に目を向ける視点が必須なのだ。
このことを理解しているか、していないかでその質は大きく左右されてしまう。
少し長くなるので今日はこの辺にして明日に続こう。
ただ業務大多忙である。明日はブログをお休みするかもしれない。
介護・福祉情報掲示板(表板)
当時のアメリカではノーマライゼーションの実現の方策として、精神障害者が地域で生活する方針を立て、そのために州立病院の半分を閉鎖することでその実現を図った。
そして地域に帰った障害者の方々が、地域で生活するために、医療・保健・福祉・住宅・就労等すべての問題を解決する窓口を「精神保健センター」に権限を集中させ一元化した。ここからケースマネジメントが始まったわけだ。
この考え方が介護保険制度のケアマネジメントの根源にある。
つまり高齢者は単一のニーズや問題点というよりも、潜在的なものを含めて複数の二ーズや問題点を持っており、そうした援助対象者と社会資源を窓口を一元化して結びつけるシステムがケースマネジメントであり、わが国では介護保険の制度の中心にケアマネジャーという専門資格を位置づけ、このケアマネジャーが窓口となり高齢者と介護保険サービスを中心にした社会資源を結びつけることをケアマネジメントとしているのである。
ただし、もともとのケースマネジメント自体の定義が確定しているわけでもなく、プログラムも様々で有効なモデルが確立されているわけではない。
だからケアマネジメントを語る場合、わが国における介護保険制度のケアマネジメントとして限定して考えないと、様々な誤解を生む。各国のケースマネジメントやケアマネジメントとシステムやモデルが違っているのだ。
さて、そうであるがゆえに、わが国の今問題となっているケアマネジメントは非常に歴史が浅いといわねばならず、介護保険のサービスに結びつける手法について、とやかく議論するのであれば、これはわずか5年しか展開されていないサービス手法であり、現場で質の差が出るのは、当然といえば当然の結果なのであり、給付費分科会でケアマネ不要論が議論される前に、この制度下のケアマネジメントの構造や手法を確立する手立てを議論すべきで、それがない状態の「質の差議論」や「ケアマネ不要論」は笑止千万、その前に制度設計者の責任を問うべきだろう。
さて、そうは言っても、このケアマネジメントが何ぞやという問いに答えられないケアマネがいるという事実。また介護保険制度におけるその展開構造を知らないケアマネが多いことも事実で、介護保険制度で求められているルールや非常に限定的な手法でさえこなせない、できないケアマネがいる、という現実は変えていかねばならない。皆で頑張ろうよ。
ケアマネジメントで一番重要な視点は、高齢者のニーズを単に身体的な機能障害(インペアメント)として捉えるのではないという点である。
実は従来の医学モデルは、例えば脳卒中による片麻痺を身体的欠損としてのインペアメントとして捉え、それによる歩行障害を能力障害(ディスアビリティイ)であるとしてニーズを捉え治療的方法(リハビリ等)をとる立場にあった。
しかしケアマネジメントの手法は生活モデルであり、高齢者のニーズを単なるインペアメントとADLに関わるニーズとして捉えるのではなく、利用者がもつ社会的不利(ハンデキャップ)という観点からも捉え、生活障害としてその問題を捉えることに特徴がある。
つまり要援助者が、どのような家族環境や地域環境の中で生活し障害が不利な状況になっていないかも視点として捉え、インペアメントやディスアビリティに改善がなくとも、家族や地域の環境を調整することでも生活課題が改善できるという視点を持つものである。
問題や障害は、あくまで生活障害であるのだ。
だからケアマネジメントには生活の全体性や継続性、個別性に目を向ける視点が必須なのだ。
このことを理解しているか、していないかでその質は大きく左右されてしまう。
少し長くなるので今日はこの辺にして明日に続こう。
ただ業務大多忙である。明日はブログをお休みするかもしれない。
介護・福祉情報掲示板(表板)